【これは読んでほしい!】思想家 内田樹のおすすめ名著19選

読書まとめ

こんにちは、アマチュア読者です!

今回は思想家 内田樹おすすめ名著をご紹介します。

著者は1950年東京生まれ。

東京大学でフランス文学を学び、大学院ではフランス文学を学びながら友人の平川克美氏と共同設立した翻訳会社を経営。

東京都立大学や神戸女学院大学でフランス文学を教え、研究されました。

神戸女学院大学で文学を長年教えながら子育てに奮闘した経験が血となり肉となり、その成果は、のちのブログで執筆した構造主義をはじめとする数々の論考で明らかにされています。

専門はフランス現代思想でエマニュエル・レヴィナスをメンターと仰ぎ、訳書『困難な自由』を刊行。

自身のレヴィナス論も執筆しています。

映画記号論、武道論と幅広く、合気道道場「凱風館の館長としても知られています。

著書は単著、共著、対談本をあわせると200冊以上と膨大です。

対談本は口述筆記されたものを頭から書き直す、リーダーフレンドリーな姿勢を徹底されていることは様々な著書で公言されています。

こんにちは、内田樹です」ではじまる著者が生み出す文章は、読者をぐいぐいと本の中に引き込み、気づけば独特の「内田節」に愉悦を感じている方も多いのではないでしょうか。

読み終わる頃には、背中を押してもらっているような気分になり、機嫌がよくなる作品が数多く出版されています。

『期間限定の思想』

著者が「女子大生」を仮想相手とし、どんな人と付き合っていけばいいのか」「大人になるとはどいいうことか」といったど直球の質問に答えていく形式のエッセイや時評記事が一冊におさめられています。

出版されて以来、20年以上の月日が流れましたが、内容はいまだにリーダブルです。

著者も書いているとおり、書物の寿命を担保するものは文体であると思わされる書きぶりで、多彩で掴みどころがない語り口で展開される論考は、読者を想像もしていなかったところに連れて行ってくれます。

「一体この話はどこに向かっていくのだろう」と思ってしまうほどの脱線話から、最後は元に戻って無事に着地する著者のライティングスタイルを存分に楽しむことができる作品です!

クリアカットな物言いをせず、あっちへ行ったりこっちに来たりしながら猛烈なスピードで頭を働かせるふるまいから学ぶことは山ほどあります!

『先生はえらい』

本書には一般的に先生といわれているものについて、考え方そのものを根底から改めたらいかがだろうかという狙いが込められています。

先生の労働環境や忙しさを称賛している本ではなく、「先生」は学ぶ者から見てどのような存在なのか、教育というのは本来どういうものなのかが著者の視点で説かれています。

「先生はえらい」というタイトルだけ読むと、世の中で一生懸命働いている先生に対するエールを想像する方もいるかもしれませんが、本書はそのイメージよりも遥かに深く「先生」に対する洞察がなされています。

いい先生かどうかは事後的に個人的な観点からしかわからない。

弟子になって回顧的に「師が教えたこと」が何であったかを知る。

こういった教訓は実際に経験されたことがあると思いますが、あらかじめ「この人からはこんなことが学べる」という態度は「先生」というものを理解できていない人のふるまいなのだと本書を読み終える頃には腹落ちしているはずです。

謎めいたパッセージを残し、「そうすることであなたは何を伝えたいのか?」と思わせ、「それが何であるかを言うことができないことを知っている人がここにいる」と誤解させる存在こそ、学びの主体性を起動させるという本書のメッセージには心を揺さぶられます!

