【これは読んでほしい!】哲学者 鷲田清一のおすすめ名著

読書まとめ

こんにちは、アマチュア読者です!

今回は、哲学者 鷲田清一おすすめ名著をご紹介します。

著者は1949年に京都で生まれ、臨床哲学や倫理学を専門とし、医療や介護、教育の現場と哲学をつなぎ、机上の空論で終わらせず実際に現場まで足を運んで行動する哲学者です。

著者の作品を読めばわかるように、深い洞察のなかに温かいまなざしが感じられ、この人の話を聞きたいという気持ちにさせられます。

著者の人柄については、こちらの動画を観るとよくわかると思います。

大谷大学のオープンキャンパスで語ったベンキョーって楽しい?という講演です。

勉強するとはどういうものなのか、観るたびに初心に返った気持ちにさせてもらえます。

大谷大学オープンキャンパス2012/講演会(哲学科 鷲田教授)

フランスの哲学者メルロ=ポンティ哲学とはおのれ自身の端緒が更新されてゆく経験であるという言葉は多くの著作で引用されており、著者にとって座右の銘ともいえます。

著者は大阪大学総長京都市立芸術大学学長といった、重責を担う役割を歴任したことでも知られています。

著者の作品は国語の教科書や大学入試の現代文でも多く取り上げられており、学生の中には記憶に残っている方もいるかもしれません。

朝日新聞に連載されている人気コラム折々のことばでは、著者の選んだ「ひとひねりある、普通とはちがう物の見方をしていることば」を味わい深く解説しており、人気を博しています。

『「待つ」ということ』

「待たなくてよい社会」というと聞こえがいいかもしれませんが、現代は待つことができない社会になっています。

組織は中期計画や短期計画を重視し、短いスパンで数値目標をさだめ、日々のいとなみではスマホやパソコンの操作の数秒にイライラし、相手の話を辛抱強く聴くことができない。

結果が出なければすぐに別の人、別のやり方で解決策をさがすほど、せっかちな社会になっています。

待つという行為が、ゼロに近づくほど良い社会だとみなされています。

本書は、いつしか失われてしまった待つという行為や感覚からの認識を、著者が哲学的視点で考察した知恵のつまった一冊です。

待つということは、期待や願い、祈り、焦れ、訪れを迎え入れることなど多様な意味を内包しています。

「待つことにはこのようなメリットがある」「イライラせずに待つ技術」といったビジネスや自己啓発の世界でのステレオタイプな言説を避け、「待つ」ということを様々な角度から考え、汲み取り尽くせないその対象を捉えようとするこころみは、読者の日常でのふるまいに大いに影響を与えるはずです。

待つことのできない社会がつづくかぎり、いつまでも読み継がれてほしい作品です。

『「ぐずぐず」の理由』

本書は2012年の読売文学賞・評論・伝記賞に輝いた作品です。

ぎりぎり」「ぐずぐず」「ふわふわ」「ぬくぬくといった言葉は擬態語(オノマトペ)とよばれ、ドイツ語で「音の絵」と訳されます。

オノマトペは身体感覚と深く結びついているというのは、日常生活でもなんとなく理解できるのではないでしょうか。

この言語表現は、しっくりする表現がないときに新たに口から生まれることばがもつ、概念による抽象ではなく感覚による抽象を起こす特徴を持っています。

本書はこのオノマトペを対象とし、心情の吐露ではなく他者への何らかの要求を、言葉の乏しさや貧しさの中でも、やむにやまれず表出してしまう声のふるまいを丁寧に考察しています。

こういった丁寧で肌理のこまかい表現は著者ならではのもので、読者が元気をもらえる「鷲田哲学」の真骨頂が遺憾なく発揮されています!

哲学というと難しくてとっつきにくいと考えてしまいがちですが、本書は哲学という営みを身近なものにしてくれます。

哲学にあまりなじみがない方にもオススメです!

