こんにちは、アマチュア読者です!
今回は哲学者ニーチェのおすすめ名著をご紹介します。
フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ(1844-1900)は1844年の10月15日にプロイセン王国領プロヴィンツ・ザクセン、ライプツィヒ郊外の小さな村に生まれました。
同じ日に49回目の誕生日を迎えたプロイセン国王フリードリヒ・ヴィルヘルム4世にちなんで「フリードリヒ・ヴィルヘルム」と名付けられました(のちにニーチェはミドルネーム「ヴィルヘルム」を捨てています)。
学生時代から音楽と国語の才能にすぐれており、古代ギリシャやローマの古典・哲学・文学等で模範的な成績を残しています。
ボン大学に進んで哲学部における古典文献学の研究に興味を持ち、博士号も教員資格も取得していなかったものの、その優秀さからバーゼル大学教授に迎えられます。
バーゼル大学時代に、ニーチェはデビュー作『音楽の精神からのギリシア悲劇の誕生』(再版以降は『悲劇の誕生』と改題)を発表します。
その後、頭痛をともなう病によって体調を崩し、療養しながら在野の思想家として生活します。
多くの哲学的作品を執筆し、その価値は現代においても色褪せていません。
この記事では、実際に読んでおもしろかった作品を出版年順に並べています。
ニーチェの作品をどれから読もうか悩んでいる方にとっても、読む順番の参考になると思うので是非ご一読ください!
『悲劇の誕生』1872年
本書『悲劇の誕生』はニーチェのデビュー作であり、出版されたのは1872年(明治5年)、著者が28歳のときでした。
当時のニーチェはバーゼル大学の古典文献学教授として、ギリシャ悲劇をはじめとする講義を受け持っており、およそ2年にわたる構想・執筆を経て書き上げられました。
ニーチェが駆け出しの時期に執筆した本書は、後年に発表した作品と比較すると詩的表現に富んでいます。
ギリシャ悲劇の誕生と再生をテーマに、芸術の発展は造形芸術というアポロ(アポロン)的芸術と音楽というディオニュソス的芸術から成り立っているとする論考には文学的情熱が注がれており、ぐいぐい引き込まれます。
本書でニーチェが結論づけた悲劇における造形芸術と音楽の主従関係については、本書の刊行後に一大論争が巻き起こり、日本でも議論が盛んにおこなわれたといいます。
本書が書かれてから14年後に、冒頭の序文ともいうべき「自己批評の試み」が追加されています。
ニーチェの思想を代表する『ツァラトゥストラ』を書き終えたあとに著者が本書をあらためて振り返り、読者に対して語りかけられる文章を読むとモチベーションがみなぎります!
『悲劇の誕生』の初版の扉には「解きはなされたプロメテウス」の装飾画が掲載されており、本書の表紙と序言の前にも同じ挿絵が使われています。
ギリシャ神話で火や知恵、技術を盗んで人間に与えたかどでコーカサスの岩山に繋がれ、大鷲に肝臓をついばまれる絶え間ない苦難に遭っていたプロメテウスが解放されたときの心情は、本書の内容を象徴しています。
本題からは脱線しますが、ギリシャ神話についてもっと知りたい方はこちらの記事でおすすめ作品を紹介しているのでご参考になさってください。
ギリシャ神話やギリシャ悲劇がわかると、本書『悲劇の誕生』も一層おもしろく読めると思います。
『ツァラトゥストラ』1885年
「ツァラトゥストラ」という名前は、紀元前11世紀から6世紀のあいだの人物とされる古代ペルシャのゾロアスター教の祖といわれる預言者ゾロアスターのドイツ語での慣用発音です。
ゾロアスター教は善悪二元論の元祖ともいうべきものですが、ニーチェはその名前に独特の予言者的イメージを与えています。
本書の内容とゾロアスターの言葉に深い関係があるわけではありませんが、一般市民ではなく山の中で孤独に親しむ高尚な人物として描かれています。
10年のあいだ山の孤独にいたツァラトゥストラは40歳になって精神に満ち溢れ、与える者として俗世間にくだります。
神の死や超人の理想を人々に語り、「すべての神々は死んだ。いまやわれわれは超人が栄えんことを欲する」という言葉を残して山に戻っていきます。
しかし、その思想が歪められていることが明らかになると、再び山を下りては人々に教えを説いてまわります。
山を行ったり来たりする中で、教えを説かれる人々だけでなく、ツァラトゥストラ自身も成長していく流れで話が展開していきます。
本書の後半では、万物は永久に回帰し、人間もそれとともに回帰するという「永劫回帰」の哲学が語られます。
「永劫回帰」にはインドの先住民が持っていた輪廻転生の思想が含まれており、仏教に親しんでいる日本の読者にとっては馴染みやすい部分があるかもしれません。
本書は四部構成になっていますが、第一部の序盤に「精神の三様の変化」がツァラトゥストラによって語られます。
精神は重荷に耐える駱駝から、新しい創造を目指して自由をわがものとするために獅子となり、無垢で善悪の区別なく、世界と生における一切をそのまま肯定する小児へと変わっていくという考えです。
