こんにちは、アマチュア読者です!
今回ご紹介するのは、上野千鶴子『情報生産者になる』です。
インターネットがインフラの1つとして定着した現代では、日常生活を送るなかで情報を消費することが大半かもしれません。
新しい刺激的な情報を求めて、わたしたちは毎日スクリーンに向かい、スクロールを繰り返し、何度もクリックします。
この本はそんな情報消費者であることが当たり前だと感じがちな人に向けて、社会学者である著者が「情報生産者」になることをおすすめしています。
著者はフェミニストのパイオニアとして、女性に焦点を当てて社会学に向き合ってきました。
『おひとりさまの老後』(文藝春秋)では、孤独死というネガティブな言葉が付きまとう「おひとりさま」の老後生活は素晴らしいと説いて話題になりました。
アカデミックな世界で生きてきた著者は、本書でおもに論文を書くことについて、順を追って丁寧に説明していきます。
読み進めていくとわかってくるのですが、この本の内容は、自分が立てた問いについて、誰にでも伝わるように伝えることがどういうことなのかを教えてくれます。
決して学問の世界に生きる研究者だけに当てはまるものでなく、人に正確にわかりやすく説明する機会に置かれる方にもおすすめできます。
報告書やプレゼンに勤しむビジネスパーソンや教育者にとっては膝を打つ内容が満載かもしれません。
情報生産者というのは、自らが新しい情報の生産者になることです。
著者曰く、「情報も料理も、消費者より生産者のほうがえらい!」と断言しています。
なぜなら、生産者はいつでも消費者にまわることができますが、消費者はどれだけ「通」でも生産者の立場にまわれないからです。
情報を生み出す側になると、情報の消費の仕方も変わると言います。
それは、「この情報はどうやって生み出されたのだろう?」と情報の舞台裏にまで意識が向くようになるからです。
こう考えると、情報生産者になるのは情報消費者になることよりも楽しそうだなと思えます。
しかし、ただ意見を発信すればよいのかというと、そうではないというのが著者の意見です。
情報生産者には、それなりの覚悟が必要です。
「情報生産者になる」とは、自分だけでなく、他人にとっても価値のある情報を「知の共有材」のなかに付け加えなければなりません。
本書を読んで、研究者でない一般人のわたしでも印象に残った考えを5つご紹介します。
「もっと知りたい!」と思った方は、是非この本を手に取ってみてください。
その① 誰も立てたことのない問いを立てる
誰も立てたことのない問いを立てる…ことを、オリジナルな問いと言います。
オリジナルな問いにはオリジナルな答えが生まれ、それがオリジナルな研究になります。
オリジナリティとはすでにある情報の集合に対する距離のことを言います。
距離は英語ではdistanceですが、すでにある知の集合からの遠さdistanceを自分の立ち位置stanceになります。
誰も立てたことのない問いを立てるには、すでに誰がどんな問いを立て、どんな答えを出したかを知らなければなりません。
たとえば、誰にも頼らずに二次方程式の解き方を編み出したところで、数学の世界ではすでに常識となっているので学問的な価値はありません(もちろん、プロセスを含めた個人の経験としては大きな価値があります)。
本書では、すでにある情報の集合を知識として知っていることを、「教養」と呼んでいます。
教養がなければ、自分の問いがオリジナルかどうかさえわかりません。
ですから、オリジナルであるためには教養も必要になります。
問いとか問題と聞くと、何だか抽象的な印象を受けますが、本書では明快に書かれています。
「問題とは、あなたをつかんではなさないもののことである」と。
心の底から解きたい問いでない限り、本気になれないということでしょう。
その② ロジカルに書く
情報生産者には、それに値する情報を生産して、「考えたことを、データをもとに、論拠を示し、他人に伝わるように書く」ことが求められます。
「考えて、書く」だけでは十分ではないと著者は言います。
根拠のない考えは、「思い込み」の代名詞であり、自分のなかだけを掘り下げても、たいした発見は得られないからです。
この部分を読んで、「それほど考えなくても、自分が感じたことを発信すれば共感してくれる人もいるのではないか」と瞬間的に思ったのですが、「他人はあなたの感情や経験、思い込みや信念を聞きたいのではありません」というところを読んで、背筋が伸びました。
たしかに人は他人の人生に、自分が期待しているほどの関心を持っていないかもしれません。
このあたりは、「さすが自ら学問の世界を切り拓いてきた著者の言葉だな」と思いました。
数字と事実にもとづき、ロジカルに綴られた本書を読むだけでも、情報生産者としての矜持が伝わってきます。
その③ 風呂敷を畳む
新しいことを始めようとして、大きな理想を掲げた結果、うまくいかずに挫折した経験はありませんか?
