こんにちは、アマチュア読者です!
今回ご紹介するのは、リーマ・ボウイー 『祈りよ力となれ リーマ・ボウイー自伝』です。
歴史の残る偉大なことを成し遂げた人物でも、その行動を起こすタイミングは人それぞれ異なるものです。
本書の舞台はアフリカ西部に位置するリベリア。
コートジボワールやギニア、シエラレオネに囲まれた国で、政治的に不安定で紛争が絶えません。
著者のリーマ・ボウイーはこの国で生まれ育ちました。
彼女は高校を成績優秀で卒業しましたが、大学入学を控えた卒業シーズンに反政府軍の侵攻によって故郷は荒廃し、毎日銃撃におびえる生活がはじまりました。
生き延びるために各地を転々とし、結婚した夫からは激しい暴力を受け、4人の子供を養う日々をすごしました。
26歳まで、彼女は生活に追われるとともに自信をなくしたままだったといいます。
子供を連れて暴力的な夫から逃げ出し、母親に心配されても自分が何をしたいのかわからず、暗闇の中を彷徨っていました。
行動が変わったきっかけ
リーマ・ボウイーは何ヶ月も引きこもって自分にだけ話しかけ、他に気持ちを向けることができませんでした。そんなとき、それまでずっと健気だった子供が過去の辛い生活を思い出して泣き出すのを目にしました。
それを見て、彼女は動き出すことを決めたといいます。
「現実は待っていてはくれない」という事実を彼女は悟ったのです。
彼女はゆっくりと悲しみに浸っていられる女子高生ではなく、自分を頼りにしている子供たちがいる女性なのだと気づいたのです。
親や夫、シングルマザーであること、戦争や自分の過去を責めたり憎むのをやめて、強くなって前に進まなければならないと彼女は決心しました。
大学入学
まず大学に入ることを決めましたが、入学許可を得るためにはソーシャルワークの仕事をしたかボランティアをしたことを示す必要がありました。
彼女はトラウマからの回復プログラム(トラウマヒーリング)のボランティアの仕事を友人から紹介してもらい、仕事をスタートさせます。
トラウマヒーリングは、戦争で被害を受けた人々とワークショップを行い、体験を話してもらうことで自分がどのような状態なのか、どのような問題に直面してきたのかに気づいてもらうことを目指す取り組みです。
人に話をするだけで心が軽くなった経験をお持ちの方は多いと思いますが、、自分の内面世界に閉じこもってばかりでは、精神的負担は改善されないのでしょう。
トラウマヒーリングでは、このワークショップの手法を地域のリーダーやグループに教えることで、苦しんでいる国や地域を自ら立ち直らせることを主眼に置いています。
この仕事を通じて、彼女は平和を構築することに興味を持つようになります。
本書では平和構築(ピースビルディング)と表現されていますが、対立する勢力のあいだに入って戦いを終わらせるピースメーカーではなく、戦争の被害を受けた人たちを癒し、元の状態に戻すことを意味します。
貪欲に学ぶ姿勢
彼女はそれまでと打って変わったように活発になり、可能な限り学ぼうと努力しました。
どの手法が使えるかだけでなく、その手法を選ぶ根拠となる理論を教えてもらいたいと考え、給料のほとんどを使って、あらゆるパンフレットや本を買い漁ったといいます。
彼女は勉強するうちに、トラウマヒーリングでの仕事は傷ついた人々や社会を修復することが焦点になっているが、そもそも初めから傷つくのを防ぐことを考えるべきだと思うようになります。
また、マハトマ・ガンジーやネルソン・マンデラ、ダライ・ラマの非暴力を信念として平和を推進するリーダーにも共感するようになりました。
暴力を用いるリーダーの栄光は長く続かないが、暴力に訴えずに社会を変えてきた人物は長く称賛されるからです。
いつしか彼女は、故郷で平和に暮らすためには、自らの力で国を救う必要があると感じるようになりました。
それに加えて、男性が支配する社会に疑問を感じます。
どうすればリベリアで女性による平和構築のネットワークが機能するかをイメージし、プログラムやトレーニングをまわりから何か言われたわけでもないのに自分で考え出したのです。
社会を変えた行動とノーベル平和賞
一部の強力な権力が富をたくわえ、反動的な活動に暴力的、経済的な制裁を課し、水道や照明といったインフラが整わない社会が変わらない状況を見て、彼女は大きな行動に出ました。