自由な創造には、どんな状況でも「然り」という聖なる発語が必要であり、そのとき精神はおのれの意欲を意欲し、世界を離れておのれの世界を獲得するのだというツァラトゥストラの言葉には目を開かされる思いがします。
本書はボリュームのある内容ですが、こういった箴言も数多く織り込まれているので面白く読むことができます。
ニーチェがのちに執筆した自叙伝『この人を見よ』(この記事でも紹介しています)の中でおこなった各著作の紹介のなかで、最も多くのページを割いているのがこの『ツァラトゥストラ』です。
『ツァラトゥストラ』が生まれるに至った経緯や、既存の哲学や宗教に対して挑戦状を叩きつけた思想への自負は相当に強く、その勢いには圧倒されるほどです。
それだけ、本書に込めた思想を大切にしていたのだということが伝わってきます。
難解な部分もありますが、光文社新訳文庫から読みやすい新訳も出版されています。
『道徳の系譜』1887年
ニーチェの思想における道徳批判やニーチェ独自の思考の筋道をとらえるのにオススメの作品です。
ニーチェ自身も、自分の思想の世界に踏み込もうとする人々に本書『道徳の系譜』と『善悪の彼岸』から始めるように勧めています。
本書は以下の3篇の論文から構成されています。
・善と悪・よいとわるい
・負い目・良心の疚しさ・その他
・禁欲主義的理想は何を意味するか
「よい」という概念や判断の由来を考えるとき、哲学者は歴史的精神を欠いているとニーチェは主張します。
高貴な人々や強力な人々、高位の人々が自分自身および自分の行為を「よい」と感じ、これをすべての低級なもの、卑賤なもの、卑俗な者、賤民的なものに対置したことが「よい」と「わるい」の対立の起源だと著者は考えます。
このような起源をもつ以上、「よい」という言葉は非利己的な行為とはじめから必然的に結びついている訳ではなく、利己的・非利己的という対立が人々の良心を苛むようになるのは貴族的価値判断が没落したからであるというのがニーチェの道徳批判の根本にあります。
本書の序言で、ニーチェは読者に読み方を稽古する大切なこととして、「反芻すること」を挙げています。
そのためには読者は牛にならなければならず、近代人になってはならないのだと語ります。
当時の世間に対する痛烈な皮肉とも読み取れますが、それは現代においても完全に当てはまるように思えます。
本書の論考を反芻して理解することで、何となく感じていた道徳に対する考え方が改められます。
『この人を見よ』1888年
著者フリードリヒ・ニーチェ自身によって書かれたニーチェの自伝です。
1888年の秋、ニーチェが44歳のときに執筆された本書は、著者がそれまでに仕上げた作品を自ら紹介するとともに、各作品に込められた思想や意義についても述べられています。
序言の「わたしの言を聴け!わたしはしかじかの者だから。何よりも、わたしを取り違えてはくれるな!」という強烈なメッセージが本書には通底しています。
本書の目次を目にするだけでも、その一端を垣間見ることができます。
・序言
・なぜわたしはこんなに賢明なのか
・なぜわたしはこんなに利発なのか
・なぜわたしはこんなによい本を書くのか
・悲劇の誕生
・反時代的考察
・人間的な、あまりに人間的な および二つの続編
・曙光
・たのしい知識
・ツァラトゥストラ
・善悪の彼岸
・道徳の系譜学
・偶像のたそがれ
・ワーグナーの場合
・なぜわたしは一個の運命であるのか
1888年はニーチェの正常な精神活動がおこなわれた最後の年だったと言われています。
その年末に友人に宛てた手紙には、精神錯乱の兆しと捉えられても仕方のない文言が残っているのです。
その後、ニーチェは1900年にワイマールで没するまでの11年間あまりを精神の闇のうちに過ごすことになります。
1888年のうちに、ニーチェは『ワーグナーの場合』『偶像のたそがれ』『アンチクリスト』『ディオニュソス讃歌』『ニーチェ対ワーグナー』といった作品を次々と生み出しています。
その中でも欠かすことのできないものが、この自叙伝『この人を見よ』です。
先にも書いたとおり、本書におけるニーチェ本人による各著作の紹介のなかで、最も多くのページを割いているのが『ツァラトゥストラ』です。
『ツァラトゥストラ』が生まれるに至った経緯や、既存の哲学や宗教に対して挑戦状を叩きつけた思想への自負は相当なものがあり、その勢いには圧倒されます!
『この人を見よ』については、光文社新訳文庫から読みやすい新訳も出版されています。
おわりに
今回は哲学者ニーチェのおすすめ名著をご紹介しました。
『ツァラトゥストラ』をはじめ、近代の思想や文学そのものに強烈な衝撃を与えた作品は、現代においても読む価値が十二分にあります。
この機会にぜひ読んでみてください!
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