こんにちは、アマチュア読者です!
本を読むのが好きで、英語で読書会を開くために英語を勉強しています。
オンライン英会話で語学力をアップさせる取り組みがメインですが、YouTube動画でおもしろいものを見つけたら教材にして楽しく視聴しています。
私の好きな本のジャンルは古典と歴史なのですが、今回はどちらにも関わりがあって英語で学べる”Crash Course”というYouTubeチャンネルから、 ”Crash Course European History #4”という動画をご紹介したいと思います。
1453年の5月にオスマン帝国がコンスタンティノープルを陥落させてビザンチン帝国を滅ぼし、南部ヨーロッパの広範囲を支配するようになりました。
オスマン帝国の人々は海軍を設立し、黒海やアラビア海に勢力を拡大しました。
このことは、ヨーロッパの王国や帝国がアフロユーラシア(アフリカとユーラシアをあわせた地域)の貿易ルートを新たに探さなければならないことを意味しましたが、実はこれがイベリア半島にはじまる大航海時代の幕開けになったのです。
ポルトガルのブレークスルー
15世紀のポルトガルは貧しく、オスマン帝国の人々が大陸での貿易をしようと争ったので、より一層貧しくなりました。
しかしポルトガルには幸運なことに、ポルトガル王ジョン1世の4番目の息子であるヘンリー(エンリケ)がいました。
彼はのちに”Navigator”と呼ばれるように、探検や航海術の研究、航海に役立つ新しいツールの開発のために資金を出し、それぞれの活動を奨励しました。
ポルトガル人は地中海南部沿岸に沿った移動を増やし始め、15世紀中頃までには、彼らはアフリカの大西洋沿岸に進出するようになりました。
そこで彼らは莫大な富を期待しました。
なぜなら、当時のアフリカは食料や塩、金や奴隷で富んでいたからです。
マリ帝国の王であるマンサ・ムーサは1324~1325年に派手なメッカ巡礼を行ったことで有名で、ポルトガルにもその名は轟いており、非常に刺激的に映りました。
マンサ・ムーサには、1万2千人の奴隷を含む6万人の取り巻きと、莫大な量の金を保持していました。
彼はポルトガル人にとって、航海によってなりたい理想の存在になっていたのです。
食料や奴隷、金を求めて、ポルトガル人は徐々にアフリカ沿岸を南下していき、現地の人々を誘拐してはヨーロッパの奴隷市場に売るようになりました。
石造りの要塞をあちこちに築き、その数は貿易の拠点よりも多かったといいます。
多くのヨーロッパ人は、そこでアフリカの女性とパートナーになり、子どもをつくりました。
こういった女性たちは、しばしば自分たちがトレーダーになり、ヨーロッパの国々にとって極めて重要な存在になりました。
なぜなら、彼女たちは地元市場や地域の貿易ネットワークにおける主力であり、貿易に対して必要不可欠なコネクションを提供していたからです。
このように歴史を追っていくと、ヨーロッパの人々がリッチで、アフリカの人々は貧しいという考え方は比較的新しいものだということがわかりますね。
1488年に、ポルトガル人のバルトロメウ・ディアスは、当時「嵐の岬」と呼ばれていた喜望峰をまわり、その後を追うようにポルトガルの人々は思い切って遠いインド洋に向かうようになりました。
一般に探検家や探検について想像を巡らせるとき、わたしたちは帽子をかぶった勇敢な集団が、隠された秘宝を求めて駆け回るイメージを思い浮かべますが、これは現実ではなさそうです。
たとえば、ヴァスコ・ダ・ガマは1498年にインドに到達し、インド洋での非常に進んだ取引を目にしました。
そこでは洗練されたムスリムの商人たちによって交易所が運営されていました。
ヴァスコ・ダ・ガマの本能は、彼らを脅し、戦うことを求めており、実際に彼はそれを実行します。
ポルトガル人が東南アジアや中国にたどり着いたとき、彼らはヨーロッパ人が欲しがっていて、まったく知識のない非常にたくさんの品物を見つけました。
その例として、色彩豊かで洗浄可能な綿、非常に精巧に作られた陶器、そして紅茶が挙げられます。
