こんにちは、アマチュア読者です!
今回は玄侑宗久『日本人の心のかたち』をご紹介します。
本書は『中陰の花』で第125回芥川賞を受賞した住職の玄侑宗久が、日本人が古来持っている心のあり方を考察した作品です。
著者は学生時代にルース・ベネディクトの『菊と刀』を読み、日本人の思想についての深く洞察に驚きながらも、仏教の「無心」や「無我」を「恥を感じる監督者がいない状態」と解釈する間違いなども多い印象を受けたといいます。
しかしそれでも、著者はこの本のことを忘れられず、複雑な印象のまま記憶を引きずってきたといいます。
菊というかよわい命と、それを一刀両断できる刀の双方に敬愛を注ぐのは矛盾ではないのか。
ベネディクトはそう主張していたからです。
たしかに日本人の心には相反するベクトルがある。
では、その心はどのような仕組みではたらいているのか。
著者はそれをもっと深く知りたくなりました。
「長い歴史の中でできあがってきた日本人の心の法則性、あるいは心の機序のようなものに対する自覚を私たちはもっと持つべきではないか」
東日本大震災に出逢い、著者の思いはますます強くなりました。
「復興とは、なにより日本人の心の復興でなくてはならない。忘れかけていた「心のかたち」を取り戻す絶好の機会にしなくてはならない」
このような気持ちを持って、本書『日本人の心のかたち』は東日本大震災の翌年2013年に刊行されました。
優劣をつけない荘子の言葉「両行」
著者は日本人の心を考えるうえで、「両行(りょうこう)」と「不二(ふに)」の2つの思想を取り上げています。
中国の古典『荘子』にみられる「両行」という言葉は、対立する2つの意見に優劣をつけずに放置する考えを指します。
『荘子』斉物論篇では、猿の食べ物をめぐるエピソードで有名な故事成語「朝三暮四」を引き合いに、是非善悪はあくまで主観的な判断だから、猿でも人間でも似たような感情的主張に過ぎないと荘子は語っています。
これに続くのが次の言葉です。
「是を以て聖人は、之を和するに是非を以てし、天鈞(てんきん)に休む。是を之両行(りょうこう)と謂う」
つまり聖人は、片側の意見を良しとするような愚かな選択はせず、是も非も天から見れば鈞しいという立場で両者の意見を放置し、和合をはかるというのです。
両行と似たような意味として解釈されがちな「分別」の区別についても書かれています。
「両行」は生産性のために対をつくり、一本化はするまいという意志を含んでいるのに対して、「分別」は分けて選んで結局は片方だけを認めようという欲求が明らかに潜んでいる。
よく考えると意味に大きな隔たりがありますね。
維摩居士が体現した「不二」
著者が考えるもう1つの大切な価値観、「不二(ふに)」は両行する価値観をまとめ上げるために必要な思想です。
「不二」は『維摩経』という大乗経典で扱われるメインテーマです。
維摩詰(ゆいまきつ)(ヴィマラキールティ)という底知れぬ在家仏教信者がいて、維摩居士と呼ばれ、その舌鋒の鋭さから仏弟子たちに恐れられていました。
その長者が病に伏せっているという噂が広がり、釈尊の命を受けて弟子たちが見舞いに行くのですが、維摩居士と彼らの問答のなかで最重要と考えられているのが「不二」の思想です。
これは一見相反するように見える2つの概念も、じつのところ別のものではないという教えです。
生と死、迷いと悟り、世間と出世間、煩悩と菩提などが「不二」だと言われてもピンと来ないかもしれませんが、詳しくは本書を読んでみてください。
『維摩経』にまつわるエピソードはさまざまな書籍で紹介されていますが、個人的におもしろかったのが釈徹宗『なりきる すてる ととのえる』という作品です。
柔らかな文体で維摩居士のすごさを楽しんで学べるのでおすすめです。
陰と陽、神と仏のような「両行」のように見える「分別」について、維摩は即座に「不二」の処方をおこない、虚妄の分別を剥ぎとり、世界をふたたび曖昧模糊とした生産性の中に戻してしまいます。
「仏道と非道のような相反する二つの考えがあるからこそ、人々は良心を感じることができる」
1つの考えに固執することなく、こういった2つが1つの流れに見えるような俯瞰的な視点を獲得することが大切なのだと考えさせられる内容です。
しかしながら、不二を一所懸命に考えるほど、それを唯一絶対のものと捉える観点が芽生えてしまう落とし穴もあります。
ともすれば「唯一」になりやすい「不二」を機能させるためには、もう一度自らを相対化して「両行」に戻らなければならないという著者の論考には、目から鱗が落ちました。
おわりに
今回は、玄侑宗久『日本人の心のかたち』をご紹介しました。
日本人が古来持っている心のあり方を考究した本書は、一般読者にわかるように丁寧な言葉でわかりやすく書かれています。
「両行」と「不二」という2つの概念は、頭で理解することはできても、実際に行動にまで落とし込んでふるまうことはなかなか難しいと考えてしまいますが、だからこそまずは頭に入れなければならない大切な価値観だと思います。
ただ、もしかすると「頭」というのは意識と無意識を二元的に捉えた概念なので、この考え自体が両行や不二に反しているのかもしれませんね。
自分の思考習慣を再考するきっかけにもなる内容なので、ぜひ読んでみてください!
著者が本書を執筆する縁となったルース・ベネディクトの『菊と刀』については、こちらの記事で紹介しているので、参考にしてみてください。


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