本書は英語版として、著者が1953年2月から1954年11月の1年10ヶ月にわたる日本滞在中に書かれ、のちに日本語訳された1冊である。
バーナード・リーチは幼少期を香港、日本、シンガポールで過ごし、学生時代をイギリスで送り美術を学んだ。
香港で銀行員として働いたあと、美術で生計を立てることを志し、宮川香山や六代尾形乾山のもとで製陶の修業を重ねた。
柳宗悦や志賀直哉、濱田庄司、河井寛次郎、鈴木大拙らと親交があり、芸術に関する日本人の思想を理解する稀有な存在であった。
とくに戦後は西洋世界と日本のあいだで、芸術面における架け橋として多大な貢献をした。
この日記を読むと、日本各地の名所や窯場に精力的におもむき、作品を手掛けたり、芸術面でのアドバイスをしたり、講演会・座談会に数多く参加したりと精力的に活動していたことがよくわかる。
ページのところどころに彼の描いた絵が掲載されており、読んでいて楽しい。
現代では甚だしいが、リーチが来日した頃から手工藝と工業との分裂が大きく、工業の無味乾燥さが工藝にも入り込んで悪影響を与えていたという。
各地で仕事に打ち込む職人には、手法というよりも思想的アドバイスを惜しみなくしている。
優秀な伝統に忠実であれと。若い個人陶工に、「その忠告は束縛だ」と抗議され、彼はこう諭している。
自分が理解でき、感得できるときにだけ、新しいことをはじめなさい。どんな国でも、ほんの少数の人たちだけが、この種の自然な創造能力を持っているものなのだからと。
現代に生きるわたしたちへのアドバイスとしても、これは十分に受け入れられるのではないか。
新しいことを始めようとすると、どうしても表面的な模倣から入ってしまうものだが、無謀な試みは消化不良を起こす。
自分で考えて、腹落ちしたことを真似してみれば間違いにも気づきやすいはずだ。
普遍的な美を探求した著者の言葉は、時代を経てもその輝きを失わない。
戦後初期の日本の生活状況も伝わってきて興味深い。
電光掲示板やラウド・スピーカー、交通機関の騒音、センチメンタルな音楽など、現在では当然のこととして受け入れられているものが、導入された当時は著しい変化と映るのもうなずける。
道路に至っては大穴だらけで、自動車の運転手は速度を落として迂回しながら進んでいたという。
著者は各地を巡るなかで、西欧化の混乱によっても滅ぼし去ることができなかったものも見つけた。
語らざる美。
ほとんど何もない部屋。
物の巧みな整理。
茶碗の中の緑茶の色。
箸台の上にのせられた箸の姿。
床の間に掛けられた掛軸の文字。
紙障子を通した白い光。
障子に映る竹の葉の影。
これらのうち、いまも残っているのはどの程度だろうか。
著者は、西洋によって悪影響を受けてしまった日本の工藝や景観を至るところで嘆いているが、こうも書いている。
文化は、その下降によってではなく、独自の生命力を与える秘められた知恵によって判断すべきであると。
時代が変わり、美に対する意識が変化しても、普遍的な美しさには必ず敬意が払われてきた。
それが古典というものだろう。
インターネットを通じて日常生活が劇的に変化しても、本質的な美を敬う姿勢は忘れてはならない。
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