こんにちは、アマチュア読者です!
今回ご紹介するのは、小林秀雄『学生との対話』です。
本書は批評家であり、「批評の神様」と称された小林秀雄が、1961年から1978年のあいだに5回にわたって九州に赴き、全国60以上の大学から集まった300人から400人の学生や青年と交わした対話の記録です。
本書を購入した際に付いていた帯にはこう書いてあります。
僕ばかりにしゃべらさないで、諸君と少し対話しようじゃないか
私はこれまで小林秀雄の作品を何冊も読んできましたが、内容が難しくて理解するのに時間がかかったものが多くあります。
もちろん、自分の頭を使って著者の言わんとすることを追っていくプロセスは楽しいのですが、本書では小林秀雄の大切にしている思想が話し言葉を通じ、わかりやすく伝わってきます。
学生たちと対話するなかで彼が選び取った言葉は、読む者の心を揺さぶります。
本居宣長の『古事記伝』
本書では、本居宣長の『古事記伝』について解説している場面が多くみられますが、古事記はおろか日本の神話についてなじみの薄い人にとっても、「日本の神話ってなんだか面白そうだから読んでみようかな」という気持ちにさせられます。
本居宣長は、江戸時代中期の国学者です。
「文学の雑感」という講義では、本居宣長について時間を割いて話しています。
本居宣長は、『古事記伝』を書くのに35年もかかったといいます。
歴史に名を残すほどの学者であり、70歳近くになってやっと『古事記伝』を書き上げましたが、生前に出版までは至りませんでした。
本居宣長は小児科の医者で生計を立てていましたが、いつでも身辺に竹筒を置き、薬代や治療代の一部を少しずつ竹筒の中に入れて出版の資金を貯めていました。
昔の学者は本を出すためにお金を貯めたのですね。
小林秀雄は晩年、本居宣長について書くために全精力を捧げました。
本書では彼の大著『本居宣長』を雑誌『新潮』で連載していた時期にあたり、小林秀雄が本居宣長から学んだことが数多く紹介されています。
たとえば、江戸時代までの桜と、明治以降の桜の種類が大きく異なるという話に言及しています。
江戸時代までは、桜といえば山桜を指し、必ず花と葉が一緒に出るという特徴がありました。
明治から現在に出るまで、私たちはソメイヨシノと言う種類の桜を目にする機会が圧倒的に多いと思います。
ソメイヨシノは、花が先に咲いて、後から緑の葉っぱが出ますよね。
小林秀雄はソメイヨシノを桜の中でも最も低級なものだと酷評していますが、この違いだけでも、江戸時代までの桜と現在わたしたちが認識している桜には大きな違いがあることがわかります。
長い時の試練に耐えた書物を読む時、私たちはその時代に身をおくために、当時の社会的事情はもちろん、普段目にするものや自然の景色の違いにも注意することで、著者や当時の読者の気持ちに近づくことができるのでしょう。
小林秀雄の歴史観
本書では、歴史観についても話題に上がっています。
小林秀雄いわく、今の歴史というのは、正しく調べることになってしまったといいます。
これに対して、著者にとっての歴史は、上手に「思い出す」ことだといいます。
歴史を知るというのは、いにしえの手振りや口ぶりが、見えたり聞こえたりするような想像上の経験だというのです。
たとえば、織田信長が天正10年に本能寺で自害したと言うことを知るのは、歴史の知識に過ぎませんが、信長の生き生きとした人柄が心に思い浮かぶということは歴史の経験です。
本居宣長は学問をして、そういう経験に達したと書いています。
そうであるからこそ、小林秀雄は本居宣長を本当の歴史家とみなしています。
宣長ほど古いところを綿密によく調べた人はいないというのが著者の考えです。
調べて、過去に関する知識を得たのではなく、いにしえの口ぶり、手振りがまざまざと目に見えるようになった、そこまでいった人なのだと繰り返します。
これを、本当に歴史を知るというのだと力説しています。
考えて見ると、歴史を知るというのは、いま現在のことです。
古いものはもう実在しないため、私たちはそれを思い出さなければなりません。
思い出せば、私たちの心の中にそれがよみがえってきます。
だから歴史をやるのは、各人のいま現在の心の働きなのです。
小林秀雄は、イタリアの哲学者であり批評家、歴史家でもあったクローチェの「歴史は全て現代史である」という言葉を引用しています。
私たちの現在の心の中に生きなければ歴史ではない。
それは資料の中にあるのではなく、私たちの心の中にあるのだから、歴史をよく知るということは、私たちが自分自身をよく知るということと全く同じことになるというのが小林秀雄の歴史観なのです。
おわりに
今回は、小林秀雄『学生との対話』をご紹介しました。
超一流の批評家として活躍していた小林秀雄が時間を作り、学生たちに向けておこなった講演とその後の質疑応答を通じて、彼の思想のエッセンスを感じることができます。
話し言葉でかみ砕いて説明している様子を想像することで、小林秀雄の言葉を実際に聞いているような気持ちになり、思わず居住まいを正しました。
本書の最後には、「問うことと答えること」というタイトルで、元新潮社編集者の池田雅延氏が解説をされています。
こちらも思わず唸ってしまう書きぶりです。
ぜひ読んでみてください!
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