こんにちは、アマチュア読者です!
今回ご紹介するのは、千葉雅也『現代思想入門』です。
著者は1978年に栃木県生まれ、東京大学で哲学を学び、現在は立命館大学大学院先端総合学術研究科の教授をされています(2022年6月12日現在)。
著書には『動きすぎてはいけない』(河出文庫、第4回紀伊国屋じんぶん大賞、第5回表彰文化論学会賞)、『勉強の哲学』『ツイッター哲学』など、哲学関連の書籍が数多く出版されています。
それだけではなく、小説『オーバーヒート』は第165回芥川賞候補にノミネートされるなど、文学的な才能も発揮し、多方面にわたって活躍されています。
いまなぜ現代思想なのか
本書で扱っているのは現代思想です。
今なぜ現代思想なのかというと、著者によれば、私たちは二項対立でわかりやすく物事を考えすぎている方向に向かっているからです。
世の中は、善悪や能動的と受動的、優柔不断と責任ある決断など、わかりやすく、きちんとする方向へと話が進んでいっています。
複雑なことをできるだけ単純化することに重きがおかれ、物事をクリアカットに言い切ることが正しいとされています。
科学的思考で、複雑な対象を単純なモデルに仕立て直して研究するというのも、この傾向に拍車をかけています。
ただ、現実の生活というのはグレーゾーンにこそリアリティーがあり、わかりやすく済む話ばかりではないですよね。
悩みや不安が尽きないからこそ、自己啓発や占い、人生相談に価値があると考える人が多いのだと思います。
単純化されているようにみえて、実は複雑な社会で生きていくためには、複雑なものを安易に単純化しない考え方が必要になるのではないでしょうか。
本書で紹介される現代思想を学ぶと、そういった複雑なことを単純化しないで考える習慣が身につきます。
単純化できない現実の難しさを、以前より「高い解像度」で捉えられるようになるというのが著者の経験的確信です。
デリダ、ドゥルーズ、フーコー
本書でいう「現代思想」は、1960年代から1990年代を中心に、おもにフランスが発祥となる「ポスト構造主義」を指します。
上述したように、二項対立で考えるのではなく、複雑なものを複雑なものとして捉える考え方です。
善vs悪、自然vs文明、文系vs理系などの二項対立に立脚した思想を脱構築し、勝ち負けが留保される状態でものごとを考えることの大切さがよくわかります。
本書ではポスト構造主義の代表的な哲学者として、ジャック・デリダ、ジル・ドゥルーズ、ミシェル・フーコーが取り上げられています。
デリダは「概念の脱構築」、ドゥルーズは「存在の脱構築」、フーコーは「社会の脱構築」を展開した哲学者で、対象は違えど、安易に対立する二つを持ち出して優劣をつけるのではなく、勝敗に括弧をつけて考えることの大切さが説かれているといいます。
わたしは本書を読んで、ポスト構造主義というのは「自分は間違っているかもしれない」ということを常に頭の片隅においてふるまうことなのではないかと勝手に考えました。
自分が絶対的に正しいと思っていると、これが正義でこれが悪だと決めつけて考えて固定してしまうような気がします。
本書では、自分の考えを「仮固定」しながらコロコロと考えをひっくり返していくことの大切さが説かれています。
自分という存在は生物学的にいえば日々変わっていくものですし、固定した考えに執着することが必ずしも正しいとはいえません。
現代思想というのは何だか難しそうで、とっつきにくい印象を持ちますが、「ま、いっか」と執着しないことで気分が楽になるのは経験として実感がありますよね。
哲学と自分の経験をむすびつけて物事を考えることっておもしろいんです。
おわりに
今回は、千葉雅也『現代思想入門』をご紹介しました。
本書には、わたしのような哲学初心者にとっては難解な部分も少なくありませんが、読み終わって「現代思想って日々の生活に役立つ考え方が満載なんだ」と思える一冊です。
本書を読むことで、哲学によって自分の世界が豊かになる経験ができます。
ぜひ読んでみてください。
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