こんにちは、アマチュア読者です!
今回は作家 橋本治のおすすめ名著をご紹介します。
著者は1948年に東京で生まれ、東京大学国文科で学びました。
10代の頃に絵を本格的に勉強したわけでもなく、子どものころから絵を描くことが好きだったわけでもないのにイラストレーターになりたいと思い、20代で活躍しはじめます。
その才能は、著者が制作し、東京大学の駒場祭で貼り出されたこのポスターを見れば一目瞭然です。
その画力はもちろんのこと、全共闘時代にあった大学の雰囲気を鮮明にあらわした「とめてくれるなおっかさん 背中のいちょうが泣いている 男 東大 どこへ行く」というキャッチコピーにも目が釘付けになります。
イラストレーターで生計を立てるのかと思えば、数年後に小説を書きはじめ、1977年に『桃尻娘』で講談社小説現代新人賞佳作を受賞しました。
その後、小説を本格的に執筆し、さらには評論、エッセイ、古典の現代語訳、戯曲、芝居の演出など、信じられないほど多彩な創作活動を行いました。
著者の平易でありながら底が知れない、深みのある文体は読者を絶えず唸らせ続けます。
『桃尻語訳 枕草子』
本書は1000年ほど昔に書かれた清少納言の『枕草子』の現代語訳です。
「春って曙よ!だんだん白くなってく山の上の空が少し明るくなって、紫っぽい雲が細くたなびいてんの!」
これだけ読むと過激な翻訳のように見えますが、清少納言の言葉を直訳しようと努めて生まれたものです。
註や解説が驚くほど丁寧で、イラストも盛りだくさんなので予備知識のない読者にはありがたい作品です。
本書を通読すればわかるように、著者が本書を完成させるまでには10年以上の時間がかかっています。
上巻、中巻、下巻で構成されていますが、下巻のあとがきを読むと、著者がいかに魂を込めて本書の執筆に取り組んだのかがわかります。
『枕草子』が身近に感じられ、「古典ってこんなに楽しいものなのか!」と古典に対する見方が変わるのも本書がもつ魅力の1つです。
本書の冒頭には、次の言葉が記されています。
とりあえずは、受験勉強に頭に来ていた諸氏諸嬢、ならびに受験勉強に頭に来ている諸君へ―
「古典ってなんか難しそう」「古典が大切なのはわかるんだけど手が伸びない…」と思い悩んでいる方にはぜひ読んでいただきたいです!
『上司は思いつきでものを言う』
本書では、「どうして上司というやつは、思いつきでものが言えるのか?」が考察されています。
「埴輪の製造販売」を生業としている会社という突飛な例を挙げ、業績不振を打開するためにアイディアを出す部下と、それを聞いて反応する上司のやりとりを論じながら、著者独自の視点で日本の組織がもつ問題点をあぶり出します。
「あなたの建設的な提案は、なぜ上司に理解されないのか?」
「我々の会社が傾いている責任は、我々にではなく、外部のどこかにある」
こういったことにお悩みの方は本書を読んでみてください。
保守的な日本企業の組織構造が懇切丁寧に解説されています。
儒教思想がメンタリティーに溶け込んでいる日本の歴史的背景にも目が向けられ、平易な文章で日本の組織がもつDNAが説かれています。
難しい言葉を使わずに書かれているのでなかなか気づかないものですが、本書を読み終わる頃には著者の底知れない知性に驚きを禁じ得ないはずです。
『二十世紀』
20世紀というと、第一次世界大戦、第二次世界大戦、冷戦、ヴェトナム戦争など、戦争や革命をイメージしがちですが、1年ごとに見ていくと大事件が起こった年は多くないことがわかります。
子どもの頃の著者は「自分の生きている社会はどっかがへんだ」と思っていて、「どんないきさつで”こんな時代”になったのだろう」ということを最も強く知りたがっていたといいます。
「私がこれまでに書いた本の中で、最も個人的な本」と記しているように、本書は1900年から2000年までを著者が1年ずつ、世界の出来事を丹念に調べ、考え、言葉にした作品です。
「二十世紀は、相変わらず古い十九世紀的な原則の続く時代だった」「”政治”や”流行”が介入しないと、二十世紀はけっこうゆっくり進むものらしい」といった、著者ならではの視点で語られる二十世紀論は読者の目を開かせます。
二十世紀という百年にわたる時代を振り返り、どんな時代だったのかを知りたい、考えたい方にはぜひ読んでいただきたいです。
『大江戸歌舞伎はこんなもの』
著者が長年惚れ込んでいた、大江戸歌舞伎の世界に誘うのが本書です。
日本の封建制度の中で生き残った歌舞伎は、全体と各部が二律背反するところで揺れ動きながら、必然の中に偶然の花を計算づくで咲かせるところに「表現の自由」を持っていました。
江戸時代は、定着あるいは膠着した身分制社会であり、大枠は動かせないため中身をひっくり返すことにしか創造の道はありませんでした。
その制約によって、歌舞伎は同時代の浄瑠璃と競いながら独自に発展していきました。
著者は歌舞伎の魅力をその「わからなさ」と記しています。
自分に都合の良いわかり方しか望まない近代合理主義を撥ねつける、歌舞伎という娯楽の素晴らしさが本書には散りばめられています。
歌舞伎の基本的なルールや専門用語、種類など初心者から楽しめる内容です!
