「風が吹けば桶屋が儲かる」ということわざがある。
風が吹くと砂ぼこりが立つ。
砂ぼこりが立つと、それが目に入って失明する人が増える。
盲目の人は生計を立てるために三味線を買う。
このために猫の皮が必要になって猫が減る。
するとネズミが増えて桶をかじるので、桶を新調する家庭が増えて桶屋が儲かるという話である。
こういったことを理詰めで追い込んで因果関係を解き明かすのが経済の世界だと著者は言う。
ただし注意すべきことがある。
理路整然と間違うことがあるのだ。
推理小説でいえば、ロジカルではあるが犯人を間違えてしまって悲劇にしかならない。
これを避けるために、エコノミストが身につけるべきことが本書で挙げられている。
基本に忠実であること、独善的(自分だけが正しいと思う)であること、懐疑的であること、執念深いことがそれである。
しかし、これだけではただのひねくれものになってしまうので、十分条件として真実を見極めようとする情熱と真摯さ、そしてすぐれた歴史感覚も身につける必要があるという。
これは能力というより性格を含めた才能ではないかと思うのだが、良きエコノミストは多くの資質に恵まれていなければならないのだろう。
経済状況は人間の平常心を失わせることがある。
本書の例でいえばインフレだ。
インフレ経済になると一般物価は上昇して人々の生活は苦しくなるはずだが、こういうときには明るい顔の人が多いという。
なぜなら、インフレ下では物価が上昇するが、同時に賃金も上昇するからである。
インフレになると企業の売上は伸びる。
同じ数の商品しか売れなくても、物価が上昇するので数字としては大きくなるのだ。
売上が伸びれば労働組合が賃上げ交渉をしやすくなり、給料アップして嬉しくなるというわけだ。
しかし賃金と同じペースで物価も上がっているのだから、生活水準は変わらないはずである。
これを経済用語では「名目賃金は増えたが実質賃金は不変」の状態というらしい。
それでも給与水準が上がるので、ついつい無駄遣いをしてしまうのが人間の心理だという。
言われてみると思い当たる節はある。
また、インフレのもとでは収入が増えるので、借金の負担が軽くなっていく。
気が楽になるのでついつい無駄遣いだ。
さらにインフレが長期化すると、銀行に預金をするより物資の買いだめの方が賢明な選択に思えてくるのでインフレ率が加速してしまう。
こう見ていくと、止まらないインフレというのは恐ろしい。
経済という言葉は福沢諭吉が訳したもので、「経世済民」に由来している。
世を治め、民を苦しみから救うという意味だ。
著者の作品はこれまで何冊も読んできたが、読むたびに経済活動は人間の営みであり、日常生活と密接に結びついているのだと感じる。
日々の経済ニュースを見ていると、なんだか対岸の火事のように思えるが、著者が言うようにヒト・モノ・カネが正しい順序なのだと思いなおす。
同時に、経済のことを知らないと世界で起こっていることをよく理解できないのだとも教えられる。
ものごとがわかるようになるには、現象をもたらす原因は何かまで掘り下げて考えなければならないと思わされるのである。
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