こんにちは、アマチュア読者です!
今回ご紹介するのは、ホリー・タッカー(Holly Tucker)『輸血医ドニの人体実験』(原題は”BLOOD WORK”)です。
著者は医学史を専門としており、これまでに「ウォールストリートジャーナル」や「サンフランシスコ・クロニクル」など多くの有名雑誌に、医学の歴史や医療に関する論考を寄稿しています。
本書の舞台となるのは17世紀のイギリスとフランスです。
当時の医学の世界では、患者の不調を治療する手段として瀉血(しゃけつ)が用いられていました。
瀉血とは、人体の血液を外に排出することで症状の改善を図る治療法のことです。
近世に好まれた瀉血の根底には、「体液」という考え方があり、2世紀の医師ガレノスは、ヒポクラテスを踏襲して体液病理説にもとづく解剖学と生理学を示し、これが古代から18世紀まで医学の理論と実践のほぼあらゆる側面に多大な影響を与えました。
人体は4種類の体液に支配されていて、それぞれのバランスが崩れると病気が生じると考えられていました。
バランスを取り戻すためには血液を体外に出すことが有効で、瀉血によって頭がすっきりし、記憶力が高まり、胃を正常になるといった結果を得られるというのが定説になっていたのです。
輸血はいきなり人から人に行われたのではなく、はじめは同じ種類の動物どうし、つぎに異なる動物のあいだ、それから動物から人に血液が送り込まれました。
1667年に、フランスのジャン=バティスト・ドニが史上初の動物から人間への輸血を実施し、16歳の少年に子羊の血液を輸血し、一躍脚光を浴びました。
ドニの輸血実験によって、フランスやイギリスで輸血の機運が高まるかに思えましたが、当時は聖書の解釈や大学医学部の保守派など、輸血に強硬に反対する勢力が立ちはだかっていました。
1669年には、パリ高等法院が輸血を公式に禁止し、輸血の進展はその後150年のあいだ止まってしまいます。
輸血に終止符が打たれたのは、医療の安全性や患者自身の満足を重んじたからではなく、種が異なる生き物の血液を混合することにモラルや宗教が大きな影響を及ぼしたからだということが本書を読むとよくわかります。
たとえば輸血によって、「人間の人格が変わってしまうのではないか」「姿かたちも変質して怪物になってしまうのではないか」といった恐怖に苛まれた人々が多くいました。
技術的に確立されていない医療に対する不安というのは、古今東西変わらない普遍的な感情なのでしょう。
本書は輸血に焦点を当てたノンフィクション作品ですが、社会に新しい技術が導入されるときに人々は何を考え、どのような行動をとるのかを考える上でのケーススタディーにもなります。
人間の脳は1万年以上進化していないという最近の研究結果からも、ヒトの喜怒哀楽は普遍的であり、過去の出来事から人間の本質を学ぶことができます。
本書はその意味でも、長く読み継がれてほしい1冊です。
ぜひ読んでみてください!
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