『大不況には本を読む』
本書は2008年の秋に「百年に一度の大不況」といわれた世界金融危機の影響を受け、日本が大不況に陥っていたときに書かれました。
かつて「出版は不況に強い」といわれていましたが、いまとなっては忘れられた言葉になっています。
著者は出版という業種が、「景気の動向に左右されずに存在する人のあり方」を基盤とする、本というものを作り出す産業だったから不況に強かったと考えます。
未曽有の大不況におそわれたとき、わたしたちは「どうやって生きていくか?」を考えます。
その大切なことを考える大きな力を与えてくれるはずの出版が、その特性をなくしてしまっているのはおかしい。
そう思って、著者はこの本を書くことにしたといいます。
当時の不況はどのような不況だったのか、人類のあり方はいかなるものか、「本を読む」ということは何か、という道筋で話が進んでいきます。
本書の終章だけでも読んでいただきたいです。
「本を読む」ということは何かについて、著者の言葉でしか伝わらないものがあります!
『橋本治と内田樹』
著者と思想家で武道家でもある 内田樹氏と対談した内容がまとめられています。
特にテーマに沿って話が進んでいくわけではなく、その場で浮かんだ言葉に導かれるようにどんどん先に進んでいく、そんな作品です。
話が想像の遥か彼方まで飛んでいき、その行き着く先が誰も考えないようなことでありながら本質的で内田氏も読者も絶句してしまう箇所が少なからずあり、著者の底知れぬ知性を垣間見ることができます。
対談でありながら、橋本治という人間の「どこが普通でないか」が次々に引き出され、明らかになっていくプロセスには間違いなく対談相手である内田樹の存在があります。
本書はすぐに役に立つような実用性のある内容が盛り込まれているものではありませんが、遠回りしなければ得られない大切なものが含まれていることは間違いありません。
パラパラと読み返すはずが、気づけば何時間も経ってしまうような奥行きのある作品です。
内田樹のおすすめ名著はこちらの記事でご紹介しています。
『浄瑠璃を読もう』
タイトルにある「浄瑠璃」というのは人形浄瑠璃のことで、著者がそのテキストを読んで解説したのが本書です。
著者は、人形浄瑠璃のドラマが近代の日本のメンタリティを醸成したのではないかと考えていました。
しかしながら、人形浄瑠璃のテキストがあまり読まれておらず、入手もしづらくなっている現代ではあまり耳を傾けてもらえないのが実情。
そこで、物見遊山で手に取った読者にも浄瑠璃の奥深さをわかってもらおうと執筆したといいます。
雑誌『考える人』で連載された内容を一冊にまとめられたのが本書で、次の有名な8作品が対象となっています。
「三大浄瑠璃」と呼ばれる『仮名手本忠臣蔵』『義経千本桜』『菅原伝授手習鑑』。
近松半二が衰退期に入った浄瑠璃を盛り返した『本朝廿四孝』。
『源平盛衰記』を題材にした『ひらがな盛衰記』。
近松門左衛門が手掛けた作品からは日中ハーフの英雄、鄭成功が韃靼人の侵入によって滅亡の危機に瀕する明国を救う『国姓爺合戦』、忠兵衛と梅川の色恋沙汰を淡々と描いた名作『冥途の飛脚』。
最後はふたたび近松半二で『妹背山婦女庭訓』。
浄瑠璃は読むことで歴史がわかるようになる構成にはなっておらず、江戸時代の町人たちが、自分たちの目の前にある歴史を「自分たちの納得のいくものとして再構成しよう」と考えて編み出した独特のドラマの形をとっています。
著者の丁寧な解説からは、江戸時代的思考や日本の近代的メンタリティについての思いがけない発見があります。
本書を読んで、浄瑠璃の世界の凄さに感動すると同時に、実際に演じられる人形浄瑠璃に興味が湧いて文楽に足を運びたくなることは保証します!