『態度が悪くてすみません』

ふつう「態度が悪い」と指摘されて「すみません」と返すと、真面目に反省しているという印象を受けますよね。

しかし著者は、「自説に対するあまりの執着のなさ」という柔弱な形態をとる「態度の悪さ」があると主張します。

著者が「すみません」というとき、相手からの指摘の中に「私についての情報」を増やす手がかりがないと判断しているといいます。

知的好奇心が旺盛な方は、「それは違うよ」と言われたときに「どこが間違っていたんだろう?」と問い返すことがあると思いますが、もうすでに知っている情報を伝えられても知的興奮は起こらないですよね。

自分についての正しい情報ではなく、自分についての新しい情報を得るからこそ知識が増え、知識が増える運動が多様かつ高速で展開されるほど面白いと著者は考えます。

それに対して、もうわかっていることを聴くのはある種の苦痛だといえます。

人の話を聴くことについて、著者の卓見が光る「まえがき」の一部を読むだけでも本書に引き込まれます。

人の話を聴くというのは、自分が何を言いたいのかをまだ知らない人が口を開くその現場に立ち会うことです。知が生成している当の場所に立ち会うということです。

聴き手である私はこの生成プロセスの立会人であり、その人がいま語りつつあることばが含んでいる「私についての知」の共同署名人です。なぜなら、その人が「自分は何を考えているのか」の探求を始めるきっかけをつくったのはほかならぬこの私の存在なんですから。私たちが自分について知りたいと思うことは他者を経由してしか入手されない。これが肝心なことです。

なるべく相手にすみませんと言わせないように人間関係を構築し、維持することは気疲れがするけれど大切なことなのだと納得できる内容です。

以上のことはすべて本書の「まえがきが長くてすみません」に書かれています。

そのあとの1章から6章までのテーマは、情理を尽くして語る著者に読者が耳を傾けるような構図で、読み終わったころには辺りが暗くなり、とっぷり日が暮れているというご経験をされるかもしれません。

『知に働けば蔵が建つ』

著者は雑学と教養の違いを本書の冒頭で教え諭しています。

いわく、雑学的情報は「一問一答」形式で管理されている一方で、教養は形のある情報単位の集積のことではなく、カテゴリーもクラスも重要度もまったく異にする情報単位のあいだの関係性を発見する力であると。

「そのこと」が何のことだかわからないにもかかわらず、「そのこと」が引き金となって、一つのお話を思い出すというのが人間知性の機能の仕方だというのです。

知性が話を語り始めるとき、ふりかえってもその契機を言うことができず、その話がどのように終わるかもわからないというのは目標に脇目も振らずに一直線に突き進む姿勢とは異なります。

知性の仕事には時間がかかり、不動の自己同一性を維持したままでは知性の仕事はできないというのは現代では忘れがちですが、著者の情理を尽くした言葉にふれると大切なことを思い出せます。

話をしているプロセスそのもの、過去と未来へ同時に開かれていく生成プロセスそのものに価値を置くこと。

本書で扱われるテーマは、知性や教養が通底しています。

冒頭からぐいぐいと著者の世界に引き込まれてしまい、読み終わる頃には元気になる素晴らしい作品です!

『ひとりでは生きられないのも芸のうち』

現代社会の危機に対する処方は、「常識ある大人」の頭数をもう少し上積みすることだと著者はいいます。

たとえ欠陥だらけの制度であっても、システムの現場に「まっとうな大人」がいれば、制度のもたらす害毒は抑制できるし、どれほど立派な制度であっても、現場にいるのが「子ども」だけであれば機能しない。

若い人たちに向けて書かれた本書のメッセージとしては、「五人に一人くらいがまっとうな大人になってくれるとうれしい」と記されています。

「人間はひとりでは生きられない」という巷間いわれている事実をむしろ積極的に「能力」として捉えなおし、「ひとりでは生きられない」からこそコミュニケーション能力の開発や、他者と共生する仕方の工夫に惜しみなく資源を注ぎ込めるという意味が、本書のタイトル『ひとりでは生きられないのも芸のうち』に込められています。

コミュニケーションの要諦について、著者は次のように説きます。

「自分が手に入れたいもの」は、それをまず他人に贈与することでしか手に入れることができない。贈与したものに、その贈与品は別のところから別のかたちをとって戻ってくる。