17世紀までには、ポルトガル人は何百万もの陶器を大量のおいしい香辛料とともにヨーロッパに輸入しました。
香辛料は香りづけだけでなく、食べ物の長期保存にも重要でした。
ポルトガルが手に入れた富は、オスマン帝国が地中海東部において行っていたように、海上輸送や貿易ルートを支配下におさめることで引き出されました。
一方で、スペインは植民地を基礎にしていました。
クリストファー・コロンブス
1492年のクリストファー・コロンブスの冒険的な航海に始まったことですが、貿易ルートを支配するよりもむしろ、島自体とそこに住む人々を支配し、彼らから富を抜き取ることで国力を向上させました。
コロンブスは地理学や地図を勉強しており、ポルトガル王に働きかけて航海を支援してもらおうとしました。
しかしそれが上手くいかないとわかると、彼はスペインに向かい、カトリックの支配者であるカスティーリャ女王とフェルナンド王の両王に対して熱心に嘆願し、資金援助を得ました。
この2人の支配者はスペインからムスリムを追放し、スペインのユダヤ教徒をキリスト教徒に改宗させる最後の仕上げをしているところでした。
この宗教的な迫害は生半可なものではなく、イベリアの先導者のモットーである「神、金、栄光」は完璧に彼らの野望を表していました。
コロンブス一行の中には聖職者や銀行家も含まれていましたが、彼らは厳しい航海を経て南米の島々にたどり着きました。
彼らは奴隷にするための人々を見つけ、アメリカの大きさや形を誰も知らなかったために、金をはじめとする富が川や山に満ちているかもしれないという希望を抱いていました。
コロンブスの新大陸発見やその後の奮闘ぶりついては、彼の残した手記を読むとよくわかります。
『コロンブス航海誌』は日記形式で日々の出来事が書き留められた本なので、彼がおこなった航海の様子を詳しく知りたい方にはおすすめです。
ヨーロッパの探検家の視点で見ると、これらの島々は目新しく、潜在的にとても儲かりそうに思え、植民地化政策が本格化しました。
植民地化政策はスペインが採用し、ポルトガルがブラジルで使い始め、その他のヨーロッパの国々も最終的に使うことになったもので、この根底には植民地は入植者の利益や富のために存在するという考えがありました。
二次的には、現地の人々をキリスト教に改宗させるという意図もあったのです。
ヨーロッパの国々の多くは、人間を一種の資産(奴隷貿易や強制労働)と主張することによって富を生み出しました。
道路から橋や教会まで、植民地を援助するためにつくられた仕組みは、富を引き抜き、人々をキリスト教に改宗させるためのものでした。
これを植民地でもともと生活していた土着の人々の観点からすると、植民地化というのは多くの形で貧しくなることを意味しました。
土地や前例のない規模での人命、長く持っていた宗教的な信仰、あらゆる種類の共同体の財産が失われたことはその一例です。
一方で、入植者からすると、上記の理由でお金持ちになれる可能性があります。
そのため、野心のある大勢の航海士はコロンブスの後を追い、引き出すことのできる富を求めて北アメリカ、南アメリカを探しまわりました。
マゼランの世界一周
もう一つのブレークスルーは、1519~1522年にフェルナンド・マゼランのスペイン船が世界一周を果たしたときに起こりました。
マゼランはポルトガル王宮から疎外された臣下たちを仲間に入れ、コロンブスと同じようにポルトガルでは何の後援も得られなかったのでスペインに行き、航海に必要な援助を受けました。
マゼランが船上で課したルールは厳しく、強引なところもあったため乗組員からの反抗が多かったといいます。
そういった問題に対してマゼランは厳しい態度で臨み、船団の反抗的な船長たちを処刑することも辞しませんでした。
南アメリカの先端で海峡を発見したあと、船団は太平洋を横断することに決め、最終的にはスペインに戻ってくることができました。
しかしマゼランはそこにはいませんでした。
その途中のフィリピンで、現地のリーダーたちの手に落ちてしまったのです。
