こんにちは、アマチュア読者です!
今回ご紹介するのは、E.H.カー『危機の二十年―理想と現実』です。
著者のエドワード・ハレット・カー(Edward Hallett Carr)は1892年にロンドンに生まれ、ケンブリッジ大学で古典学を専攻します。
そこで勉強しているあいだに第一世界大戦が開戦し、大学卒業後は外務省に勤務します。
約20年勤めたあと、1936年に外務省を辞してウェールズ大学教授に就任。
その翌年の1937年に本書は企画されました。
2年後の1939年に第二次世界大戦が勃発する直前に印刷所に送られ、内容の修正をおこなうことなく初版が出版されました。
「危機の二十年」というのは、第一次世界大戦が終戦してから第二次世界大戦が勃発する間の二十年を指します。
「将来の平和を築き上げる人々にとって、この二十年ほど研究に値する歴史的時代はない」と著者は序文に書き記しています。
ユートピアとリアリティ
著者は本書のタイトルを『ユートピアとリアリティ』にするつもりだったようですが、抽象的な題名では本が売れないと見た出版社が著者との妥協の結果、原著は『危機の二十年 1919-1939』で決着がついたといいます。
著者が希望していたタイトルのとおり、本書はユートピアとリアリティという概念のせめぎ合いに焦点が当てられています。
ユートピアニズムは、「願望は思考の父である」という言葉に表れているように、まず成し遂げたい欲求があり、それが目的となって思考を規定します。
健康を増進したいという目的が医学を生み、橋を建設したいという目的が工学を生み、政治体の病弊を治癒したいという目的が政治学を生み出しました。
ユートピアニズムにおいては、事実や因果関係の分析よりも目的を達成するための概念的な計画を練って行動します。
その計画が単純で完全無欠であるために、普遍的に大衆に訴えかける力を持っています。
人間の精神は必ずしも論理的な順序で発展していくわけではなく、分析のあとに目的が決まるはずが逆向きに働くこともあるのです。
これに対して、本書では思考が願望に与える衝撃をリアリズムと定義しています。
ユートピアニズムの夢のような願望とは対照的に、事実の容認や事実の原因・結果の分析に重きをおくリアリズムは批判的で冷笑的な印象を与えます。
リアリズムは客観性を信奉しますが、行き過ぎると不毛になり、行動の活力を奪って人々の意欲をくじきます。
未成熟な思考は目的に目が向きすぎてユートピア的になりますが、目的をまったく拒む思考では老人の思考になってしまいます。
成熟した思考は目的と観察・分析を併せもち、健全な政治思考および健全な政治生活はユートピアとリアリティがともに存するところにその姿を現すというのが著者の考えです。
両者のバランスを上手くとることの重要性とその難しさは、本書の中で何度も説かれています。
2つの思考形態の対立
ユートピアとリアリティの対立は避けて通ることはできず、完全にこの均衡に達することはないものです。
何が存在すべきかに深入りし、何が存在したのか、何が存在するのかを無視する傾向のユートピアニズム。
かたや何が存在したか、何が存在するのかということから、何が存在するべきかを導き出す傾向のリアリズム。
この2つの思考形態は、あらゆる政治問題に対して相反する立場をつくりだします。
ユートピアとリアリティの対立は、理論と現実の対立にも深く関わります。
ユートピアンは、あたかも目的を唯一無二の適切な事実であるかのようにみなし、希望的命題を直説法で表現します。
アメリカ独立宣言の「すべての人間は平等につくられている」という言葉は象徴的です。
一方でリアリストは、ユートピア的な命題が事実ではなく願望であることを簡単に見抜きます。
著者の次の言葉は、ユートピア的で希望に満ちた世界に親しんでいる方にとっては衝撃的に響くかもしれません。
リアリストからすれば、人間の平等性という命題は、特権階級のレベルに自分たちを引き上げようとする下層階級のイデオロギーなのである。
この考えを国家のレベルに敷衍すると、平和の不可分性という命題は、攻撃の危機にさらされている諸国家のイデオロギーになります。
危機的状況にある国家は、「自分たちへの攻撃は、いま平和を謳歌している他国にとっても重大事なのだ」という基本原則を打ち立てたいという願望を抱いているのです。
ユートピアとリアリティの対立は、理論と現実だけでなく、知識人と官僚、急進と保守、左派と右派の衝突にも展開されます。
本書ではこれら2つの概念の歴史的背景や基盤を考察し、両者が国際政治にどのように関わってきたのかに焦点を当て、国際政治における権力や法、紛争解決について吟味しています。
その鋭利な洞察は、100年近く経過した現代でも色あせることはなく、読者を唸らせます。
おわりに
今回は、E.H.カー『危機の二十年―理想と現実』をご紹介しました。
第一次世界大戦の前までは、戦争は職業軍人がおこなうもので、外交は政府と現代ほどの繋がりを持たない外交官が担っていました。
外交についての国民の関心も薄く、ほとんど専門家任せの状態が自分事とみなされるようになったのは第一次世界大戦での大惨事でした。
この大戦を契機に国際政治学という学問が生まれ、戦争と平和を世界規模で本気で考えるはじまりとなったのは歴史の皮肉です。
その傷跡が残る状況下で著者が企画、執筆した本書から学ぶことはあまりに多く、読むたびに新たな発見があります。
ぜひ一度手に取ってみてください!
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