自分の所持品を退蔵するものには誰も何も贈らない。それが人間的コミュニケーションの基本ルールである。

非婚・少子化時代、働くということ、メディアの語り口など、様々なテーマについての著者の論考は、「あまりに常識的なことなので、あまり語られてこなかったこと」にも関わらず、著者にしか表現できない独創性のある内容です。

巻末には、著者と三砂ちづる、鹿島茂の3人による特別座談会「お節介で何が悪い! お見合いは地球を救う」が掲載されています。

日本に伝統的なマッチメイキングのノウハウが喪失していること、結婚相手を選ぶ基準など、読んでいて楽しい話が盛りだくさんです。

婚活で悩んでいる方が読むと、ふっと心が軽くなるかもしれません。

『橋本治と内田樹』

著者が偉大なという形容詞を惜しまずに冠する作家 橋本治と対談した内容がまとめられています。

特にテーマに沿って話が進んでいくわけではなく、その場で浮かんだ言葉に導かれるようにどんどん先に進んでいく、そんな作品です。

しかしながら、著者が対談相手にここまで圧倒される本は珍しいのではないかと思います。

話が想像の遥か彼方まで飛んでいき、その行き着く先が誰も考えないようなことでありながら本質的で絶句する。

対談でありながら、橋本治という人間の「どこが普通でないか」が次々に引き出され、明らかになっていくプロセスには間違いなく対談相手である著者の存在があります。

本書はすぐに役に立つような実用性のある内容が盛り込まれているものではありませんが、遠回りしなければ得られない大切なものが含まれていることは間違いありません。

パラパラと読み返すはずが、気づけば何時間も経ってしまうような奥行きのある作品です。

作家という肩書では捉えきれないほどの大人物である橋本治の作品はこちらの記事でご紹介しています。

『街場の読書論』

本書には、著者がおもにブログで書いた書物書くことについてのエッセイが収録されています。

コナン・ドイル、ウォルター・スコット、エーリッヒ・ケストナー、カール・マルクス、リチャード・ホーフスタッター、クロード・レヴィ=ストロースといった世界的に有名な著者たちの名作を引用しての読書論、著者の読書遍歴、自著についての執筆エピソードだけでなく、知性とは何か」「リーダブルな文章とはどういうものか」「言葉が伝わるというのは、どういうことかなど、書くことに対する熱意あふれる論考も展開されています。

「リーダビリティの本質はコンテンツにあるのではなく、「そのメッセージは自分宛てのものだ」と直感する人を得ることにある」という著者のメッセージは読者の心に沁みわたります。

わたしは著者の作品を100冊以上読んできましたが、読書好きな方には本書が「そうそう、それを言ってほしかった!」と何度も頷く内容をもっとも多く包摂しているのではないかと思います。

頷くだけでなく、「読み終わったから何かしようか」とアウトプットに対して重い腰を上げる気持ちが湧く一冊です!

『本当の大人の作法』

著者と精神科医名越康文氏、小説家橋口いくよ氏による鼎談集です。

1年弱のあいだ、3ヶ月に1度ほどの頻度で語り合った内容を橋口氏が文章にまとめた本書は、ソーシャルメディアの時代における人としての態度に関する話題が多く取り上げられています。

楽しく鼎談してる様子が文章から伝わってくるので面白く読めるのですが、ふとした時に知性は贅肉のようについてくる」「愛の反対語は敬意といった名文句が登場して意表を突かれます。

タイトルの大人の作法というのは、マニュアルや形式ばったふるまいを指しているのではなく、同調圧力や嫉妬が渦巻くネット社会で機嫌よく愉快に生きていくための知恵を意味しています(たぶん)。