1521年のことでした。
当初は237人の乗組員と5隻の船でスタートした航海でしたが、1522年に帰還したときにはわずか18人と1隻しか残っていませんでした。
マゼランたちの航海がいかに過酷だったかがわかる結果です。
しかしマゼランによって率いられた船団による航海は驚くべきものであり、それは世界に対してグローバルな輸送、交易、植民地、そしてグローバルな奴隷制度、戦争、パンデミック、支配への道を開いたのでした。
スペインはいまや太平洋を横断して中国やインドの贅沢品とともに植民地を増やし、大西洋を横断することで新世界の貴重品から多くの富を得ることができました。
エルナン・コルテスとフランシスコ・ピサロ
1519年にスペイン人のエルナン・コルテス(Hernan Cortés)は現在のメキシコにやってきて、土着の人々と接触しました。
彼は何百人もの兵士を従えて戦いを始め、同盟を強要しました。
彼は最終的にテノチチトランにあるアステカ帝国の中心に到達し、そこでスペイン人たちはこの文明が築いた富に驚愕しました。
現在のホンジュラスとニカラグアにおよぶその広大な帝国を率いていたモクテスマ2世(Montezuma II)に対して、コルテスは敬意を表しました。
首都は人であふれ、市場には彩りゆたかな生産物や工芸品に満ちており、洗練された都市はヨーロッパ人には馴染みのないものでした。
アステカ帝国における生贄の慣習も異質だったかもしれません。
同じような畏敬の念は、フランシスコ・ピサロにも起こりました。
彼はインカ帝国で素晴らしい織物や金銀でできた装飾品を目にしたのです。
インカ帝国の人々は、現在の南アメリカの西海岸に沿う広大な帝国を一つにまとめるために、何千キロもの道路や効率的な制度を築きました。
ピサロもコルテスも、インカやアステカから支配権を手に入れるために、敵対している共同体に所属する土着の人々の助けを借りました。
彼らは女王や身分の高い女性たちと結婚し、内部情報や地域のネットワーク、女性が所持している富―奴隷化された人々の富を含んで―を得ました。
イベリア人たちは貧困やカトリックの信仰に動機づけられて出帆しましたが、貿易となると製造技術が不足していたことで不利な状況にありました。
彼らが当初持っていたのは戦場での勇気と兵器だけでした。
しかし少しずつ、彼らは取引のプロセスや品物の起源、品質を判断する手段を学んでいきました。
他にも、ヨーロッパの人々と現地の人々を結びつける通訳のような仲介者に助けを求めました。
その一例はマリンチェ(Malinche)です。
彼女はコルテスと小規模の軍隊がメキシコを横断し、アステカ帝国の中心部に向かうことを容易にしました。
異なるグループ同士の敵意のおかげで、その筋の情報に詳しい仲介者たちはヨーロッパの人々に対する援助を集めるのに役立ち、その結果、ある地域グループが他のグループを先頭に立って攻撃しました。
中央アメリカの征服は、1520年代に、インカ帝国の征服は1530年代に起こりました。
ポルトガルとスペインの領土権争い
一方でヨーロッパでは、こういった航海や征服はイベリア半島の王国のあいだで、どの島がスペインのものでどの島がポルトガルのものなのかを巡って、混沌を生み出しました。
キリスト教会の後ろ盾を受けた条約は、最終的には領土を巡ってのスペインとポルトガルのあいだで起こった論争を収束させました。
1494年に署名されたトルデシリャス条約は、両者の領土境界を明確にする線を決めました。
1529年には、インド洋や太平洋の地域における各国の境界を決める条約も締結されました。
しかし条約はもちろんヨーロッパの兵器や病気による死を防ぐことはできませんでした。
西側の領域では、ヨーロッパ起因の病気に対する現地住人の免疫力の不足は、おそらく征服や兵器よりも重要な要素であったのです。
長期的に見ると、暴力や奴隷化、そして天然痘や麻疹のようなヨーロッパの病気は、土着のアメリカ人口の90パーセントものの死につながりました。
一方で、植民地化はスペインやポルトガルには利益の上がるものだということがわかりました。
