こんにちは、アマチュア読者です。
今回ご紹介するのは、ルース・ベネディクト(Ruth Benedict)の『菊と刀 日本の型』です。
わたしはこの本を数年前に買ってから積読していたのですが、先日たまたま本棚におさめられていたのを見つけて読み始めました。
70年以上前に書かれた本とは思えないほど、日本人の行動パターンを考察した著者の洞察力には驚くべきものがあり、気づけば最後のページを読み終えていました。読んで良かったと心から思えた一冊です。
ルース・ベネディクト
本書の著者であるルース・ベネディクトは、アメリカの文化人類学者です。
彼女は1887年にニューヨーク市で生まれました。生家のフルトン家は、アメリカではかなりの旧家で、著者の先祖に当たる6人が独立戦争に参加したと伝えられているそうです。フルトン家は4代前の祖父の代に、それまで住んでいたノヴァスコシア(カナダ)から合衆国に移住してきました。
彼女の父親は医師でしたが、著者が2歳のときに亡くなり、その後は母親が学校の先生をしながら娘を育てたといいます。著者は大学を卒業後1年間、ヨーロッパに遊学し、スイス、ドイツ、イタリア、イギリスなどで生活しています。この頃に人類学を専門とする考えはなかったといいますが、多様な文化を自分の肌で経験したことは、間違いなく彼女の考え方に影響を与えたことでしょう。
『菊と刀』の訳者後記によると、彼女は背の高い、灰色の眼をした、短い銀白の髪の毛を頭にぴったり撫でつけ、いつも地味な紺または緑色の衣服を纏った品のよい老婦人で、科学者というよりはむしろ遥かに詩人らしい風貌であったといいます。著者の印象をつかめたでしょうか?詳しくはネット検索してみてください。
ルース・ベネディクトが日本に来たことはありませんでした。おそらく第二次世界大戦の影響だと思われますが、彼女が一度も来日せずに本書を書き上げたことを知り、驚愕しました。日本に長いあいだ住んでいる外国人でも、ここまでの深い洞察力で日本人の言動の背景にある精神的生活を読みとることはできないでしょう。
わたしは本書を読んでいて、アガサ・クリスティーのミステリー小説に登場する、ミス・マープルを思い出しました。家の外に出ることなく、新聞や自然に入ってくる情報だけで町で起こる殺人事件を解決してしまうマープルと、『菊と刀』を執筆したルース・ベネディクトは程度の差はあれ、似たような境遇に身を置くカッコイイ女性だなと思いました。
ミス・マープルがはじめて登場するのは「牧師館の殺人」です。参考ですが、こちらもご紹介しておきます。
『菊と刀』は何がすごいのか?
この本の凄いところは、著者が一度も来日したことがないにもかかわらず、膨大な文献を読み、日本に在住経験のある外国人の話を聞くことを通じて、日本人が無意識に行っている言動の背後にある精神的習慣をとらえたことです。
西洋から見て、日本人は礼儀正しい一方で不遜で尊大であるといいます。従順であると同時に、上からの統制に従わないと考えます。西欧の学問に熱心な国民であるとともに、熱烈な保守主義者であるとみなします。このような矛盾を前に、西欧人は”WHY JAPANESE PEOPLE!?” と頭を抱えてしまうのかもしれません。
日本人は美を愛し、芸術家を尊敬し、菊作りに秘術を尽くす国民であり、刀を崇拝し武士に最高の栄誉を帰する国民でもあるのです。この菊と刀は本書のタイトルに使われています。
菊と刀のように、一見矛盾している対象が1つの絵におさまっているのが日本文化ということになります。
本書は第二次世界大戦で連合国と枢軸国が戦っているときに、連合国側のアメリカが枢軸国側の日本に勝つために、日本の行動パターンを研究した報告書をもとに書かれています。当時のアメリカの卓越した知性が日本人について、深い洞察力を持って何を見抜いたのかは『菊と刀』を丁寧に読み込むことでわかります。
わたしは本書を読んでいる最中に、「たしかにその一面はあるな」と感じる考えにたびたび共感し、その共感が増えるほど、次第に「痛いところを突かれたな」と思うようになりました。そしてしまいには、すべてを見透かされているような気がして戦慄しました。
自分が生まれ育った国の特徴のいくつかは、外の国から眺めることで初めてわかるとよく言われますよね。『菊と刀』を読むことで、改めて日本という国や日本人が持っている特殊性が腑に落ちますよ。
おわりに
今回はルース・ベネディクト(Ruth Benedict)の『菊と刀 日本の型』をご紹介しました。「日本の文化をもっと知りたい」という方にはおすすめです。
日本と西欧の文化の違いを比較しながら論じられているので、理解しやすいですよ。ぜひ読んでみてください。
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