【生きがいとは】神谷美恵子『人間をみつめて』河出書房新社

エッセイ

こんにちは、アマチュア読者です。

今回ご紹介するのは、神谷美恵子『人間をみつめて』です。

精神科医である著者は、患者と日々向き合うなかで人間に対する洞察を深めました。本書では、その経験と著者独自の人生観がつづられています。

著者の秀才ぶりは計り知れないのですが、その優秀さに加えて、恵まれない境遇にある人に寄り添う姿勢は文章にあらわれています。

著者の経歴と本書の出版について

著者は1914年に岡山で生まれました。

幼い頃から学業優秀で、戦後に文部大臣となる父の仕事でジュネーブに暮らしていたこともあり、語学力は抜群でした。

特にフランス語については後年になっても、「読み書きと思考はフランス語が一番である」と著書に書いたほどの習熟ぶりです。

津田英学塾(のちの津田塾大学)卒業後にはコロンビア大学で古典文学を学んでいます。

しかし、叔父に同行しておとずれた東京の多摩全生園でハンセン病患者を目にし、彼らが歌う讃美歌を聴いて、「自分の居場所はここだ」と天職を自覚します。

この経験をきっかけに、著者は医師を志して東京女子医専で医学の勉強に励みました。

当時は女性といえば学問は文学という先入観が根強かったなかで、著者は周囲の反対を押し切り、強い意志をもってやりたい道に進んだのです。

父が戦後に文部大臣になったことで、著者は抜群の語学力のもとGHQとの連絡係をつとめ、東京裁判では通訳を担当しました。

また医師としては発病した大川周明の精神鑑定をおこなった内村裕之教授を助けて、鑑定書を英文で書いています。日本の大転換期に八面六臂の活躍をしていたのです。

結婚や育児、医療現場での仕事のあいだで葛藤しながらも、医師として本格的に働き始めてからは、ハンセン病患者の治療に尽くし、岡山の長島愛生園での医療活動経験から得られた知見は名著『生きがいについて』にまとめられています。

生きがいという言葉が世間に知られていないなかで、生きがいとは何なのかをさまざまな角度から考察しています。

生きがいの対象にはどのようなものがあるのか、生きがいを一度失ったらどうやって新たな生きがいを見つけるのかなど、示唆に富む考察にあふれています。

『生きがいについて』が世に出てから5年後に執筆された、著者の人生論です。

精神科医としての経験をつうじて、人の心について考え続けていた著者ならではの考えには目を開かされます。

考えること

著者は「考える力、すなわち知性」と言い切っています。

人間を動物のレベルからひきあげ、精神の世界のよろこびを知るようにさせてくれたのは脳の発達でしょう。

そのなかでも特に考える力、つまり知性の発達の功績が大きいというのが著者の意見です。

脳が発達したおかげで、人間はさまざまなことを考えられるようになり、悩みや不安にも苛まれるようになりました。

しかし、考えるというのは人間に与えられた大きなたのしみでもあると著者は言います。

自分をとりまくものから遠く隔たったところに想像をめぐらせ、たえず新しい発見のおどろきやよろこびを感じることができます。

病に臥していても古典文学に没頭していた著者の言葉には、実感のこもった重みがあります。

それでは考える力を養うには何が必要なのでしょうか。

本書では2点が挙げられています。

1つは現実への密着からときどき脱出を試みること

そのためには、実利実益を求めないことが必要だといいます。

過度な緊張感から解放され、心に余裕がある状態ではじめて対象から距離を置くことができ、客観性やゆとりやユーモアが生まれます。

無駄なことを一切せず、効率のみを最優先にしているところにはゆとりは生まれませんよね。

もう1つは、黙想と自己との対話を欠かさないこと

本書のなかで著者は、「読書や講演をきくのもいいが、そのさいに疑念を起こし、自分に向かって問いを発していないと、何を読んでも何を聞いても脳に刺激が入らず、あたまを素通りしてしまう」と書いています。

本書が書かれたのは1970年あたりですから、現代のように脳科学が流行していたわけではなかったはずです。

インプットするだけでなく、自分の頭でインプットとアウトプットを循環させる重要性は、わかる人にはわかっていたのでしょう。

著者がいまの時代に生きていたら、本を読みっぱなしにしたり、オーディオブックを聴いてわかったつもりになることに警鐘を鳴らしているかもしれません。

生きがいについて

「生きがい」という言葉を手元にある精選版日本国語大辞典で調べると、こんな説明がされています。

  1. 生きているだけのねうち。生きている意義。
  2. 生きていくはりあい。生きている実感。

どちらの意味にとるにしても、人は何かをすることに生きがいを求めがちです。

仕事や趣味、ボランティアなどは典型例でしょう。

しかし著者は、何かをする以前に、まず人間としての生を感謝とよろこびのうちに謙虚にうけとめる「存在のしかた」、つまり「ありかた」が大切だと論じます。

人間の社会は分業と協力とによって組織されていることを認識し、人間よりはるかにスケールの大きい地球や宇宙に思いを馳せ、そこから大いなる許しと配慮を感謝する「愛の自覚」に目覚めることで、生きがいという言葉の解釈は変わるのではないでしょうか。

個人がもてはやされ、何かしないと価値がないとみなされる時代に、著者の言葉はそれになじめない人に寄り添い、倒れそうな姿勢を支えてくれます。

考えてみれば、この世に生を受けたのは自分の努力ではないし、育った環境におかれたのも自分のせいではありません。

それを他人のせいにするのではなく、記憶にすら残っていない多くのものに助けられて何とか生きてこられたと思えば、世の中は違って捉えられるのではないかと本書を読んで感じました。

生きがいについて特に印象に残ったのは、著者のこの文章でした。

私は宇宙への畏敬の念に、このごろ、ひとしおみたされている。科学の武器をもってさえ、その全貌を把握できないこの宇宙の中で、私たちは「意識」ある生命を与えられた。この意識をもって宇宙を支えるものに賛歌をささげたい。それをささげうる心が人間に与えられたことを感謝したい。こういう広大な世界を、小さな心で思い浮かべうることこそ人間に与えられたおどろくべき特権であると思う。

おわりに

今回は、精神科医としてハンセン病患者に向きあうことを天職とした著者の人生論をご紹介しました。

本書『人間をみつめて』は、人間のあり方について著者の考えが盛り込まれています。

人として大切なことを思い起こさせてくれる1冊です。ぜひ読んでみてください。

最後に著者に関する他の作品もご紹介します。

著者は20代前半で結核におかされています。その苦しい状況でも学ぶことへの熱意はすさまじく、療養中には起きている時間はひたすら古典文学に没頭していた様子は、ノンフィクション作家の宮原安春氏が手がけた『神谷美恵子 聖なる声』に詳しく書かれています。

そのときに耽読していた、ローマ五賢帝の一人であるマルクス・アウレリウス・アントニウスの『自省録』はのちに自身で翻訳し、岩波文庫から出版されるに至っています。折にふれて読み返したくなる超一級の古典作品です。

どちらもおすすめですので、ぜひ手にとってみてください。

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