一世紀以内に、貧しい王国を驚くべき富にあふれたものに押し上げたのです。
とりわけ1545年以降、スペインが現在のボリビアにあって、莫大な量の銀を保持するポトシ銀山を見つけ、土着の人々を最も危険な仕事をさせるために集めはじめました。
どちらの地域に対しても移住が膨れ上がり、いまや船は大西洋や太平洋を縦横無尽に動き回るようになりました。
スペインやポルトガルへの莫大な富の流入は、ヨーロッパにおける権力を再構成し、世界中の生活も大きく変えました。
それまで手に入らなかった物資や思想、細菌やウイルスまでが突然、世界的な展開力を持つようになったのです。
最後に本動画で勉強している中で気になった英語表現をご紹介します。
英語学習の参考にしてください!
気になる英語表現
behead の首をはねる
footnote 脚注
Iberian peninsula イベリア半島
contest を勝ち取るために争う、戦う
overland trade 陸上貿易
navigation 航海術、(航路に沿った)航海
Atlantic 大西洋の
hajj メッカ巡礼
deposit 鉱脈
entourage 側近、取り巻き
dot に点在する
coast 海岸、沿岸
start a family 子どもをつくる、第一子をもうける
cape 岬
afield 離れて、遠くで
intrepid 勇敢な、大胆な
conjure up (イメージやアイディア)を心に思い浮かべる
commerce (大規模な)商業、交易、貿易
trading post 交易所
cornucopia 非常にたくさんあること、宝庫
moldy カビの生えた
agile 機敏な、敏捷な
lobby に陳情する、働きかける
petition 請願する、嘆願する
devoutly 誠実に、熱心に
finish up の最後の仕上げをする
expel を追い出す、除名する
cheap 生半可な
persecution (人種・宗教などの理由による)迫害
pathfinder 先導者、先駆者、パイオニア
perpetual 永続的な、永久の
lucrative 儲かる、利益の上がる(=profitable)
new (経験したことがない)新奇な、目新しい
indigenous 土着の
at an unprecedented scale 前例のない規模で
loss of life 死亡、人命の喪失
breakthrough (行き詰まり・難関・交渉などの)突破
circumnavigate をぐるりと回る
alienate (それまでの友人など)を疎遠にする、遠ざける
no-nonsense (人や態度などが)真面目な、強引な
mutiny (軍事)〔上官に対する〕反抗
mutineer 反逆者
set out に乗り出す、~しようと決心する
revelation (隠されていたものの)暴露、新事実、〔思いがけない〕素晴らしい体験
settlement 植民地、開拓地
coffers 金庫、財源
luscious (味が)甘い、おいしい
awe 畏敬の念、畏怖
incentivize (人や組織など)に動機を与える、やる気を起こさせる
prowess (戦場での)勇気、武勇
weaponry (集合的に)兵器 (不可算名詞)
go-between 仲介者、橋渡し役
municipality 地方自治体
consort (国王、女王の)配偶者
animosity 敵意、悪意、恨み
warfare 戦争行為(状態)、武力衝突
mobilize を動員する
lead the charge 攻撃の先頭に立つ
demarcation 境界、区別
entail を必然的に伴う
smallpox 天然痘
measles はしか
conscript を徴兵する
microbe 細菌、微生物
global reach 世界中への展開力
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