こんにちは、アマチュア読者です!
今回ご紹介するのは、中国の古典『春秋左氏伝』です。
『春秋左氏伝』(略して『左伝』)はれっきとした中国の儒学古典の一つとして扱われてきました。
『易』『書』『詩』『礼』『春秋』を五経といいますが、『春秋左氏伝』はそのうちの『春秋』経の「伝」(解説)であり、『公羊(くよう)伝』『穀梁(こくりょう)伝』とともに「春秋三伝」と呼ばれています。
「三伝」とも、唐の時代以後は「九経」に数えられ、経書に準ずる扱いを受けています。
春秋三伝のうち、どれが最も由緒正しく、かつ『春秋』に筆削を加えたとされる孔子の真意を伝えているのか。
これこそ中国経学(けいがく)史上、二千年にわたって争われてきた大問題で、互いに相手側のテキストを批判し合い、自らが信奉するテキストの正統性を主張し続けていました。
しかし、一般読者が本書『春秋左氏伝』を読むためには、このような経学的観点にとらわれる必要はなく、春秋時代を中心とした中国古代の史伝説話の宝庫として楽しむことができます。
『春秋左氏伝』は魯の隠公元年(前722)にはじまり、哀公十六年(前479)の孔子の死とその後の説話が哀公二十七年(前468)まで続く、約250年がカバーされています。
春秋時代は、周という国が都を東方に遷してから約半世紀が経過してはじまります。
褒姒(ほうじ)を溺愛した周の幽王が犬戎に攻められ、驪山(りさん)のふもとで殺されると、その子である平(へい)王は渭水盆地を放棄し、晋・鄭など諸侯の助けを借りて、王都を東の洛邑(洛陽)に遷しました。
紀元前770年のことで、これ以後を東周時代と呼んでいます。
『春秋』の経文はもともと魯の年代記で、東遷から半世紀後の紀元前722年から始まるので、これ以後は「春秋時代」と呼ばれています。
春秋時代がどのような時代だったのかを知るうえで、『春秋左氏伝』は格好の書物です。
本書『春秋左氏伝』では主に、春秋時代の中国における各国の為政者たちがおこなった政治が書き記されています。
為政者たちの言葉やふるまいを通して、統治の仕方や政策、主要諸国の栄枯盛衰、春秋時代(あるいはその後に本書がまとめられた時代)に為政者たちが重きを置いていた価値観がよくわかる内容です。
また、随所に「このふるまいは礼にかなっているか」といった道徳観が考察され、儒教思想の観点で登場人物たちの言動が評価されています。
儒教における理想的政治とは、仁徳によって人々を従わせる王道でした。
暴力に訴えることなく言葉で政治を執り行うことが尊ばれ、武力・策略によって人々を抑えつける政治、つまり覇道は好ましくないと考えられていたのです。
私利私欲に走り、武力のみを頼りにし、家臣に対して酷薄であり、家臣の誠意を受け入れないことは批判されています。
本書を読むとわかる通り、春秋時代は戦いに明け暮れた時代であり、為政者の政治は覇道であることが多く、孔子に代表される儒家から見れば手放しで賞賛できるものではありませんでした。
そうしたなかで、鄭の宰相であった子産をはじめとする文治政治を貫く為政者のふるまいは特筆すべきこととして高く評価されています。
『春秋左氏伝』は春秋時代の政治的な出来事が時系列で記されており、歴史の流れを把握することができる一方で、魅力的な登場人物に焦点が当てられないため、物語の要素には乏しいです。
それでも、通読することで春秋時代の全体像をイメージできるようになります。
「読んで良かった!」「春秋時代にどっぷり浸かれた!」と思える古典作品なので、ぜひ読んでみてください!
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