読み始めてから読み終わるまで、一本のうどんをずるずると啜るように読めてしまう楽しい作品です。

『修業論』

長年にわたって合気道の稽古に励んできた著者は、これまで武道について多くの作品を書いています。

本書はそのなかでも修行にフォーカスして書かれた修業論です。

消費者マインドが染みついている現代の人々にとって、修業というのはマンガやアニメのキャラクターが演じるもので、実際には存在していないような認識ではないでしょうか。

すでに効果や結果がわかっている対象を購入し、使用する。

あるいは利用したり流用したりすることで「その通りになった!」と感じるプロセスは、食料品、化粧品にかぎらず、スポーツのトレーニングにも当てはまります。

もはや死語になりつつある「修行」について、著者が語る論考は上記とは一線を画しています。

修行の意味は、事後的・回顧的にしかわからない

敵とは自分の心身のパフォーマンスを低下させる要素であり、無敵とはそれを最小化(できれば無化)することである

こういった考えは普段なかなか浮かんで来ないものですが、著者の語り口に乗って読み進めていくうちに、何だか身体のこわばりが取れてきて機嫌がよくなってきます。

自分が無意識に囚われている枠組みの外に連れて行ってくれる、目から鱗のアイディアが満載です。

武道や修行に興味のある方はもちろん、「じゃあ無敵になるためにはどうしたらいいんだ?」と思った方も、ぜひ読んでみてください。

読めば読むほど味が出る「するめ」のような作品であることを願っていると著者が書いているように、読んで後悔することはないはずです!

『聖地巡礼 ビギニング』

著者と住職の釈徹宗氏が神社仏閣を巡りながら対談をした内容がまとめられています。

「まえがき」に書かれているように、本書には変わったところが2つあります。

その1は、この対談の90%近くが移動しながら行われていることです。

一般的な対談が静止状態で静かな場所でおこなわれることを考えると、たしかに変わっています。

歩きながら、あるいは車で移動しながら話していると、「突拍子もないこと」を思いつく傾向があると著者は言います。

肩肘を張らずに程よく身体が弛緩している状態だと、五感のセンサーの感度が上がり、「聖地巡礼」の目的である霊的感受性を敏感にして、霊的なものの切迫を触覚的に感じることが達成しやすくなる。

エビデンスがあるかはわかりませんが、この姿勢であれば感受性が高まりそうですよね。

もう1つの変わったところは、本書が聖地を歩くという実践の記録でもあるということです。

大阪の上町台地、京都の蓮台地と鳥辺野、奈良は飛鳥方面へと足を延ばし、現地で思いついたことを語り合う企画というのは珍しいのではないでしょうか。

当然その内容も普段話さないようなことばかりで、読みながら「斬新なアイディアだな」と刺激を受ける作品です。

途中に釈氏のありがたい法話も収められていて、読み終わる頃にはほっこりとした気持ちになれます。

『邪悪なものの鎮め方』

本書では邪悪なものと遭遇したときにどう対処すればよいのかについて、著者がブログで書き連ねた記事を集めたコンピレーションアルバムのような作品です。

といっても、「邪悪なもの」というのは幽霊や吸血鬼、ジェイソンのようなホラー映画に登場する実体のありそうな存在ではありませんし、その取扱い方法をまとめたノウハウ本でもありません。