『いつまでも若いと思うなよ』
著者は20代の頃から「年を取りたい」と思っていたといいます。
四世鶴屋南北という江戸時代の歌舞伎作者に注目し、歌舞伎作者の地位を確立した50歳のときからスタートして、75歳で亡くなるまで休みなく作品を書き続けた生涯に憧れていました。
他にも大長編『南総里見八犬伝』を刊行した曲亭(滝沢)馬琴、『富嶽三十六景』シリーズをはじめとする傑作を多数描いた絵師の葛飾北斎もアバウトな計算で「五十から七十五くらいまでエネルギッシュに働き続ける」ことを実践していました。
このことを知り、20代の著者は「五十にならなきゃだめなんだ」と感じ、書くことはやめずにずっと来られたのでした。
現代の人間はまず「年を取らなきゃだめだ」という考え方をせず、「年を取ったらダメになる」と考えるので「私はまだ年を取っていない」というアンチエイジングの発想になります。
著者自身が述べているように、彼の人生に対する考え方が独特なのは、公務員やサラリーマンのような被雇用労働者ではなく、自分の腕で何とかしなければならない自営の技能労働者に属する人間であったことが関係しています。
才能に恵まれた作家という印象が強い著者ですが、「俺はこれでいいんだろうか?」と年柄年中悩んでいたというエピソードには非常に驚かされます。
本書にはバブル絶頂期でマンションを購入して貧乏になってしまう話や病気になった話など、著者の身の上話が包み隠されることなく披露されています。
「橋本治はやっぱり普通じゃないな」と思いながらも、自分の来し方行く末を考えさせられる内容で、どの世代の方にもオススメの作品です。
『百人一首がよくわかる』
「百人一首」というと、カルタ遊びで親しまれた方や、全部を覚えきれなくて挫折した方など様々なご経験をお持ちかと思います。
百人一首は鎌倉時代にでき、これを選んだのは当時の貴族で、有名な歌人でもあった藤原定家といわれています。
定家は鎌倉時代までの100人の和歌の作者と彼らの作品を一首ずつ選び、時代順に並べて『百人秀歌』というタイトルをつけました。
これが百人一首の原型です。
本書『百人一首がよくわかる』は、藤原定家が選んだとされる百人一首を著者がそのままの形で現代語に訳しています。
この現代語だけを読むと、「あまり内容がない?」と思われるかもしれませんが、著者の狙いはそこにあります。
昔の言葉にすると、とても深い内容で美しいイメージがあるように見え、どんなことでも言い方によっては美しくなるし、深くもなることを実感できます。
一首ずつ読むたびに、和歌の素晴らしさはこういったところにあるのだと、ページをめくりながら頷ける作品です。
著者の各歌の解説も秀逸で、「古典っていいものだよ」というメッセージが伝わってきます。
一家に一冊置いてみてはいかがでしょうか。
こちらはご参考ですが、競技かるたでクイーン位決定戦10連覇を成し遂げた楠早紀氏の『瞬間の記憶力』という作品も、百人一首の世界を知るのにはおすすめです。
『たとえ世界が終わっても』
本書では「イギリスのEU離脱」からはじまり、ヨーロッパの成り立ち、バブルの特徴と日本のバブルの歴史、ドナルド・トランプのアメリカ大統領就任など、あちこちに話題が飛びながら、現代人のものの考え方がどうなっているのかが語られています。
自分が社会の小さなひとコマで、社会の上に乗っかって生きてるんだという「地動説」ではなく、自分の頭の中で社会がまわっている「天動説」の中で生きていて、社会と切り離された「根拠のない自我」だけが勝手に膨らんでしまった人たちがあまりに増えてしまっていると著者は言います。
数多く執筆されてきた作品に関連する膨大な知的バックグラウンドをもつ著者の語り口は、「この話は一体どこに向かうのだろう?」と感じるほど時間と空間を行き来します。
『二十世紀』の完結編のようなものと著者が語るように、全体をみると「わたしたちはどのような道を歩んできて、これからどこに向かうのか」という内容で、これからの世界を生きていくためのヒントとなる著者のメッセージには心を揺さぶられます。
