【戦争論とは何かがわかる必読書】クラウゼヴィッツ『戦争論』

古典

こんにちは、アマチュア読者です。
今回ご紹介するのは、カール・フォン・クラウゼヴィッツ戦争論です。

本書は軍人であった著者が、19世紀に自身の従軍経験を参考にしながら、ナポレオンやフリードリヒ大王が指揮した戦争を例として引き合いに出し、独自の戦争論を書き上げました。

『戦争論』は現在でも、戦争の本質を突く珠玉の古典となっています。

第二次世界大戦では、陸軍のエリートが本書を精読し、太平洋戦争での戦略を立てる上での参考にしています。

本書は上巻、中巻、下巻からなり、合計で1000ページ以上に及ぶ大著です。

じっくり腰を据えて読む作品であり、読み終わったときには想像以上に多くのことを学べていることは間違いありません。

戦争や政治に関することはもちろん、ビジネスについていえば経営や戦略、リーダーシップについて多くの発見があります。

ぜひ読んでほしい作品です。

『戦争論』執筆の経緯

本書を刊行したのは、著者クラウゼヴィッツではなく彼の妻でした。

クラウゼヴィッツは自らの書いた論文をまとめきることができないままこの世を去ったのです。

彼の妻であるマリー・フォン・クラウゼヴィッツは、彼の意を汲んで1832年に本書の刊行に至るまでの経緯を本書の序文で述べています。

この序文によると、クラウゼヴィッツが初めて学問的な仕事に専念し、彼の豊かな経験が生み出した果実を摘み取り始めたのは、1816年にコブレンツ(ライン川中流の都会で当時の要衝)に赴任してからのことだったといいます。

クラウゼヴィッツは1816年にこの地に新設された軍団司令部の参謀長に任じられていました。

しかしコブレンツでは業務に忙殺され、個人的な仕事にはほとんど時間を割くことができませんでした。

クラウゼヴィッツが本書を推敲し、近代の戦争を取り扱った戦史からの豊富な引用で補充するだけの時間を得たのは、彼が1818年にベルリン一般士官学校の校長に転任してからのことでした。

この時期に、彼は一切の努力を本書の執筆に捧げました。

彼が『戦争論』を執筆するにあたって、重大な戦争を含む4年間の従軍経験が大きく寄与していることは間違いありません。

重大な戦争というのは1812年のナポレオンのロシア遠征、1813年のライプチヒの会戦、1814年の同盟軍のフランス侵入および1815年のワーテルローの会戦を指します。

クラウゼヴィッツが残した遺稿には、本書に対する並々ならぬ想いが込められています。

なお私はこれらの論文を書くことによって、初めて自分の思想を明晰、確実ならしめたのである。ところが持ち前の性質は仕方のないもので、結局私はこれらの論文をさらに発展させたのである。そうなるとまた戦争の問題に精通していない読者をも考慮に入れないわけにはいかなくなった。引き続きこの仕事に従事するにつれ、また研究的精神に没入するにつれて、私はますます体系を考えるようになった。そこでいくつかの章が次第に挿入されたのである。

クラウゼヴィッツ『戦争論』(上)

2年か3年経てばすぐに忘れ去られるような書物をつくることは、クラウゼヴィッツの自尊心が許しませんでした。

彼は、戦争の問題に関心を持つ人なら、おそらく一度ならず手にしても悔いのないような書物を著したかったのです。

クラウゼヴィッツのその思いは、彼の故郷であるプロイセンを越えて世界中に広がり、200年近くの時の試練に耐えて人々に読み継がれています。

本書の構成

本書は以下の八篇から構成されています。

  • 第一篇 戦争の本性について
  • 第二篇 戦争の理論について
  • 第三篇 戦略一般について
  • 第四篇 戦闘
  • 第五篇 戦闘力
  • 第六篇 防御
  • 第七篇 攻撃
  • 第八篇 戦争計画

