こんにちは、アマチュア読者です!
今回は、インド哲学者で日本のみならず、世界的に東洋思想を広めた中村元の名著を6冊ご紹介します。
出版された順に掲載しているので、著者の作品は興味があるけれど「どの本から読んだらいいのかわからない」「読む順番がわからない」方にもご参考になるかと思います。
著者は1912年に島根県で生まれました。
東京大学でインド哲学を学び、東洋思想研究者として世界的に活躍し、日本の比較思想学の分野を開拓しました。
東大教授、文学部長を歴任し、1973年に大学を退官後、私塾「東方学院」を創設し、研究者以外にも東洋学、仏教学の門戸を開いたことでも知られています。
学界の区分では、専門がインド哲学と認識されていましたが、「インド哲学」というと難解生硬な術語をそのまま用いる学問と世間では考えられていたこともあり、著者は自らの専攻を「インド思想史」と称していました。
著者が長年にわたって様々な研究を手がけたなかで、特筆すべき業績のひとつに原始仏教の研究があります。
日本の仏教は他のアジア諸国には見られない独自の宗派仏教であり、開祖についての研究は微に入り細をうがって研究されていました。
しかし、おおもとのゴータマ・ブッダ(釈尊)が何を教えたかということについては、あまり注意されてこなかったといいます。
著者は言語学的、文献学的、考古学的基準によって原始仏典を客観的に論述、翻訳しました。
現代においても、著者が翻訳した原始仏典は多くの人々に読まれています。
著者については、以下の動画を観るとわかりやすいかもしれません。
『真理のことば 感興のことば』
本書は、起源が紀元前3世紀以前にさかのぼるパーリ語で書かれた仏典である「真理のことば」(ダンマパダ)と「感興のことば」(ウダーナヴァルガ)を著者が翻訳したもので、世界でも初めての完訳として知られています。
両者ともブッダの教えを集めたもので、人間そのものへの深い反省や理想の姿が、格調高く簡潔な句であらわされています。
「真理のことば」のなかの次の言葉は、掲載した動画の冒頭においても著者が語っており、非常に印象的です。
学ぶことの少ない人は、牛のように老いる。かれの肉は増えるが、かれの知慧は増えない。
第11章 老いること 152
『ブッダのことば スッタニパータ』
著者いわく、仏教の開祖であるゴータマ・ブッダ(釈尊)を歴史的人物として把握するとき、その生き生きとした姿に最も近く迫りうる書―少なくともそのうちの1つ―は、『スッタニパータ』であると言っても過言ではないといいます。
本書の題名である『ブッダのことば』は『スッタニパータ』の訳で、「スッタ」は「たていと」「経」の意味であり、「ニパータ」は「集成」の意味になります。
本書は、仏教の多数の諸聖典のうちでも最も古いものであり、歴史的人物としてのゴータマ・ブッダのことばに最も近い詩句を集成した一つの聖典を翻訳したものです。
読んでみるとわかりますが、難しい仏教用語は使われておらず、簡潔なことばで人として歩むべき道が説かれています。
たとえば、気持ちが落ち着かなくて悩んだり不安に感じている方には、次の言葉が心に響くかもしれません。
『教義によって、学問によって、知識によって、戒律や道徳によって清らかになることができる』とは、わたくしは説かない。『教義がなくても、学問がなくても、知識がなくても、戒律や道徳を守らないでも、清らかになることができる』、とも説かない。それらを捨て去って、固執することなく、こだわることなく、平安であって、迷いの生存を願ってはならぬ。(これが内心の平安である。)
第四 八つの詩句の章 839
『ブッダ 神々との対話 サンユッタ・ニカーヤ』
『サンユッタ・ニカーヤ』は、パーリ文での原始仏教経典の一つです。
「サンユッタ」というのは「結びつけられた」を、「ニカーヤ」は「集まり」を意味しており、「主題ごとに整理された教えの集成」が本書のタイトルの意味になります。
タイトルにあるとおり、本書では神々との対話を通じ、ブッダの考える人が歩むべき道や法が語られています。
仏教では、人間よりもすぐれた者としての多数の神々の存在を認めていたといいます。
天にも、地にも、日月のなかにも、樹木のなかにも多数の神々がいることを想定していたのです。