著者が考える「邪悪なもの」を構成する条件は二つあります。

一つは、「それ」と対峙したときに「どうしていいかわからなくなる」こと。

もう一つは、何もせずに手をこまねいていると必ず「災厄」があるということ。

本書には、どうふるまってよいかわからないときにでも適切にふるまうためのヒントが満載です。

どうふるまったらよいかわからないということは、合理性やスマートさ、効率性とは別の尺度でものごとを観る眼が養われていなければなりません。

キーワードは、「ディセンシー」(礼儀正しさ)、「身体感度の高さ」、「オープンマインド」です。

それらが定量化できない定性的な知性と深くかかわっていることは、本書を読むと腹落ちします。

『街場の五輪論』

著者と、経営者であり著者と数十年の親交がある平川克美氏、舌鋒鋭く社会に潜む問題を抉り出す天才コラムニストの小田嶋隆氏による鼎談本です。

本書が出版されたのは2014年の2月で、オリンピックが東京に決まった2013年9月8日から数ヶ月が経った時期にあたります。

鼎談自体は2013年の10月終わりに行われています。

オリンピック招致に対して三人の意見が一致しているのは大いに意義あり!ということです。

メディアは招致成功の要因として、大会運営能力の高さや財政力、治安の良さなどが評価されたと報じていましたが、実際には治安の良さが圧倒的なアドバンテージになったと著者たちは言います。

確かに安全でインフラも整備されていて、食事も美味しい国は世界中でも稀有です。

しかし、どうしてメディアがこの事実を大々的に報じないのかといえば、招致派は概して改憲派であり憲法九条の恩恵を受けている事を口に出せないからであるというのが著者たちの見解です。

マドリードでは2004年に通勤ラッシュ時を狙った列車爆破テロ、イスタンブールでも反政府デモが燻っていました。

これら2都市と比較して、東京ではテロの心配がなく、セキュリティー性が図抜けていました。

治安の良さを担保している最大の功労者は憲法第九条であり、それによって続く平和を享受しているということは歴史的事実です。

お・も・て・な・しが記憶に残るプレゼンテーションはグローバルに訴える仕上がりでしたが、本書ではメディアで取り上げていないオリンピックの功罪について、「そうだったのか!」と膝を打ちまくる知見が満載です。

五輪招致成功によって誰が得をするのか(したのか)、どのような運営が日本にとってふさわしいのか、オリンピックについて考えることは特に戦後日本を深く知ることに繋がるのだと腹落ちする作品です。

『本当の仕事の作法』

前作『本当の大人の作法』に引き続き、著者と名越康文氏と橋口いくよ氏による鼎談集です。

本書の大きなテーマは仕事です。

著者はこの世で一番大切な仕事として、この世界に秩序をもたらすことと語ります。

外部から侵入してくる邪悪なものや穢れを境界線のところで押し戻す、掃除と同じくエンドレスな仕事のことを指しています。

村上春樹の『ダンス・ダンス・ダンス』に登場するフリーライターの主人公を引き合いに出し、雑誌のためにどこのレストランやホテルが良かったのかという観光記事を書く仕事を文化的な雪かきと称していることに注目します。

雪かきをしても、また雪が降ったら意味がなくなるし、雪が止んで晴れてしまっても意味がなくなってしまう。

ほとんどの人は、誰が雪かきをしてくれたのかに関心を示さない。

そのような仕事であっても、誰かが雪かきをしてくれれば凍った路面で滑って足を痛めたりということが防げる。

世の中に少しだけ「良いこと」を積み増しているけれど、誰からも感謝されない。

それでもやる。

そうやって、きちんとやったときの自分の実感が仕事の中で得られる本当の感覚だという著者たちの言葉は、仕事観に悩んでいる人にとって光明となるかもしれません。

著者があとがきで書いているまともな大人の条件もぜひ読んでいただきたいです。

成功者や働かない人をロールモデルとしてはならない理由が情理を尽くして説かれています!

『日本戦後史論』

著者と政治学・社会思想を専門とする白井聡氏の二人が、日本の戦後史をめぐっておこなった対談が収録されています。

白井氏の著書永続敗戦論が数々の賞を受賞し、世間の注目を浴びたことをきっかけに企画されたこの対談では、おもに戦争に負けてからの日本の政治思想について意見が交わされています。

対談者二人のもつ深い教養に圧倒されながらも、戦後の日本は民主的な国家になったと言われているけれど、それは虚構だとか戦前の天皇制が戦後は国際化して、天皇の位置はアメリカに取って代わられたという考えは強く頭に残ります。