何千人もの女性を集め、集団で座り込みを行ったのです。
「苦しみはもうウンザリ―平和が欲しい、逃げるのはもうウンザリ―平和が欲しい、平和が欲しい―戦争はいらない」と願って。
強い日差しが照りつける酷暑にも負けず、雨風にも負けずに彼女たちは座り込みを続けました。
それはメディアの関心を引き、高圧的な政府の態度も変えました。
反政府勢力が、包囲していたリベリアの首都モンロビアから撤退したのです。
彼女はこのような非暴力による平和構築のための活動が評価され、2011年にノーベル平和賞を受賞しています。
ちなみに、この座り込み活動にはセックス・ストライキも含まれていました。
まるで古代ギリシャの喜劇作家アリストパネスが描いた『女の平和』のような話です。
ソーシャルワーカーとして働くこと
本書には、ソーシャルワーカーとして働かなければわからないことも書かれています。
反政府勢力というと、力の強い男性のイメージを持ちますが、リベリアでは女性兵士もいました。
少女たちが銃を持つようになったのは、レイプから身を守ることが理由の一つだったといいます。
暴力的な社会で生活していると、言葉も暴力的になります。
それでも、自分の子供には愛情をもって接しているのを著者は目にしてきました。
抑圧された生活のなかで、自分だけでなく家族も養っていくのは大変なことです。
そういう人達のために、一時的に食料や日用品を提供することはできるでしょう。
が、一度身についてしまった生活習慣や身の処し方を改善するとなると、彼らを助けられたのかと彼女は自問します。
印象的だったのは、国連をはじめとする国際的な組織が理解しないもっとも重要な真実が、外部から入ってきた人に傷ついた人々は「こう治すべきだ」と教えられることは屈辱的だということです。
ライフワークバランス
志高く活動する人は、日常生活のバランスをとることに悩むのは世の常でしょう。
多忙なビジネスパーソンなら共通して葛藤するところですが、彼女は仕事でアフリカ各地をまわるとき、そこに家族はいませんでした。
離れ離れになる辛さを紛らわすのは酒で、飲む量も増えていったといいます。
また、長く活動してきた所属団体のメンバーから権力を独り占めしていると非難の言葉を浴びせられ、精神的にも消耗しました。
それでも平和に向けた活動をやめなかったのは、過去の自信をなくしてふさぎ込んでいた自分に戻りたくなかったからなのだと思います。
ノーベル平和賞受賞者というと輝かしい人生を安易に連想してしまいますが、その陰では人一倍、苦悩やストレスと闘っているのです。
抑うつ状態にあるときは、自分自身の中に捕らわれて、自分の気分がよくなるような行動をとるエネルギーがなくなります。それによって自分が嫌いになってしまいます。
ほかの人が苦しむのを見ても、その人を助けられないと感じ、そしてまた、自分が嫌いになります。
自分が嫌いになることで悲しみは深くなり、悲しみにより無力感が増し、無力感のために自分がさらに嫌いになるサイクルに陥るといいます。
おわりに
今回は、リーマ・ボウイー 『祈りよ力となれ リーマ・ボウイー自伝』をご紹介しました。
彼女は深い悲しみの中から動き出すきっかけを掴み、行動しました。
本書を読むとわかりますが、それまでも動き出すチャンスは何度もありました。
しかし、負のサイクルに陥っていたために、そのチャンスを逃してきたのです。
彼女だけでなく、わたしたちも経験してきたように、どんな状況でも行動のきっかけになるチャンスは巡ってくるものです。
それも1回だけではないはずです。
リーマ・ボウイーは行動すればするほど、さらに行動できるようになり、もっと行動したいと思うと、その必要性も見えてくるようになったといいます。
行動力というのは、とにかく行動しなければ身につかないのですね。
「これからの人生、今日が人生で一番若い日」と言われますが、いま気づけたのなら行動してみることで、自分も変わり、世界も少しだけ良いものになると考えれば希望が湧いてきます。
どんな状況に置かれても、立ち上がるチャンスはあるのだと本書は教えてくれます。
ぜひ読んでみてください!
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