ある日を境に人生観が一変する体験というと、成功や失敗を思い浮かべる人が多いかもしれないが、生きていると必ず訪れるのが病気だろう。
身近な人はもちろん、自分自身が重い病と付き合っていくとなると見える世界が大きく変わるのかもしれない。
本書は国際的に有名だった免疫学者の著者が脳梗塞で倒れ、後遺症に苦しみながらも絶望の淵から這い上がった記録と、そのあと6年間に書いた随筆をおさめたエッセイ集である。2008年に第7回小林秀雄賞に輝いており、著者の内面が包み隠さずつづられている。
リハビリの成果がなかなか出ず、歯がゆい思いをする。
それまでできていたことが出来なくなり辛い気持ちになる。
しかしある日、麻痺していた身体の一部が動くようになって喜びの涙を流す。
著者はこの経験を、「自分の中で何かが生まれている感じである」と表現する。
その何かは弱々しく鈍重だが、無限の可能性を秘めて彼の中に胎動している。
いつ動き出すかわからないが、それを待ち続けることが希望となる。
信じて期待する新しい自分が、本書のタイトルである寡黙なる巨人なのだろう。
倒れた後のさまざまな体験を通じて、著者はなかなか言うことを聞いてくれないこの巨人と一生つき合っていくという境地に達する。
カフカの『変身』でグレゴール・ザムザが巨大な毒虫になったように、わたしたちもある日を境に半身の自由を失って文字が書けなくなり、声を発することが出来なくなり、いつ歩けなくなるかわからないことになったらどうするだろうか。
本書にはその状況に向き合う姿勢が描かれている。
著者は、「もはや歩けない日が、オール・ザ・サッドンにやって来ても、今日という時間を懐かしむことができるように」毎日を過ごしたのである。
パソコン操作を習って原稿を書き、自らも苦しむ政府の合法的な医療制度改悪に異を唱えたことで大きな社会運動を生んだ。
造詣の深かった能の新作も書いた。
本書を読むと、どんな人でも自分が想像しなかった出来事によって、それまでの生活が一変してしまうことがあると思い知る。
そんなことはわかっていると言下に答える向きもあろう。
だが人間というもの、それほど賢明ではない。
知識として知っていても、いざ当事者となると慌てふためき、未来に絶望したりするのだ。
しかし、そのような状況に置かれても、著者のように現実を直視して前に向かって行動し、わずかな進歩でも素直に喜べる人には救いがある。
いかなる状況に置かれても、何かしらの生きがいを見つけられる人は幸せである。
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