こんにちは、アマチュア読者です。
今回ご紹介するのは、エメェ・アンベール『絵で見る幕末日本』です。
本書は日瑞修好通商条約を締結するために、1863年に来日したスイス時計業組合会長である著者エメェ・アンベールが、自分の目で見て、自分の耳で聞いて記した幕末日本の姿です。
本書の特筆すべき点は、著者が記した新幕末日本の情景描写のみならず、140点にも及ぶ細やかで美しい挿絵が掲載されていることです。
これらの写真を見ることで、日本に生きる現代人であっても把握しきれない当時の幕末日本の様子が感覚的に理解できます。
長崎、下関、京都、鎌倉など日本各地の様子が描かれ、特に江戸の町については多くの紙幅が割かれています。
スイス人である著者のエメェ・アンベールは、当時スイス時計の売り込み交渉のため日本に旅行していました。
しかし、スイスは日本と修好条約がなかったため、一番日本と親交の深かったオランダの国籍を得て、その代表使節の資格を取って来日したようです。
1858年に日本がそのいくつかの港を海外貿易のために開いた頃、アメリカ、イギリス、フランス、オランダなど先進諸国のあいだでは、資本主義はすでに最盛期に入っていました。
ヨーロッパ産業の発展は、必然的に海外に市場を要求し、その勢いは19世紀になると東洋にも大きな影響を及ぼしていました。
このヨーロッパの膨張は日本にも波及し、従来の鎖国を必死に守ろうとしたものの、欧米勢力の強大さを目の当たりにし、日本はやむなくその門戸を開きましたが、通商条約についてはできるだけ先延ばしにする政策をとりました。
この対応は外国との紛争を引き起こす要因となり、攘夷運動が激しく起こっていたこともあって、西欧諸国は日本との通商関係を有利に進めるために、武力行使を辞さないだけの準備が必要になったのでした。
当時、アメリカ、イギリス、フランス、オランダなどすでに交渉している国に対してすら解放をできるだけ制限する交渉を検討中なのに、新たに条約を申し込む国のことなど考える余裕はないという意見が幕府部内で持ち上がりました。
そのような状況の中で、日本とスイスが和親条約を締結したことは非常に難易度の高い仕事であったはずです。
エメェ・アンベールは1863年の4月に長崎に到着し、翌1864年2月6日に交渉が成立し、旅行の目的を達成しました。
この短い期間に、日本を知悉している人物にしか書けないような日本の姿を文章で記録するだけではなく、細やかな美しい絵で表したことは驚異的です。
しかも滞在期間が短かったことだけではなく、鎖国政策の幕末日本では外国人の滞在区域も著しく制限されていたことも忘れてはなりません。
貿易のためだけに限って許されていたのは長崎、横浜など数ヶ所に限られていました。
著者の各地における視察にも厳しい制約と困難が伴ったことは間違いありません。
著者の日本に対するあくなき好奇心や関心、その実体を本質的に描き出そうというすさまじい執念、文章と絵の表現力が揃ったからこそ、この名著が生まれたのだといえるでしょう。
もちろん、誇張や認識の違いは散見されますが、それらを考慮しても本書の魅力が薄れることはありません。
幕末という時期は日本の歴史でよく取り上げられますが、その多くは日本人の視点のみで描かれていて、外国からの観点が抜けていることは否めません。
スイス人の視点で見た幕末日本が、秀逸な文章だけでなく、数々の美しい挿絵で描かれています。
ぜひ読んでみてください!
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