【勝海舟の父もすごい】勝小吉『夢酔独言』

歴史

こんにちは、アマチュア読者です!

今回ご紹介するのは、勝小吉『夢酔独言』です。

勝小吉は勝海舟の父親です。

勝海舟といえば、江戸末期から明治期に活躍し、オランダ人から海軍諸術を学んで海軍創設に尽力した人物です。

また、新政府軍と幕府軍の衝突を回避し、江戸無血開城に多大な貢献をしたことも有名です。

その勝海舟の父である勝小吉が、隠居を機に自らを「夢酔」と称して、半生を振り返った自叙伝が本書です。

後世の子孫に向けて書かれたものなので、冒頭では学問や武術、手習いに励んで私利私欲に走らないことを戒めています。

「家訓のような語録がまとめられているのだろうか?」と思ったのですが、勝小吉の生涯は血気盛んで波乱にとんだものでした。

喧嘩がすごい

5歳のときに凧揚げで近所の子と喧嘩になり、切り石で顔を殴って怪我を負わせました。

それを見ていた父親が小吉の頭を下駄で打ち、深い傷を負ったといいますから、喧嘩っ早いところは父と子で似ていたのかもしれません。

小吉が残した文からもその荒々しさが伝わってきます。

むなぐらをとつて、切り石で長吉のつらをぶつた故、くちべろをぶちこはして、血が大そう流れてなきおつた。そのときおれの親父が、庭の垣根から見ておつて、侍を迎によこしたから、内へかへつたら、親父がおこつて、「人の子に疵をつけてすむか、すまぬか。おのれのよふなやつはすておかれず」とて、縁のはしらにおれをくゝして、庭下駄であたまをぶちやぶられた。

7歳では同じように凧揚げで喧嘩になり、1人で20~30人の相手に敵わなかったので切腹しようとしたところを米屋に止められます。

1対1でも相当の緊張を強いられるところを、大人数を敵に回して1人で勝とうというのですから、負けん気は凄まじいものがありますよね。

家出・就職難

14歳では無断で家出をしています。

江戸から上方を目指して、乞食生活をしながら東海道を歩いています。

知らない人の家に泊めてもらったり、お寺の縁の下で数日を過ごしたりと過酷な日々を過ごします。

結果として途中で引き返すことにはなりましたが、4ヶ月の家出生活では栄養失調でも杖をついて進んでいたといいますから、鬼気迫るものがあります。

21歳のときにも再び家出をしていますが、帰ると父親に檻に入れられてしまいます。

そのくらいのことをしないと小吉を家にとどめておくことができないと考えたのでしょう。

その後も不行跡は続き、就職活動もうまくいきませんでした。

主に刀剣のブローカーとして働き、生計を立てていたといいます。

子供への深い愛情

このようなエピソードを読むと、血気盛んで荒々しいイメージを持ちますが、子供への愛情は並々ならぬものがありました。

息子の麟太郎(勝海舟)が9歳のとき、犬に睾丸を嚙まれて重傷を負います。

麟太郎は生死の境をさまよいますが、小吉が外科手術が行われているときに刀を枕元に突き立てて力んだので、少しも泣かなかったといいます。

このエピソードは、アメリカの文化人類学者であるルース・ベネディクトが書いた日本人論『菊と刀 日本文化の型』という作品でも引き合いに出されています。

『菊と刀』については以下の記事を参考にしてみてください。

その後も、裸参りを毎日おこない、麟太郎を終始抱いて寝て、外部の者に近づかせなかったという徹底ぶりで、病状は回復に向かいました。

その息子が立身出世を遂げ、小吉は麟太郎を誇りに思って老後を迎えられました。

おわりに

勝海舟の父親という事実を抜きにしても、勝小吉の自叙伝は読み応えがあります。

冒頭の家訓めいた言葉とは一転して、やりたい放題の波乱にとんだ生活ぶりは読者を惹きつけます。

その文体は表現豊かとはいえませんが、率直であり、ときに鬼気迫るものがあります。

勝小吉の感情を含めて追体験するのなら、彼が書いた原文を読むに越したことはありません。

旧仮名遣いで読みづらいところもありますが、200ページ以内におさまっています。

ぜひ読んでみてください!

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