【これぞ自己啓発】上田閑照、柳田聖山『十牛図』ちくま学芸文庫

古典

こんにちは、アマチュア読者です!

今回ご紹介するのは、『十牛図 自己の現象学』です。著者は禅や神秘主義の研究で知られる上田閑照氏と中国禅仏教が専門の柳田聖山氏です。

「十牛図」という禅のテキストがあります。牛を見失った牧人が牛を探しに出て、野生に戻っていたその牛を飼いならしながら、牛と一体になっていくことを辿った10枚の連続した図のことです。

十牛図 - Wikipedia

わたしが最初にこの古典「十牛図」を見たときは予備知識が何もない状態だったので、深いことは考えず、マンガのように1枚ずつ追っていきました。

最初のうちはある程度わかった気がしたのですが、途中でつながりがわからなくなって頭が混乱した記憶があります。「いったい何を言っているんだ?」という気持ちが残りました。

本書はこの謎めいた(わたしだけでしょうか?)「十牛図」を手引きとして、自己と他、自然と人間、自己自身に対する関わりについて、著者の解釈がなされています。

わたしは「十牛図」に興味を持って読んだのですが、「こういう考え方があるのか!」と驚きました。禅や十牛図に興味がある人はもちろん、「自分はいったい何なのか?」「本当の自分って何だろう?」と現代社会で悩んでいる人にもおすすめできる1冊です。

8枚目からは…

十牛図は牛を見失った牧人が牛を探すところから始まります(第一尋牛)。

牛の足跡を見つけ(第二見跡)、牛を見つけ(第三見牛)、牛をつかまえます(第四得牛)。

その牛を飼いならして(第五牧牛)、牧人は牛に乗って笛を吹きながら家に帰ります(第六騎牛帰家)。

そして、満足して牛のことは忘れる(第七忘牛存人)というのが私の解釈でした。

これではマンガを楽しんだだけで、何か得るものがあったわけではなかったのですが、「絵がきれいだから何か元気が出たな」と思いました。

その勢いで8枚目を見たときに、頭の中がでいっぱいになりました。

描いてあるのはまるい円だけだったからです(第八人牛俱忘)。

さらに9枚目には川と花の自然描写(第九返本還源)がつづき、最後は牧人とそれまで登場していなかったおじさんが談笑している場面(第十入鄽垂手)で十牛図は終わります。

自己とは

本書の表紙には「自己の現象学」というサブタイトルがあります。

「自己」というあり方の問題、さまざまな状況で自己というものが自分の中にどのように現れるのか。十牛図について書かれた本書を深く読み込むことで、自分のあり方を見つめ直すことができることができます。

8枚目で頭が混乱したとき、わたしは「これは自分の考え方が間違っているかもしれない」と思いました。

ただ、どうやって考えたらいいのかよくわかりませんでした。そういった気持ちを持って本書を読み始めたのですが、「10枚の絵なのにこれほど深く考えることができるのか!」と驚きました。

たとえば、十牛図ではおもに牧人と牛が登場します。わたしは人間なので、無意識に牧人に焦点を当てて絵を見ていました。

しかし、牧人を「本当の自分を探している自分」と捉えると、実は真の自分は逃げた牛の方になります。このように考えると、牛を見つけて無事に家に帰った牧人は、本当の自分を見つけて喜んでいるように見えます。

これで一件落着と思いたいところですが、「真の自分」と「真の自分を探している自分」を分けて考えることに問題があると考えるのが十牛図の思想で、8枚目の円相は「そういうことは一度忘れなさい」と諭しているのです。

完成した真の自分がいるということは、そこで動きが止まってしまうことを意味しています。動きが止まるというのは、それまでの動きが逆転してしまう危険をはらんでいます。真の自己というのは、具体的な対象ではなく常に変化し続ける存在であるというのが十牛図から読みとれることの1つなのです。

十牛図を理解しようと努めることは、自分の内面を深く掘り下げることにつながります。十牛図を完璧に理解したぞ!と思ったときが自己の進歩が止まるときなのだと本書は教えてくれます。

おわりに

これまで書いてきたことは本書を読んだわたしの解釈ですが、他にもさまざまな視点で十牛図についての考えを巡らせることができます。

自己をどこまでも突きつめる禅はもちろん、エックハルトやニーチェ、ハイデッガーといった西洋哲学者の思想を参照しながら十牛図を読み解く本書は、繰り返し読む価値があります。

「10枚の絵のことだけなのに、これほど自由に考えられるのか!」と感動すること間違いなしです。本書はものごとを深く考えるためのヒントが満載なので、ぜひ多くの人に読んでいただきたい1冊です。

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