学校の授業では政治のシステムは教わるものの、「政治とは何か」「選挙に行く意義はどこにあるのか」といった大切なことを考える機会はなかなか与えられません。

著者の作品ということで、単著のようにどこに向かうかわからないワクワク感を期待していましたが、本書では日本の将来についてかなり憂慮して戦後の政治を論じています。

だからこそ一層、自分の目で日本の政治を見つめ直してみようという気持ちにさせられます。

読者の知性を信じる著者が言葉をたわめ、押し伸ばし、ねじまげ、そんなふうに言葉を使った人はこれまでにいないような仕方で言葉の可能性を押し広げた、情理を尽くして語った論考に惹きつけられる一冊です。

『慨世の遠吠え』

本書はともに武道家で思想家である著者と鈴木邦男氏が対談を重ね、10時間にわたって語り合った政治や武道の話がまとめられています。

この対談に対する鈴木氏の本気度は「はじめに」を読むことで強烈に伝わってきます。

ここまでこの人は本気だという意気込みが伝わってくる文体はなかなかお目にかかれません。

さらに対談前には著者の本を50冊読み、体を張って合気道の稽古もつけてもらう。

この姿勢からは、「とにかくできるだけ多くのことを吸収したい」という情熱を感じます。

一方で、40年以上も右翼活動を続け、過激な言動で知られる論客である鈴木氏に対し、著者はがちがちに緊張していたといいます。

最初から最後まで読むと、お互いに抱いていた相手への気持ちがわかり、二人の印象が大きく変わるところも本書のおもしろさを特徴づけています。

『悩める人、いらっしゃい 内田樹の生存戦略』

月刊誌『GQ』に連載されていた著者の人生相談が単行本になっています。

寄せられた50件以上の相談ごとに対する回答は、著者自身が書いているように、基本的に「冷淡」だと感じられるかもしれません。

通常だと、相談に対して強気に「こうするべきだ!」と断定したり、相談者に寄り添って共感しながら丁寧に言葉を紡いだりするのが、新聞のコラムを含めて予想できそうな姿勢ですが、著者の場合は異なります。

相談内容に直接回答するのではなく、相談者はなぜそのような問いが生まれるようになったのかと相談の背景に目を向け、著者の洞察力を駆使して推論しています。

哲学の問題で取り上げられる「トロッコ問題」のように「AとBの選択肢のうちどちらを選ぶか」を回答するのではなく、そのような選択肢に迫られる状況に陥ってしまったのはなぜなのか」「そのような状況を回避するためにはどうすればよいのかに焦点を当てた著者の回答には、目から鱗の考えが満載です!

『コロナと生きる』

本書は著者と感染症専門家の岩田健太郎の対談本です。

岩田氏はメディアでも取り上げられているように、コロナが日本で問題視されるようになってからフロントラインで活躍し続け、ロジカルな論考に説得力を感じた方も多いのではないでしょうか。