戦争について本質的な考察が冒頭でなされ、第四篇から第七編では具体的な戦闘の理論と実践が、ナポレオンやフリードリヒ大王のおこなった戦術を多く引き合いに出しながら説かれます。

第八篇では再び戦争全体を対象に、政治と戦争は切り離せないことが強調されます。

上巻からじっくり読む進めることで、この第八篇でクラウゼヴィッツが語る戦争は政治の道具であるという言葉の重みをずしりと感じることができます。

『戦争論』で数多く引き合いに出される歴史的人物

ナポレオン

言わずと知れたナポレオン一世(1769~1821)、フランス皇帝(1804~1815)です。

ナポレオンは皇帝の称号で、本書の原文ではこの称号が用いられている箇所は稀であり、ほとんどは呼び名のボナパルトが使われています。

本書では戦争の方法を近代化させた立役者こそナポレオンだと評価されています。

『戦争論』では人名として最も多くナポレオンが引き合いに出され、ほぼ80におよぶ引用箇所は彼の軍事的行動のほとんどすべてをカバーしています。

ナポレオンに関する書籍は数限りなく出版されていますが、彼の語録を集めたナポレオン言行録が読みやすくおすすめです。

ナポレオンがどのような考えを持っていたのか、何に価値を置いていたのかがわかりやすく伝わってくる一冊です。

フリードリヒ大王

フリードリヒ二世(1712-1786)は1740年に28歳でプロイセン王として即位しました。

ハプスブルク家領で石炭などの資源が豊かなシュレジェンを手に入れたことをはじめ、異端審問における拷問を禁止する勅令、宗教寛容令の発令などの功績から「フリードリヒ大王」と称えられています。

プロイセン王でありながら将帥としても優れていたことで知られています。

芸術に対する造詣も深く、特に音楽への関心からフルートを学び、演奏会を開いたこともありました。

啓蒙主義を信奉し、ルネサンス期に生まれた権謀術数のバイブルであるマキアヴェッリ『君主論』に異を唱える『反マキアヴェッリ論』を出版したことでも知られています。

啓蒙主義を代表する人物であるヴォルテールとは文通をするほどの仲でした。

フリードリヒ大王について理解を深める本として、フリードリヒ・ヴィルヘルム、ビスマルク、ナチ体制を含めたドイツの4つの時期を比較考察したクリストファー・クラーク時間と権力がおすすめです。

詳しくはこちらの記事を参考にしてみてください。


なお、フリードリヒ大王が批判した外交官であり政治思想家のマキアヴェッリが生み出した君主論は、現代においても世界中で読み継がれ、政治家だけでなくビジネスパーソンも得るものが非常に多い古典作品です。

理性による思考を重視し、国家の平和と福祉を目指す啓蒙思想を信奉していたフリードリヒ大王にとっては、狡猾に立ちまわり権力を維持しようと考えるマキアヴェッリの政治思想は性に合いませんでした。

しかしながら、ルネサンス期に独立した諸勢力がしのぎを削るイタリアでは、君主がいかに権力を獲得して維持するかが喫緊の課題でした。

実際に読んでみると、フリードリヒ大王の主張するように道徳観に欠ける向きはあるものの、人間の心理を鋭く洞察する観察眼と分析力に脱帽します。

こちらの記事でも紹介しているので、ご興味のある方は参考にしてみてください。

【現実を見つめた政治思想のバイブル】マキアヴェッリ『君主論』
「君主が権力をいかに獲得し、いかに維持するか」を徹底的に考えたマキャヴェッリの『君主論』には、人間の心理を見通す恐ろしいまでの観察眼と分析力が遺憾なく発揮されています。

おわりに

今回は、カール・フォン・クラウゼヴィッツ戦争論をご紹介しました。

中国における兵法のバイブル『孫子』とならび、戦争の古典的名著として知られるのが本書です。

ダイジェスト版ではなく原典である本書を丁寧に読むことで、クラウゼヴィッツが何を伝えたいのかが明確になり、自分が思ってもみなかったほど多くのことを学べています。

この機会にぜひ読んでみてください!

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