【目から鱗】ウスビ・サコ 『アフリカ人学長、京都修行中』 文藝春秋

エッセイ

京都というと、かつての日本の首都、伝統を守り続ける文化的に洗練された街、八つ橋や抹茶といった美味しい食べ物や飲み物など、日本人はもちろん外国人も一目おく地域である。

本書ではそんな京都に30年近く住んでいるアフリカ人の京都論といってもよいエッセイである。

しかもこの著者、京都精華大学の学長なのである。読む前からおもしろそうではないか。

著者は1966年にマリ共和国の首都バマコで生まれ、高校卒業後に国費留学生として中国で勉強した。

大学院生になってからは京都大学で建築を学び、工学博士の学位を取得している。

言語もフランス語、英語、中国語、そして関西弁を流暢に話す高い知性をお持ちの方である。著者は家ではバンバラ語という民族語を話していたというから、正確には上記とあわせて5種類の言語を使いこなせるのだろう。

マリはアルジェリア、ギニア、セネガル、コートジボワールなどに囲まれた国で海に面していない内陸地で、日本と比較すると国の面積は3倍以上、人口は7分の1程度である。

多民族国家で、1960年に共和国として独立するまでフランス領であったため、公用語はフランス語である。

国民の約9割がイスラム教徒で、一夫多妻制のため男性は4人まで妻を持てるという。三代で100人以上の大家族になることもあるそうで、日本では想像できない大きさだ。

マリの伝統的な住宅では、中央に中庭があり、その中庭を囲むように細かく分かれた住居スペースが並んでいる。この中庭は大家族のためのキッチンになり、食事をとるリビングになり、大工仕事の作業場にもなり、片づければ空きスペースになるという多目的スペースなのである。

いや、多目的と呼ぶのは不十分かもしれない。多目的というと、あらかじめ複数の目的が定義された空間を連想しがちだ。西洋建築では各部屋にひとつの目的があてがわれている。

それに比べて、著者が述べているように、マリの住宅の中庭は日本の和室に近い印象を受ける。ちゃぶ台を置けば食卓のあるリビングになり、布団を敷けば寝室になり、学習机を設置すれば勉強部屋になり、おもちゃを置けば子供の遊び場になる。それと同じように、マリの中庭も変幻自在の創造スペースなのだ。

著者は文化人類学の手法を用いた「空間人類学」という学問領域の研究をしていて、実際に住環境のフィールドワークも行なっていたこともあり、研究結果にもとづく記述には説得力がある。

文化人類学者のクロード・レヴィ=ストロースが有名にした「ブリコラージュ(Bricolage)」という言葉がある。いろいろなモノを寄せ集めてつくろうという意味だ。

京都は伝統を大切にする一方で、新しいものを取り込み伝統的なものと掛け合わせることで、イノベーションを起こす度量がある。

伝統工芸品をインターネットでアピールすることで、グローバルに関心を集めてビジネスを成功させていることはその一例だろう。

かつて民藝運動を起こし、一般に普及している工芸品にこそ美が備わっていると説いた柳宗悦が現代に生きていたら、同じようなことを考えただろう。

柳宗悦の著書については、以前に『手仕事の日本』という作品を紹介したことがあるが、折に触れて読み返したくなる一冊である。

著者が学長を務める京都精華大学には、京都老舗店の後継ぎも多く在籍しているという。

マンガ学部をはじめとする独自性のある大学ということもあって、型にはまらない学生生活を送ることでイノベーションを生み出す土壌が醸成されるのかもしれない。

アフリカ系としては初めて日本の大学の学長になった著者が論じる京都を基点とした空間論は、読んでいて新たな発見が多かった。

場を大切にすることは、その空間にいる人を大切にすることと密接な関係があるということにも気づいた。

そういう考えを持つ人が学長に選ばれたということは、この大学も場を大切にする文化が根付いているのだろう。

本書には、30年以上の長きにわたる生活をもってしても理解するのが難しい日本文化の特徴が、サコ学長の視点で語られている。ネイティブの日本人には思い浮かばない観点が多く盛り込まれていて、読んで良かったと思える一冊だ。

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