『パラレルな知性』

本書は3.11の東日本大震災によって、専門家のプレゼンスが低下した時期に出版されました。

崩れた信頼を取り戻すのに求められているのは、パラレルな知性ではないかと著者は提言します。

パラレルということは2種類の知性が必要なことになります。

1つは専門知であり、現時点で何が確実に言えて、何が言えないのか、その限界を正確につかむことです。

しかし、現場にいる人の不安の訴えのなかで、自身の判断をいったん括弧に入れ、問題を聴きなおすこと、別の判断と擦り合わせる知性も兼ね備えていなければなりません。

専門家というと、その道に精通していて、その人の話を信頼して一方的に聞くことを無意識に想定しがちですが、東日本大震災の事故を思い起こすとその姿では不十分なのだということが日本のみならず、世界的に認知されました。

プロフェッショナルというのは、専門知だけでなく、自分を括弧に入れて対話する知性も伴ってこそ本物なのだと本書を読んで腹落ちしました。

では、どうすればパラレルな知性を身につけ、発揮することができるのでしょうか。

それは本書を通読することで見えてきます。

本書が出版されたのは2013年ですが、現在でもこれから先の未来に読んでも普遍性のある内容です。

長きにわたって読み継がれてほしい一冊です。

『<弱さ>のちから ホスピタブルな光景』

ケアの現場で活躍する13人へのフィールドワークをとおして、ケア関係の本質に迫る臨床哲学の試みが一冊におさめられています。

著者はケアについて考えるほど不思議に思っていたことがあるといいます。

それは次の言葉に表れています。

なにもしてくれなくていい、じっとでもうろちょろでもいい、黙っていてもただ待ってくれているだけでもいい、とにかくただだれかが傍らに、あるいは辺りにいるだけで、こまごまと懸命に、適切に、「世話」をしてもらうよりも深いケアを享けたと感じるときがあるのはどうしてなのか

「ケアする動物」としての人間の営みの意味を教わるために、著者はケアの様々なかたちにふれる旅にでました。

尼さんやお坊さん、学校の先生、建築家、小説家、ダンスセラピスト、沖縄アクターズスクールのインストラクター、べてるの家のメンバーなど、多くの人のところに足を運び、それぞれの場で生まれた言葉から得られるものは少なくありません。

本書を読み終わるとき、著者の注目しためいわくかけて ありがとう。という一見矛盾した言葉のもつ力が、重みを持って伝わってきます。

『しんがりの思想 反リーダーシップ論』

大学の学長職を歴任してきた著者は、リーダーシップ論が流行していることに奇妙なこと、訝しいことだと見ています。

さまざまな役割を持ったメンバーがからなる集団は、結集力やしなやかさを併せ持つものですが、みんなが「おれが」「わたしが」としゃしゃり出てくるような集団は、組織としては絶対にうまく機能するはずがないからです。

そのあと、リーダー論に素直に従うような人ほどリーダーにふさわしくない者はないという、考えてみれば腑に落ちる言葉がつづきます。

一方で、だれも未だ立ったことのないような見晴らしの良い場所へと人々を率いていくリーダーを待望する声も大きくなっています。

こういった実情は、リーダーに決定と責任をすべてあずけ、見て見ぬふりをし、ことが起きると不平不満を容赦なく浴びせるクレーマーが増えていることを含んでおり、じつは社会の劣化を隠していると考える著者の言葉には目から鱗が落ちます。

本書の「はじめに」において、著者が引用する民俗学者宮本常一『庶民の発見』で残した石工の言葉は、何度読んでも心に響きます。

「リーダー」に敏感な方にはぜひ読んでいただきたいです。

社会が縮小していく時代には、リーダーシップよりもフォロワーシップの心得が大切で、全体の気遣いができる、最後尾でみんなの安否を確認しつつ進む登山グループのしんがりのような存在、退却戦で敵の一番近くにいて、味方の安全を確認してから最後に引き上げるような「しんがり」の判断がもっとも重要になると著者は説きます。

本書はフォロワーシップに関連して、まっとうな市民とは何か、ほんとうのプロフェッショナルとは何かという問いも深く掘りさげられており、蒙を啓かされる思いがします。

おわりに

今回は、哲学者 鷲田清一のおすすめ本をご紹介しました。

社会の現実に目を向けて哲学に取り組んできた著者の作品を読んで、はっとさせられたり、背中を押してもらえたり、自分のおこないをしみじみと振り返ったりするきっかけとなる数多くの言葉に出会えます。

ぜひ読んでみてください!

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