その神々の性格はギリシア神話の神々や日本の神々と類似しているので、親しみを感じられる方も多いと思います。
本書における二百数十ページの本文では、神々の質問に対するブッダの回答がひたすら続きます。
読者の立場としては、崇高なやりとりを聴講しているような贅沢な気持ちがわいてくるはずです。
本書には次のような心を洗われる言葉がたくさん詰まっています。
世の中のどこにあろうとも、ことばでも、心の中でも、身体によってでも、いかなる悪をもつくるな。欲楽を捨てて、心を落ち着けて、気を静めて、禍いをともなう苦悩を受けるな。
第Ⅰ篇 第四章 サトゥッラパ群神
『ブッダ 悪魔との対話 サンユッタ・ニカーヤⅡ』
『ブッダ 神々との対話』につづく作品であり、本書ではブッダのもとに悪魔・悪しき者や尼僧、バラモン、在俗信者たちがやってきて、対話をおこなうという一風変わった内容です。
対話を通じて、生老病死や戦争、さまざまな煩悩に苦しむ人々を救い、教え導くブッダの姿が生き生きと描かれています。
たとえば、修行僧たちにとなえた次の詩には心を動かされます。
怒りに打ち克たれるな。怒った人々に怒り返すな。怒らぬことと不傷害とは、つねに気高い人々のうちに住んでいる。怒りは悪人を押しつぶす。ー譬えば、山岳が[人々を]押しつぶすように。
第Ⅺ篇 第三章 第五節 怒らぬこと(不傷害)
著者のテキスト精読はすさまじいものがあり、本書の註だけで100ページ以上あります。
その中に、「ともかく古典解釈には、机上で頭をひねるだけではなくて、サンスクリットの会話に(できればパーリ語での会話にも)習熟することと、インド古来の習俗に通暁することが願わしい。」という記述があります。
超一流の哲学者が研究に取り組む姿勢が伝わってきて、思わず背筋が伸びる気持ちがします。
同時に、著者の魂のこもった作品を読めることに幸せを感じます。
『私の履歴書 知の越境者』
日本経済新聞で連載された著者の『私の履歴書』が本にまとめられています。
著者が生まれる前の両親の話、中学校に入学して患った病気のこと、哲学を志してから出会った数々の恩師から学んだ言葉や立ち居ふるまい、スタンフォード大学で客員教授としてインド哲学や仏教哲学を教えた経験、結婚事情や子どものことなど、著者が歩んだ人生を追うことができます。
なかでも印象的なのは、『仏教語大辞典』を編纂して出版する直前に3万語近くの原稿が紛失し、一から書き直したエピソードです。
著者が受けた精神的なダメージは想像を絶しますが、本書の中にそうした描写がほとんど見られないところに著者の人となりを感じます。
この『仏教語大辞典』は、着手してから30余年、新たに再開してからでも8年を費やしたという大作です。
本書には、著者の他にも白川静、梅棹忠夫、梅原猛の『私の履歴書』がおさめられており、読み応えは抜群です。
『ブッダ入門』
釈尊(ゴータマ・ブッダ)という人が、どのような生涯を送り、どのような思想を抱いていたのかが重点的に解説されています。
出版元である春秋社でおこなわれた連続講演会において、著者が話したことを筆録し、新たな視点で加筆修正されたものが本書です。
読者に語りかけるような文体でわかりやすく書かれているため、仏教に詳しくない方にも読みやすく感じられるはずです。
わたしたちが考えている以上に、日本は仏教の影響を受けてきたことも本書につづられています。
たとえば、神戸にある摩耶山は、釈尊の母であるマーヤー夫人にちなんで名づけられています。
こういったトリビアな話や古代インドの文化に関する話も多く織り込まれているので、楽しく読み通せます。
おわりに
今回はインド哲学者である中村元のおすすめ本をご紹介しました。
著者が幅広い学術的知見を動員して執筆、翻訳した作品を読むと、仏教という枠組みを超えて、人間として大切なことを教えてもらえます。
折にふれて読み返すたびに新しい発見がある作品ばかりです。
心に響く名言や格言も満載なので、ぜひ読んでみてください!
「アマチュア読者の楽しい読書会」を開催しています。
読んでおもしろかった本について楽しく語りあう場なので、ご興味のある方はチェックしてみてください!
コメント