こんにちは、アマチュア読者です。
今回ご紹介するのは、伊藤整『近代日本人の発想の諸形式 他四篇』です。
著者は小説家としてだけでなく、詩人、文芸評論家、翻訳家などマルチな才能を発揮しました。
D・H・ローレンス『チャタレイ夫人の恋人』を翻訳したことでも有名です。
本書では、作家として日本文壇に身を置いていた著者が、近代の日本文学を批評することにとどまらず、「近代日本人が生活や芸術に対してどのような発想をしていたのか」というところまで考察の範囲を広げています。
自分の同朋を貶めることにもなりかねない試みですが、その透徹した論考は現代でも通用するほど射程が長いです。
小説家というと、感情移入する能力や人間の喜怒哀楽に対する洞察が深い印象を受けますが、本書は徹底的にロジカルに書かれています。
論文なので当たり前なのかもしれませんが、文学的表現を多用することなく執筆された、文学自体に関するロジカルな批評を初めて読みました。
文学者の書く論説というと、抽象的な表現を使って読者に考えを促すことがお決まりというイメージを持っていました。
しかし本書を読むと、日本文壇という特殊な世界について、可能なかぎりクリアカットに言い切ろうという姿勢が感じられます。
わたしのような部外者には現代の日本文壇がどのような状態なのかは当然わかりませんが、本書をつうじて近代の日本文壇がどのような道のりを歩んできたのかがわかってきます。
同時に、近代日本のことを知るには、当時の文学作品を読む必要があるのだと感じました。
なぜなら、本書で述べられているように、人気を博した文学作品というのは、その時代に生きた人々が抱いていた憧れや鬱屈を反映しているからです。
本書には明治、大正、昭和に活躍した多くの作家がとりあげられています。
夏目漱石、森鴎外、志賀直哉、芥川龍之介、島崎藤村はもちろん、いままで知らなかった作家や読んだことのない作品も多く紹介されていました。
評論は読むのに時間がかかりますが、執筆者の血肉となった作品が引用されるので、読書の幅が広がります。
「自分の知らない有名な日本文学を読みたい」と考えている方にはおすすめです。
本書には、『近代日本人の発想の諸形式』だけでなく、関連する論文として『近代日本の作家の生活』『近代日本の作家の創作方法』『昭和文学の死滅したものと生きているもの』『近代日本における「愛」の虚偽』もおさめられています。
近代日本の作家が持っていた「作家」に対する理想や、ビジネス視点で見る作家の経済事情、芸術的価値よりも商品的価値が重視される資本主義社会の中で生きる作家の立場や、「愛」という西洋文化を体現する言葉を身体化させずに使うことの危うさなど、まるで現代のことについて書かれたのではないかと錯覚するような本質的な内容です。
170ページに満たない文庫本にもかかわらず、想像以上の読後感を味わえます。
著者の思想が詰まった本書をぜひ読んでみてください。
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