2020年5月から数回にわたって対談が行われ、本書は2020年9月に出版されました。

当時はコロナウイルスがいま以上に謎に包まれていて、政府が配布したマスクが問題になったり、緊急事態宣言が発令されて都市圏も閑散としていた記憶があります。

この対談をいま読むと、日々のできごとを振り返って、短絡的に見通しを立てたりしていないところに驚きを感じます。

感情的に不満や怒りを露骨に表に出すわけではなく、目まぐるしいニュースに触れながらもしっかり腰を据えて射程の長い思想が随所に見られるのです。

コロナと生きる時代には、「固まるな」「同調するな」「お互いに距離をとれ」「なるべく人と違うことをして暮らせ」と著者は勧めています。

多くの人はまわりの人と同じことをしようと情報収集し、コロナ禍でのおすすめの生活を送ろうとしていたかもしれません。

それは安心感を得られますが、自分が何に価値を置き、より良く生活するにはどうすればいいのかを考える機会を失うことにもなるという言葉は印象的です。

2人の対談は、一見するとコロナと関係ないような方向に話が進みますが、要所要所でしっかりコロナと結びついた内容になっており、これぞ著者のお家芸だと感じる一冊です。

ユダヤ人研究と合気道に没頭してきた思想家と、道なき道を切り拓いて感染症の第一人者になった医学者の対談には、その場でしか生まれない言葉が散りばめられています。

おもしろくない訳がありません。

本書についてはこちらの記事で詳しくご紹介しています。

『コロナ後の世界』

自分の本をはじめて読む人の立場を考えて、怠ることなく書き直すのが著者のポリシーです。

これまで出版された本だけでなく、本書のまえがきでも公言されているほどなので、いかに読者に対する礼節を守ることを心掛けているかがわかります。

これはわたし宛のメッセージだというメタ・メッセージが多くの読者に届いてほしいという強い動機があるからこそ、著者の文章は読む者に語りかけてきます。

まるで自分と著者が一対一で対話しているような気持ちになります。

タイトルは『コロナ後の世界』ですが、内容はその他に国際社会の動向や反知性主義、共同体のあり方について、著者ならではの視点で語られています。

コロナ後の世界を生きていく中で、民主制を採用している国家(もちろん日本を含みます)の国民は、「大人になること」が求められると著者は言います。

国がまともであるためには、国民が個人としてまともでなければならないと思うこと、国に品位があるためには、国民が個人として品位あるふるまいをしなければならないと思うこと。そういった国民が一握りでもシステムの要路にいる必要があります。

なぜなら、そういう人たちは自分の生き方と国のあり方の間に強い相関を感じているので、危機的状況に陥ったときには国益を最大化するためにはどうすればいいかを自分に問いかけて、答えを得ることができるからです。

いまは世界的にコロナ禍にあえいでいる状況ですが、これからの世界をどう生きるべきかについてのヒントが詰まった一冊です。

ものごとに対する著者の深い洞察に、思わず感嘆の声を上げてしまいます。

こちらの記事でも取り上げているので、ご参考にしてください。

『複雑化の教育論』

本書は2020年の夏から2021年の3月まで3回にわたって行われた教育についての講演を書籍化したものです。

この講演は、著者が主催している道場・学塾である凱風館(がいふうかん)で聴衆を前に2時間ほど話をし、そのあと質疑応答という形をとったといいます。

子どもたちがより複雑な生き物になることを支援するのが教育の目的だというのが著者の教育に対する考えです。

昨日よりも複雑な人間になったというと必ずしも好意的な印象を受けないかもしれませんが、長期的な視点で見ると、より幸福になる、より自由になる、より賢くなる確率は高まります。

「複雑化」というのは数値的に計測することができない概念であり、単一の度量衡で評価することができないものです。

以前に比べてどのくらい複雑化したのかを評価しようとすると、その「ものさし」はその場で作り出さなければならず、大人もその成熟を支援するのは骨が折れることになります。

しかしそのシステムが駆動する学校教育が普及してこそ、民主主義において必要な成熟した大人を増やすことができるという著者のメッセージは読書の胸を衝きます。

現代日本では、教育の目的が「有用な知的技術の獲得」と「格付け」だと信じている人が多いのが現状で、受験や就職のことを考えると、無意識のうちにこのことを常識とみなしてしまう社会が形成されています。

しかし、本書を読むとその思考が孕む陥穽を思い知り、成熟し複雑化することを言祝ぐ社会には希望があると感じられます。

教育に対する著者の熱意が文体や行間から伝わってくる一冊です。

おわりに

今回は思想家、武道家、翻訳家など一括りにできない卓越した知性を持つ内田樹のおすすめ本をご紹介しました。

著者は弱き者、社会的に恵まれない境遇に置かれている人たちにも届くような文体で数々の著作を生み出してきました。

読み終わった後に何かしてみようかなとアウトプットしたい気持ちにさせてくれて、読むと機嫌がよくなる作品ばかりです。

ぜひ読んでみてください!

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