【もしも王子様になったら】マーク・トウェイン『王子と乞食』岩波文庫

文学

こんにちは、アマチュア読者です!

今回ご紹介するのは、マーク・トウェイン『王子と乞食』です。

著者は日本では、「トム・ソーヤーの冒険」や「ハックルベリー・フィンの冒険」で有名なアメリカの文豪です。

タイトルのとおり、この作品には王子と乞食という地位としては正反対といってもいい関係の2人の主要人物が登場します。

この2人はうりふたつの顔だちをしていて、あるとき立場が入れ替わってしまいます。

生活環境がまったく変わってしまった状況で、2人のふるまい方が非常におもしろかったです。

2人が入れ替わるまで

貧民街に住んでいるトムは、宮廷の物語を聞いたり読んだりしているうちに、本物の王子に会いたくなります。

ある日、王子が住む宮廷の前に立っていると、王子が近くを警護されながら通るところを目にします。

少しでも近くで見たいと門の格子に顔をくっつけていると、番兵に荒々しく放り投げだされてしまいます。

それを見ていた王子エドワードはトムを哀れに思い、宮廷に連れて行きます。

エドワードはトムが送っている生活についていろいろ質問しているうちに、トムが自由に泥遊びを楽しんでいるのを羨ましく思いはじめます。

一方で、トムは物語で語られているような宮廷の生活を夢見ていました。

外見がうりふたつの2人は、お互いの生活を経験するために着ているものを入れ替えてしまいます。

すると、まわりの人たちの反応はそれぞれの外見に合わせて変わってしまうのです。

乞食少年が王子様になったら

トムが王様の格好をすると、臣下はエドワードに対しておこなうのと全く同じ対応をします。

着替えは家来がしてくれるし、移動には馬車が用意されます。

トムは宮廷の誰に対しても敬語を使うので、その場にいる者は「皇太子様は気が狂ってしまわれた!」と嘆くのでした。

生活が慣れてくるにしたがって、トムのふるまいは王子のものに似つかわしくなっていくのですが、上流階級の作法を知らないために、宮廷の人々から見ると野蛮と思われる行動をとります。

たとえば、食べ物をスプーンやフォークを使わずに手づかみで食べたり、美しい織物で作られたナプキンを汚れないように避けたり、デザートのお菓子を食べ終わった後に残っていた胡桃を上着のポケットいっぱいに詰め込んだりします。

ルールを知らないということは、自分が間違ったことをしていることに気づかず、それを恥ずかしいとも思わないものなのですね。

王子様が乞食になったら

一方でエドワードは、貧民街での暴力的なふるまいに腹を立て続けます。

宮廷独特の高貴な言葉遣いをすると、まわりから笑われます。

それはエドワードの外見を目にして、彼の話し方が身分不相応だと判断するからでしょう。

そうやって判断するのは大人でしたが、エドワードの言っている内容や行動から判断して、彼を信用する子供もいました。

エドワードは自分の中身を信じてくれる子供たちを見て、次の言葉を口にしています。

いまに自分がもとの位にかえった時にも、決して子供というものをばかにすまい。苦しみの時に、信じてくれたのは子供たちばかりだということは、いつになっても忘れまい。年をとってりこうぶってるやつらはみんなわたしの言葉をばかにして、うそつきにしてしまったが、幼い子供というものはありがたい

プライドの高さを貫き、正々堂々と行動するエドワードにも心を動かされました。

まわりが何を言おうと、自分がどうありたいのかを明確にして実行する清々しさは人に影響を与えますね。

リーダーに求められる素質の一つでしょう。

おわりに

今回はマーク・トウェイン『王子と乞食』をご紹介しました。

王子のエドワードと乞食少年トムの物語が最後にどのような結末を迎えるのかは、ぜひ本書を読んでいただきたいです。

「相手の立場に立って考える」ことの大切さは義務教育をはじめとして、さまざまな場面で耳にします。

本書を読むと、実際に相手の送っている生活を経験することによって、いかに多くのことを学べるかがわかります。

道徳の視点はもちろん、仕事でジョブローテーションを経験することの大切さも理解できる内容だと思います。

コメント

タイトルとURLをコピーしました