こんにちは、アマチュア読者です。
今回ご紹介するのは、斎藤幸平『大洪水の前に』です。
著者は経済思想、社会思想を専門とする研究者で、本書が邦訳される前の著作で権威ある「ドイッチャー記念賞」を歴代最年少で受賞しています。
日本では2020年に出版された『人新世の「資本論」』で新書大賞に輝き、一躍脚光を浴びています。
マルクスというと共産主義の生みの親で、攻撃的な性格を持つ人物像を想像しがちではないでしょうか。
わたしもその例に漏れず、マルクスの『共産党宣言』を読んだときは社会を変えたいという情熱が伝わってくると同時に、その強烈な思想にたじろいでしまいました。
しかし本書を読むと、どちらかというとネガティブな印象を持っていたマルクスに対する見方が大きく変わります。
近年の研究によって、マルクスに新たな光が当たっているのです。
マルクスを捉えなおす
若かりし頃のマルクスはエネルギッシュで、持てる者と持たざる者に二極化した社会を変えるために、実際に行動に移すことを様々な著作を通じて呼びかけました。『共産党宣言』がわかりやすい一例でしょう。
しかし、晩年のマルクスが何に関心を持ち、どのような研究をしていたのかはまったく知りませんでした。
近年、マルクスが書き残したメモを含めた膨大な資料が公開されました(“MEGA”と呼ばれています)。
その中には、自然科学や古代の共同体についての書籍からの膨大な抜粋やコメントが含まれています。
深刻な経済的貧困状態にあったマルクスは、図書館に通ってはさまざまな文献を渉猟し、重要箇所をノートに書きつけていたのです。
MEGAを丁寧に読む込み、晩年のマルクスが取り組んでいた研究に近づくことでマルクス思想を見直すとともに、現代の行き過ぎた資本主義を再考する手がかりを掴むことが本書の主旨です。
本書を読んで、考えてみると当たり前のことを思い知りました。
人間は年齢を重ねるにつれて考え方は変わっていきます。
人の性格や業績を単純に断定することによって、わたしたちはものごとを理解していると思い込む傾向があります。
世界的に有名で偉大な人物というと、著名な作品を1冊読んだだけで、まるで著者のことがわかったかのような錯覚に陥ったりしませんか。
マルクスの場合、晩年に書き進めていた『資本論』は未完に終わり、深い絆で結ばれたエンゲルスが編集して出版されました。
その過程でマルクスが関心を高めていたトピックや彼の考えが反映されることはありませんでした。
なぜ現代にマルクスの思想を持ち出す必要があるのかというと、最近の研究によって、晩年のマルクスが研究していた対象が、気候変動を含む環境問題だったからです。
本書を読むことで、時間の経過とともに変わっていくマルクスの考えを追体験することができます。
物質代謝という重要な概念
ドイツの生物学者、哲学者のエルンスト・ヘッケル(Haeckel 1866)が植物や動物、そして人間からなる総体的連関を「エコロジー」と呼ぶ以前には、同様の事態はしばしば「物質代謝」という生理学概念を用いて考察されていたそうです。
しかも、この概念は自然科学の領域を超えて、哲学や経済学の領域にも適用されました。
有機体の摂取・吸収・排泄とのアナロジーで、生産・消費・廃棄といった社会活動を分析するために用いられていたといいます。
科学の知見を文系の学問に適用したということでしょう。マルクスにかぎらず、たとえばダーウィンの進化論と社会科学における社会発展のプロセスがリンクしていることも、ひとつの学問が他の学問に影響を与える一例として挙げられますよね。
マルクスも当時の科学や生理学の急速な発展に大きな刺激を受け、「物質代謝」をみずからの経済学批判における重要概念として用いました。
マルクスは、人間もほかの生物と同様に、自然によって制約を受け、自然法則的な生理学的事実に服している一方で、人間は他の動物と異なり、「労働」を媒介として、「意識的」かつ「合目的的」に外界に関わることができるという認識をしていたようです。
資本主義が極めて深刻な環境危機を引き起こす事態になっているのは、昨今のニュースで耳が痛いくなるほど聞いていますよね。
それが単に生産力が飛躍的に増大したという理由だけでなく、むしろ人間と自然の物質代謝を媒介する労働が質的に変容していることが大きく関わっているという考えをマルクスが19世紀に持っていたというのは凄いことです。
その限りで、本書のサブタイトルにある「物質代謝」概念は、マルクスの環境思想を明らかにするための導きの糸になります。
本書を手に取ったときに、この「物質代謝」という言葉を見て「何か難しそうだなぁ」と思いましたが、読み進めていくうちに重要な意味を持っていることが徐々にわかっていきます。
おわりに
今回は斎藤幸平『大洪水の前に』をご紹介しました。
学術的な内容なので漢字が多かったり、マルクスが生きていた時代に人気を博していた学者が多く引き合いに出されたりと最初は難しく感じるかもしれません。
しかし、専門用語に慣れていくと徐々に理解できるようになっていき、晩年のマルクスが何を考えていたのかを知ることで彼の思想が現在でも通用することが明らかになります。
マルクス思想と環境問題というと、まったく相容れない水と油のような関係を想像してしまいますが、本書を読めばこの関係が未来を考えるうえで有益であることに気づくと思います。
じっくりと時間をかけて読むに値する作品なので、ぜひ読んでみてください。
新書大賞に輝いた『人新世の「資本論」』はこちらです。
一般向けに書かれた作品で、最初の数ページで「これは読むしかないな」と観念しました。
気候変動や文明崩壊の危機にあると言われている現代において、マルクス思想と環境問題を結びつけ、地球が現在でも保持しているコモンズ(使用価値)を万人で共有することの価値が説かれています。
理論を提唱するだけではなく、実際に行動することの大切さを強調しているところも素晴らしい一冊です。
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