こんにちは、アマチュア読者です。
今回ご紹介するのは、呉座勇一『戦争の日本中世史』です。
日本の中世というと、何となくわかりづらくて良くわからない時代というイメージを持ってしまいます。保元・平治の乱で平氏が台頭し、鎌倉、南北朝、室町時代と続いて、戦国大名の登場をもって中世が終わる印象で、力を蓄えた勢力が既存体制を脅かして転覆させるような曖昧な理解でした(わたしだけかもしれません)。
本書は蒙古襲来から応仁の乱までの約200年間を「戦争の時代」としてコンパクトにまとめたもので、読んでみると、一般的に知られている歴史観が近年の研究によって変わってきていることがわかります。
たとえば、蒙古襲来時の文永の役では戦いの様子について、一騎打ちを挑む日本側に対して、元軍は集団戦で殺傷能力の高い武器を使用したため苦戦したと書かれている書籍が多いです。教科書に載っている「蒙古襲来絵詞」(もうこしゅうらいえことば)を見て、竹崎季長が果敢に元軍に向かっていく絵を覚えている方もいるかもしれません。あの絵だけを見ると、限られた軍勢でも強敵に立ち向かっていく勇気のある武士が日本を救ったのだという印象を持ってしまいますよね。
しかし最近の歴史学の進展によって、源平合戦の時代から一騎打ち以外の戦法も採用されていたことがわかってきたといいます。源平合戦では騎兵だけでなく、弓や刀を持った歩兵も多く、はじめは一騎打ちでも戦局によって集団戦に移行することもあったようです。
日本側が文永の役で一騎打ちを行ったことを記しているのは、『八幡愚童訓』(はちまんぐどうくん)という史料だけで、これは鎌倉時代末期に石清水八幡宮の関係者が、祭神である八幡大菩薩の霊験あらたかなことを教え伝えるための書物です。モンゴル軍を撃退したのは八幡大菩薩であるという超自然的な描写がみられるため、事実の即しているのか不明なところがあると戦前から指摘されてきたものの、もっともらしい部分もあるため、日本史研究者は通説として扱ってきたといいます。
他の史料には見えず、一つの史料にしか記載されていない文言は軽々に鵜吞みにしない方が賢明だということは、歴史だけでなく仕事や毎日流れてくるインターネットやSNSの情報リテラシーにも言えますね。歴史的な一次情報が限られている時代においては、わかっていても、その取扱いは難しいのでしょう。
戦後歴史学が孕んでいる固定観念にも言及があります。民衆が台頭して既存勢力と対立する「階級闘争史観」というフィルターをとおして歴史を解釈すると、鎌倉時代後期や南北朝期の混乱が「悪党」の活動が反体制運動とみなされ、わかりやすいストーリーができあがる危険があると著者はいいます。人間が歴史をつくり解釈してきた以上、これまでの戦後歴史学が「階級闘争史観」という陥穽にはまっているとすると、これからの歴史解釈で陥りそうなバイアスはどのようなものなのか考えさせられます。
他にも、「足利尊氏は躁鬱病だったのか」「武士たちはみな勇敢だったのか」など、興味を引く話題に対する著者の考えが盛りだくさんです。著者の作品の代名詞ともいえる『応仁の乱』についても紙幅が割かれています。
強気な姿勢で、自分の意見を包み隠さず言葉にしている本書から学ぶことは多いです。歴史に対する著者の熱意が文体から伝わってくる本書を、ぜひ読んでみてください。
著者の代表作である『応仁の乱』もおすすめです。何がきっかけで始まってどうやって終わったのかがよくわからない複雑な混乱期について、膨大な史料から丁寧に考察されています。
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