『だめだし日本語論』
本書は著者と社会学者の橋爪大三郎氏の対談本です。
お二人は大学の頃から顔見知りで、教室でノートの貸し借りをしたこともある間柄だったといいます。
著者は大学の頃から有名人で、キャンパスでは知らぬ者はいないほどの知名度だったそうです。
ものを自由に考えるためには母国語に習熟していなければならないというのは、英語圏で長いあいだ生活した人たちの経験からもよく言われることです。
外国語に通暁していても、ものごとを深く考えるには自分の国の言葉を使わざるを得ないという話は、卓越した知性をもつ知識人たちの残した数多くの著作で取り上げられています。
したがって、自由にものごとを考えて自分の言葉で伝えるという行為において、日本で生まれ育った人間であれば日本語を深く理解していることが大切だということになります。
本書は、著者が冒頭で語っているように「日本語の歴史は一本の流れで説明できるものではない」というところに主眼が置かれています。
日本語というのはそもそも自分たちオリジナルの文字を持たない言葉で、日本の書き言葉というのは中国の文章そのものである漢文でした。
その状況下で、奈良時代に太安万侶(おおのやすまろ)が異文化の文字である漢字を使って、日本語の話し言葉を文章化しました。
その後、「日本語をどのように表記すれば日本語の文章になるか」という問題は何度も繰り返し検討され、現在に至っています。
本書のタイトルにある「だめだし」には、日本語のでき上がり方について改めて検討するという意味が込められています。
日本語は話し言葉と書き言葉の二刀流でスタートし、その2つは別々であると同時にたがいに交差して影響し合う関係にあります。
その2つの響き合いが日本語の美しさをつくっているというのが著者の考えです。
ものごとをシンプルにしたがる社会の中で、「正しい日本語」という一つの正解に賛同せず、日本語について自分の頭で考える著者の知的教養に感嘆します。
『負けない力』
冒頭にあるように、本書は「なにかの役に立つような実用性のある本」ではありません。
「負けない力」というのは知性のことです。
だからといって「手っ取り早く知性が身につく本」でもありません。
現代で必要とされているのは「勝てる力」の方で、実効性や有用性があって明確性と積極性を持ち合わせている力にくらべれば、「負けない力」は「役に立たない」と一刀両断されそうです。
しかし「役に立つか、立たないか」という判断は絶対的なものではなく、知性というのは「なんの役にも立たない」と思われているものの中から、「自分にとって必要なもの」を探し当てる能力でもあります。
本書でたとえられているように、知性は「穴に落ちている自分」がどうやってよじ登ろうかと考える状態とかかわりがあります。
スマホもパソコンもない状況で、まわりを見渡しながら自分の中にある答えを探すことも知性だと著者はいいます。
著者が憂いているのは、「人の考え方やものの見方がへんてこになっていないか?」ということです。
「知性」というのは、もういろんな風に負け続けています。でも、「自分で考えてなんとかする。自分で考えて、他ならぬ自分を納得させる」ということが必要であることに変わりはありません。いくら「知性」が負け続けてはやらなくなっても、「困難」というものがいくらでも存在する以上、「負けない力」である「知性」は、存在し続けなければならないのです。
自分で考えて、自分を納得させることができるようになるためのヒントが本書には詰まっています。
何度も立ち止まって考えさせられる一冊です。
おわりに
今回は作家 橋本治のおすすめ本をご紹介しました。
数々の作品で扱う決して簡単ではないテーマについて、平易な言葉で懇切丁寧に表現する著者は「読者ファースト」を地でいく作家であり、計りしれない知性をもった彼が残した作品の価値はこれからも失われることはないでしょう。
著者の作品をぜひ読んでみてください!
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