こんにちは、アマチュア読者です!
今回は、マキアヴェッリ『君主論』をご紹介します。
本書は、ルネサンス期の混迷きわまるイタリアにおいて、外交軍事を専門として活躍したニコロ・マキアヴェッリがフィレンツェの君主に捧げた政治思想の書です。
「君主が権力をいかに獲得し、いかに維持するか」を徹底的に考えたマキャヴェッリの『君主論』には、人間の心理を見通す恐ろしいまでの観察眼と分析力が遺憾なく発揮されています。
『君主論』とはどんな内容なのか 構成と特徴
マキアヴェッリの『君主論』は、近代政治思想の原典とも称される作品です。
一国の主として君主が権力を掌握し、長く統治するには何を考え、どのような行動をとればよいのかが具体的に論じられています。
理想的な君主という夢を語ることは極力避け、リアルな世界における現実的な統治論が全26章を通じて平易な言葉で綴られています。
各章は10ページ程度とコンパクトにまとめられており、少しずつ読み進めていきたい方にもおすすめです。
『君主論』におけるマキアヴェッリの議論は、複雑な事象を大胆に切り分け、それぞれについて具体例を交えて説明していくスタイルをとっています。
冒頭では君主制の種類(世襲の政体と新興の政体)を分類し、それぞれの政体の特徴を論じるとともに、君主として以下に支配するかに関して戦略が提示されます。
続く章では、軍事の重要性、臣民・人民の心理、君主としての人前でのふるまいといったトピックが、ケーススタディーを交えてわかりやすく説かれています。
マキアヴェッリとは何者か 『君主論』を生み出した政治思想家の生涯
ニコロ・マキアヴェッリ(1469年~1527年)は、フィレンツェ生まれの外交官であり、政治思想家です。
マキアヴェッリが活躍した15世紀末から16世紀初頭のイタリアは、現在のように統一国家として存在しておらず、ミラノ、ヴェネツィア、フィレンツェ、ローマ教皇領など複数の独立した勢力が点在していました。
それぞれが独自の政治体制や経済力、軍事力を持ち、覇権を争ってしのぎを削っていました。
この時期のイタリアは、領土争いや同盟関係の入れ替わりが激しく、各勢力は自国の生存と領土拡大のために、隣国やフランス、スペインといった大国との間で複雑な外交を繰り広げ、戦争も頻繁におこなわれていました。
バランス・オブ・パワーが常に変動する当時の政治的状況は、外交官として各地を飛び回っていたマキアヴェッリの政治経験や政治思想に多大な影響を与えました。
彼は多くの外交交渉や外交文書の作成に関わるなかで、現実的な政治を鋭く観察し、この経験が『君主論』に結実することになります。
共和政のフィレンツェで外交官として東奔西走したマキアヴェッリでしたが、教皇アレクサンデル6世が死去し、メディチ家が復権すると反メディチの陰謀に関わった嫌疑をかけられ逮捕されてしまいます。
マキアヴェッリは長きにわたる拘留生活と厳しい拷問に耐えて解放されますが、職は失ったままでした。
彼はかつて活躍した外交官のような政治に深く関わるポストに就くことを望み、フィレンツェの君主で時のローマ教皇レオ10世の甥にあたるロレンツォ・デ・メディチに捧げた作品が本書『君主論』です。
しかしながら、メディチ家にとってマキアヴェッリは共和政時代の高官であり、かつて反メディチ的な政治体制に関わっていた人物とみなされました。
マキアヴェッリが心血を注いだ『君主論』の完成もむなしく、彼は晩年まで不遇の立場で過ごし、1527年にメディチ家が再びフィレンツェから追放された直後、政界復帰の望みを抱くも同年に死去しました(58歳頃)。
書かれてから500年以上が経った現代においても、政治思想のバイブルとして読み継がれる『君主論』が当時の政治に生かされなかったことは歴史の皮肉と言ってよいでしょう。
おわりに
今回はマキアヴェッリ『君主論』をご紹介しました。
500年以上昔に書かれた作品でありながら、現実的な政治思想のバイブルとして現代でも読み継がれる本書は、冷酷とも読み取れるリアリズムが一貫して展開されています。
政治家はもちろんのこと、厳しい資本主義の世界で戦う企業の経営者やビジネスパーソンにとっても得るものが非常に多くあるはずです。
この機会にぜひ読んでみてください!
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