研究でも同じことが当てはまるようです。
大風呂敷を拡げたら、それを畳んでいく重要性が強調されています。
「風呂敷を畳む」ことは、本書ではナローダウン(narrow down)と表現されています。
何を捨て、何を最後まで捨てないか…そこで問われるのがつねに問いの「初心」です。
問いが明晰に立っていることが特に大切なのでしょう。
その④ 知っていることをすべて書かない
たとえば報告書をたくさん書いて上司に見てもらったら、「長すぎるから短くして…」と言われてしまった経験はないでしょうか?
ビジネスパーソンにかぎらず、研究における初学者の陥りやすい過ちは、知っていることをすべて書きたくなることだと言います。
なんのためにこれまでの研究を検討するかといえば、ひとえに自分の立てた問いにとって役に立つかどうかだけ。
その基準がはっきりしていれば、何が必要な情報で何が必要でないかはおのずと腑分けできるものです。
むやみにあれも知っている、これも知っていると書き連ねていても、寄り道になってしまいます。
「要はこういうことだ」というのが端的にわかる書き方を目指したいですね。
その⑤ 自明だと思われる情報を省略しない
それとは反対に、もうひとつの初学者の陥りやすい過ちは、自分にとって自明のことがらを説明抜きに省略してしまうことだと言います。
これも様々な境遇の人に当てはまりそうですね。
よく知っていることは情報にもならないものです。
自分にとってわかりきっていることと、読者にとってわかっていることとはちがいます。
予備知識のない読者にもわかるように説明してあるかどうかは大切です。
そういうときには、できるだけその分野にシロウトの第三者に草稿を読んでもらうことが勧められています。
これってどういうこと?どういう意味?と言ってもらえれば、「そうか、これでは伝わらないのか」と気づけます。
業界人のあいだでわかったとうなずきあっていても、他人に伝わる文章は書けません。
いざ書き始めると、よく知っていると思っていることも、うまく説明できないことってありますよね。著者は専門用語が出てくると、よく学生に説明させていたそうです。
その基準は「中三階級の用語で」。
つまり、義務教育を終えた中学三年生の言語能力と語彙のレベルで、相手に説明できるようにすることです。
他人に教えることで、自分の理解力の程度がよくわかるというのは経験的にわかりますよね。
それができない場合は、その専門用語についての理解を深める必要があります。
おわりに
今回は上野千鶴子の『情報生産者になる』をご紹介しました。
本書を読むと、情報生産者になるためには、誰も立てたことのない問いを立て、ロジカルに、風呂敷を畳むことを忘れずに、適切な情報を提供することが大切だということがわかります。
これは「言うは易く行うは難し」ですね。上記の5つをすぐに身につけることは難しいかもしれませんが、一つひとつ丁寧に取り組むことで、誰もが認める情報生産者になれるでしょう。
最近ではインターネットを通じて、自分から情報を発信する機会が増えています。こういった状況だからこそ、著者が説く情報生産者のための礼節は身に沁みます。
情報を提供する者として道に迷ったときは読み返したい1冊です。
ぜひ読んでみてください!
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