【人物がわかると歴史は楽しくなる】クリストファー・クラーク『時間と権力―三十年戦争から第三帝国まで』

歴史

こんにちは!アマチュア読者です。

今回ご紹介するのは、クリストファー・クラーク時間と権力―三十年戦争から第三帝国までです(原題はChristopher Clark, “Time and Power: Visions of History in German Politics, from the Thirty Years’ War to the Third Reich”)。

著者は1960年オーストラリア生まれで、近現代史研究をリードする歴史家です。

主な著書としては、第一世界大戦がどのようにして開戦に至ったのかを、特に人間の思惑に焦点を当てて描いた夢遊病者たち(原題は”The Sleepwalkers: How Europe Went to War in 1914”)があります。

この作品は非常に読み応えがあって、わたしは著者のとりこになってしまったのですが、今回ご紹介する『時間と権力』はサブタイトルにあるとおり、時代としては三十年戦争から第二次世界大戦までを扱っています。

為政者が時間と権力をどのように認識し、その前提のもとで何をおこなったのかが著者の視点で考察されているのです。

時間や権力というと抽象的で解釈が何通りもありそうですが、本書を読むと、プロイセンやドイツの歴史に名を残した政治家の価値観が大きく関わって歴史が動いていったのだとわかります。

本書では、フリードリヒ・ヴィルヘルムフリードリヒ二世ビスマルクナチ体制が支配した4つの時期を対象としています。

①フリードリヒ・ヴィルヘルム

第一章が扱うのは、三十年戦争後に大選帝侯、すなわちブランデンブルク選帝侯兼プロイセン公フリードリヒ・ヴィルヘルム(1620〜88)が各地の諸身分(君主と民衆の間に存在している、聖職者、貴族、都市などの中間的な政治団体)と繰り広げた対立です。

両者の闘いを通じて、厳しく対抗し合う二つの時間性がかたちづくられていった様相、そしてそれが成立途上にあったブランデンブルク=プロイセンの公的な歴史叙述に与えた影響を検討しています。

大選帝侯の治世を規定していたのは、破局的な過去と不確定な未来のあいだにある不安定な境界域として現在をとらえる意識でした。

大選帝侯が何よりも関心を寄せていたのは、多様な可能性のある未来を自由に選択するために国家を伝統の桎梏から解放することだったというのが著者の見解です。

②フリードリヒ二世

第二章では、プロイセンの歴代君主の中でただ一人、自国の歴史について書き記したフリードリヒ二世(1712-1786)の著作に注目しています。

この章では、曾祖父である大選帝侯の宮廷で確立された闘争的な国家観からフリードリヒが意図的に訣別したこと、そしてこの訣別が、プロイセン王位を支える社会的諸力の勢力図の変化と、自らの歴史的な位置についてのフリードリヒの特異な理解の双方を反映したものであったことが示されます。

本書の解釈は、大選帝侯フリードリヒ・ヴィルヘルムの歴史性が未来志向型だったのに対して、フリードリヒはヴェストファーレン講和条約以降の歴史を停滞状態としてイメージしており、新古典主義的な、不変の時間性を信じていたというものです。

彼の歴史意識を支配していたのは、永遠と周期的反復というモチーフで、彼にとって国家はもはや歴史的変化を生み出す原動力でもなければ特殊な歴史的事象でもなく、必然にして不可欠の存在であったと述べられています。

③ビスマルク

第三章では、ビスマルク(1815-1898)の政治に関する論議や修辞、政治術のなかに表現された歴史性を考察しています。

ビスマルクにとって、政治指導者とは歴史の激流のなかを突き進む意思決定者でした。

政治家としての自身の使命は、1848年の革命(ヨーロッパ各地で起こった自由主義的運動や民族主義的運動のこと)で解き放たれた諸力の予測できない関係をうまく捌きながら、歴史が単なる狂乱へと堕するのを避け、君主政国家の特権構造や大権的権能を維持し保守することにありました。

しかし時代が進むにつれ、国家の永続性を信奉しつつ、一方では政治と公的生活の混乱や変化の中に身を置いたために、両者の緊張関係の只中でビスマルクの歴史性が引き裂かれていった過程も論じられています。

ビスマルクの作り上げたシステムが1918年に崩壊すると、歴史的思考と歴史意識の焦点にして保証人であった国家の権威に大きな揺らぎが生じ、歴史意識の危機がもたらされることになります。

ちなみに1848年の革命については、著者が講演している動画があるので参考にしてみてください。

Christopher Clark: The 1848 Revolutions

④ナチ体制

第四章では、この危機を引き継いだ者たちの中でも、歴史を絶え間ない「新しいものの繰り返し」と捉える見方そのものを徹底的に否定しようとしたナチ体制が取り上げられています。

ビスマルクの歴史性が、歴史は複雑な構造をしており、先行きの見えない新たな事態が次々と進行していくものなのだという仮定のうえに成り立っていたのに対して、ナチは現在と遠い過去、遠い未来とを強引に同一視することによって、自らの体制が目指す強烈にラディカルな野望を正当化しようとしました。

その結果生じた体制主導型の歴史性は、プロイセンとドイツの歴史に先例を見ないものでしたが、イタリア・ファシズムやソ連の共産主義といった他の全体主義体制による時間に関する実験とも全く異なっていました。

『時間と権力』のアプローチ

本書『時間と権力』では、権力を行使した人びとが時間を表す何らかの言動をつうじて、自らの行為をどのように正当化したのかという問題に関心を向けています。

そのときどきの為政者個人に焦点を当てて論じられているので、「この人はこんなことを考えていたのか」とイメージしやすくなります。

わたしは歴史を専門的に勉強していたわけではありませんが、本書を読みやすいと感じる理由はこういったところにあるのかもしれません。

本書では時間性という言葉を、経験された時間の手触りに対する為政者の直観を意味する語として用いています。

歴史性が過去と現在、未来の関係についての一連の仮定に根ざしたものであるのに対して、時間性という言葉はそこまで省察的ではなく、もっと直観的な仮定、つまり時間の動きに対する感覚といった意味合いを有しています。

未来は現在に向かってやってくるのか、それともそこから遠ざかっていくのか。

過去は現在を侵食しようとするのか、それとも認識の果てと消え去るのか。

いかにして時間的な枠組みを政治的行動に適応させるのか。

頭の中でイメージされる時間の流れは、それを「複数の瞬間」に分割されたものとして認識する意思決定者の傾向とどのように関係しているのか。

現在は動的なものとして認識されるのか、それとも静的なものとして捉えられるのか。

権力者の心理において、何が永続的なもので何がそうではないのか。

主要な政治的人物の主観を客観的に考察している本書は、読みごたえ抜群です!

おわりに

今回は、クリストファー・クラーク時間と権力―三十年戦争から第三帝国までをご紹介しました。

本書を読むと、歴史に名を残した為政者が過去・現在・未来をどのように認識し、みずからの歴史観をいかなる視点で形成して政治的行動をとったのかがわかってきます。

本書の登場人物のことがわかってくると、その当時の社会や文化にも興味が湧いてきて、自分の世界が広がって楽しいです。

ぜひ読んでみてください!

わたくしアマチュア読者が、著者の洞察力にはじめて感銘を受けた夢遊病者たちはこちらです。

学校の授業では何となくしかわかっていませんでしたが、これほどまでに多くの登場人物の思惑が交錯して第一次世界大戦に向かっていったのかと唸りました。

こういった大著を描ききる著者の学術的バックグラウンドや教養、技量には感動さえします。

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