【学びは生きがいになる】 ヘレン・ケラー 『わたしの生涯』角川文庫

ノンフィクション

学校の教科書にヘレン・ケラーのことが載っていた記憶がある。

見ることと聞くことを病気で奪われた彼女がサリバン先生の教育のもと、話すことや書くことを覚えていくストーリーで、”water”と発音できた場面が印象的だった。

日本では、ヘレン・ケラーは学校の教科書に載っていて、演劇も上演され、彼女に関連したドラマも放送されている。ご存じの方は多いだろう。

しかし、彼女が歩んだ道を、彼女の言葉で書かれた本を読んだことがあるだろうか。

本書は彼女の自叙伝で、自身がタイプライターを使って書いたものである。

1880年にアラバマ州北方のタスカンビアという町で生まれたところから始まり、2歳になる前に病気にかかったこと、その後の家庭での生活やサリバン先生との出会い、読み書きや表現することを学んで世界を広げていく過程が時系列で綴られている。

彼女の生い立ちから、子供が視覚や聴覚を奪われると、優しい言葉や行い、交わりから生まれる愛情を知る機会は減るのだと気づかされた。

そういった状況では、優しく触れることが愛情表現として子供に伝わるのだと学んだ。

読み書きができるようになってから、ヘレン・ケラーは読書を好み、特に文学は彼女にとっての理想郷であった。

そこでは公民権を奪われる心配はなく、感覚器官の障がいのために著者との対話が妨げられることもない。

本書では古典が多く多く挙げられ、ホメロスのイーリアスやオデュッセイアをはじめ、シェイクスピア、モリエール、シラー、ゲーテなど枚挙にいとまがない。

彼女の好きな文章も引用されているが、苦境に陥ったときに支えになった言葉なのだろう。

ヘレンは同じような境遇にある人々が社会で活躍できるように、世界各地に赴いて講演を行い、寄付を募った。

来日したこともあり、本書の邦訳を行った岩橋武夫とも深い親交があった。

彼も視力を失いながら、盲人社会福祉事業に身を投じ、特に日本やアジアの盲人福祉のための多くの業績を残している。

彼女は本書のいたるところでサリバン先生への賛辞を惜しまない。

サリバン先生は、大きな闇と沈黙に閉じ込められていた彼女を解放したのである。

助力も相談相手もなく、教育の経験も乏しい中で、南北戦争で荒廃した小さな村にやってきたのである。

彼女がヘレンに与えた愛は推し量ることができないほど大きい。

ラドクリフ・カレッジでの4年間はいつも教室で並んで腰掛け、講義を一語一語、ヘレンの手に書いて教えていた。

各地での講演会ではヘレンに付き添っていた。

サリバン先生は、愛を太陽が出る前まで空にあった雲のようなものだと言っている。

雲には手で触れることはできないが、雨には触れることができる。

愛に触れることができないが、それがあらゆるものに注ぎかける優しさを感じることはできる。

草花や渇いた土地が暑い一日の終わりに雨から感じる喜びのように、人は愛に幸せを感じるのだと。

ただ、サリバン先生の教育への献身はもちろん、ヘレンが生涯にわたって学ぶことへの情熱がいかに強かったのかは本書から伝わってくる。

不自由な境遇にあっても、できなかったことができるようになる経験は自分の世界を広げ、新たに学ぶことを促してくれるのだ。

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