スパイといえば、映画で見る銃撃戦や手に汗にぎるカーチェイス、あるいはハニートラップを連想してしまうが、こんなことは現実に起きているのだろうか。
今回紹介する『KGBの男 冷戦史上最大の二重スパイ』を読むと、スパイとして活動する人間は、ときにとてつもないインパクトを世界に与えていることがよくわかる。
映画とは違ったスリルをじっくりと味わえるのが本書だ。
KGBという旧ソ連の諜報機関で働くスパイが、イギリスの諜報機関MI6に10年以上にわたって国家的機密情報を送り続けていたという。
当事者のオレーク・ゴルジエフスキーはKGBで活動する父をもち、ヘンリー・キッシンジャーが「ロシアのハーヴァード大学」と呼んだ名門校モスクワ国際関係大学で学んだ。
学生時代は熱心な共産主義者で、陸上競技のクロスカントリーに打ち込む学生だった。
卒業後は兄とともにKGBで活動するようになる。
しかし、1961年にソヴィエト大使館の翻訳官として東ベルリンに派遣されたときに、ベルリンの壁建設を目の当たりにする。
当時の東ドイツでは、西ベルリンを経由して西側に脱出する国民が増加し、1961年の時点で総人口の約20%にあたる約350万の東ドイツ国民が共産圏から逃れていた。
東ドイツ政府はソ連政府に促され、人口流出を食い止める強硬策としてベルリンの壁を建設した。
全長は150キロメートルに及び、鉄のカーテンを具現化したものとなった。
境界付近に配置された警備員は、脱出しようとする者は誰彼かまわず射殺せよと命令されたという。
国民が自由を求めて逃れようとしているのを監視し、その自由を奪う社会は彼に強烈な印象を残した。さらに1968年のプラハの春に対するソ連軍の侵攻もゴルジエフスキーの思想転換に影響を与えた。
文学や音楽といった西側の文化的教養に密かに触れ、自国の真の歴史を知り、派遣先の西側諸国での民主主義的な生活を経験したこともおおいに寄与したに違いない。
こういった経緯を読むと、自分が日常で経験する世界の外に出てみることは自己のふるまいを振り返るきっかけになるのだと、つくづく感じる。
二重スパイとして活動していたゴルジエフスキーは、頭脳の明晰さとMI6からの支援によって昇進を続けていく。
そのたびに重要情報にアクセスできるようになり、1984年のマーガレット・サッチャーとミハイル・ゴルバチョフの会談にも関わった。
イギリス側とソ連側の議事録に齟齬が生じないように駆けまわり、核戦争回避に多大な貢献をしたのである。
しかし、その後まもなくKGBから嫌疑をかけられモスクワに軟禁される。
このときにMI6が発動した「ピムリコ」作戦は、まるで映画のように危険と隣り合わせで咄嗟の機転がたよりの脱出劇である。
この一部始終はぜひ読んでもらいたい。
人はどうしてスパイになるのかという疑問についても本書に書かれている。
イデオロギーや愛国心、金銭的報酬、秘密によって生まれる特有の優越感や仲間意識などさまざまなようだ。
活動を続ける中で、ゴルジエフスキーのように政治的思想に変化があって二重スパイになった人間もいれば、金目当てで敵対する諜報機関に機密情報を送って私腹を肥やすスパイもいる。
エリート集団の諜報機関ではたらくスパイは、一般市民が送る生活とは一線を画す日常を過ごし、自国への忠誠心と私欲との葛藤にたえず苛まれているのだ。
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