【古典はすごい!】 アリストファネス 『女の平和』岩波文庫

古典

喜劇作家は人間の不満や悲しみを笑いで吹き飛ばし、明るい気持ちにさせてくれる。

世界中に名だたる作家がいる中で、アリストファネスは古代ギリシャを代表する喜劇作家である。

自身が描いた『雲』ではソクラテスをソフィストとみなして笑いの対象にしたり、プラトン『饗宴』にも登場して独自の恋愛論を語るなど、作家としてはもちろん、歴史的にも著名な人物である。

本書では、古代ギリシャでアテネとスパルタの長引く戦争を終わらせようと、若くて美しい婦人のリューシストラテーが中心となり、全ギリシャの女性が団結する。

従軍する男たちのだらしなさと無為無策に絶望し、アテネの精神的・宗教的中心であるアクロポリスに立てこもって女の手で平和を呼び寄せる。

これが喜劇となるのは、戦争を終結させる方法が突拍子もないからなのだが、それがどういうものなのかは是非読んでみていただきたい。

喜劇の裏には悲しさが隠れている。

『女の平和』は紀元前411年に上演されたが、この頃はペロポネソス戦争(前431-404年)が世を覆っていて、スパルタとアテネが覇権を争って死闘を繰り広げていた。

一時はニキアスの平和(前421年)によって戦前の秩序が保たれたかに見えたが、これは10年の長きにわたる戦争に疲れた両国の小休止であった。

前418年のマンティネイアの合戦によって、再び口火が切られたのである。

ペロポネソス戦争の間に作品の大半を書き上げたアリストファネスにとっても、『女の平和』を執筆していたこの期間は特に暗澹たる気持ちだったのかもしれない。

アリストファネスは喜劇に平和への希望を込めていたことは他の作品からもわかる。彼の作品が上演されることで救われた観衆は数多くいたに違いない。

そういう喜劇を現代でも日本語で読んで楽しめる文化があるのは素晴らしい。

『女の平和』は力の強い男性が戦争に赴き、女性は家に残って家庭を守る社会が舞台となっている。

男性が会社で長時間働き、女性が家事や育児を担っていた、

つい最近までの日本と同じ状況である。

もし現代に当てはめるならば、強い女性たちがリーダーシップを発揮して女性同士のつながりを拡げ、男性優位の社会に異議申し立てをすることになるだろう。

それも暴力に訴えることなく、言葉を武器にして。

近年では、非暴力による平和構築のための活動が評価され、2011年にノーベル平和賞を受賞したリーマ・ボウイーがその一例となるだろう。彼女の半生は、『祈りよ力となれ』という作品におさめられている。

一部の強力な権力が富をたくわえ、反動的な活動に暴力的、経済的な制裁を課し、水道や照明といったインフラが整わない社会が変わらない状況を見て、リーマは大きな行動に出た。

何千人もの女性を集め、集団で座り込みを行ったのだ。

「苦しみはもうウンザリ―平和が欲しい、逃げるのはもうウンザリ―平和が欲しい、平和が欲しい―戦争はいらない」と願って。

強い日差しが照りつける酷暑にも負けず、雨風にも負けず、リーマの信念に共感した女性たちは座り込みを続けた。

それはメディアの関心を引き、ついには反政府勢力が包囲していたリベリアの首都モンロビアから撤退したのである。

彼女がTED(Technology Entertainment Design)で講演した様子はこちらで視聴できる。

TED日本語 - レイマ・ボウィ: 少女たちの知性 情熱 すばらしさを解き放て | デジタルキャスト
ノーベル平和賞受賞者のレイマ・ボウィが二つの力強いストーリーを語ります。 彼女自身の人生の変革と世界中の少女たちが持つ潜在能力を解放することです。 私たちは少女たちの持つ素晴らしい資質を解き放つことで、世界を変えることができるでしょうか?

何百年、何千年という時間の風雪に耐えて読み継がれてきた古典作品は、現代でも普遍的な価値を持つ。

読んでいると、まるで現代の状況を把握して書いたのではないかという錯覚に陥る。

こういったおもしろさがあるから古典を読むのはやめられない。

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