【Crash Course 解説】ヨーロッパの歴史 #3

雑記

こんにちは、アマチュア読者です!

本を読むのが好きで、英語で読書会を開くために英語を勉強しています。

オンライン英会話で語学力をアップさせる取り組みがメインですが、YouTube動画でおもしろいものを見つけたら教材にして楽しく視聴しています。

私の好きな本のジャンルは古典と歴史なのですが、今回はどちらにも関わりがあって英語で学べる”Crash Course”というYouTubeチャンネルから、 ”Crash Course European History  #3”という動画をご紹介したいと思います。

The Northern Renaissance: Crash Course European History #3

本動画では、ルネサンスの広がりを追っています。

ルネサンスはフィレンツェで花開いたあと、フランス、イングランド、スペイン、オランダなどの低地帯諸国、中央ヨーロッパの非常に数多い小国家へと、その影響を広めていきました。

ヨハネス・グーテンベルクと革新的な印刷技術

ルネサンスは15世紀中頃に起こった活字印刷の発明によって形づくられ、発展していきました。

その功績の大部分は、ドイツ人の金細工職人であり金物修理人であったヨハネス・グーテンベルクに与えられるでしょう。

彼が1440年代に発明した印刷機は、有名な「グーテンベルク聖書」を生み出し、印刷された書物の普及を促進しました。

活字を含む印刷技術は、何世紀ものあいだ中国で使われてきました。

しかし、印刷はヨーロッパでより速く進みました。

ラテン語のアルファベットは26文字しか含まれないからで、印刷技術の刷新は文字を新しいものに置き換えるのを容易にし、やがてパンフレットやニュースレター、本になりました。

グーテンベルク以前に、ヨーロッパのほとんどの本は、他の本から手で書き写されていました。

これは時間がかかるしお金がかかるし、書き損じも引き起こしました。

それだけではなく、それまでの書物というのは一般市民の生活の一部ではありませんでした。

たとえば、もしあなたが当時のイングランドやフランスで農業をしている人々の80パーセントの中にいたら、仕事に対して読むことを学ぶ必要はないし、読むことのできるものは何もなかったでしょう。

印刷という技術は、そうした状況を信じられないほどのスピードで変えました。

最初の印刷機は1469年にヴェネツィアに届き、1500年までにはその都市に417台もの印刷機が置かれるようになったのです。

印刷技術がヨーロッパにやってきた最初の50年において、2000万冊以上もの本が印刷されました。

この中には、ルネサンスが再発見した古典世界の傑作が含まれていました。

多くの法律書も印刷され、法学者がローマ法用例集に載っている各ラテン語の意味を見つけようと努力した結果、西洋の法律の伝統が生まれました。

聖書が手に入りやすくなり、読んだり議論したりできるようになりました。

新しい物語や詩も、より多くの人々に共有されるようになりました。

科学や文学、法律、数学といった分野に興味があろうとなかろうと、印刷によって、多くの人々が時間や空間を超えて多くの考えや意見に出会う機会を得られたのです。

ルネサンスの考えが北の方に広がっていくにつれて、作家や学者はユマニスム(人文主義)の考えに出会う機会も増えました。

もちろん北部ヨーロッパの思想家は、その運動がイタリア起源であることを軽視しました。

歴史の偉大な法則の一つに、イタリアがたとえいつアイディアを発案しても、北部ヨーロッパはそれを軽く見るというものがあります。

ピーテル・ブリューゲルの絵画「ネーデルラントのことわざ」は、北部ヨーロッパのルネサンス芸術がイタリアのものといかに異なっているかがわかる一例です。

愚かな振る舞いをする人間を描いた本作は、叙情主義や優雅さを称えるボッティチェリ「ヴィーナスの誕生」の作風とは著しく違いますね。

しかし多くの点で、北部ルネサンスはそれほどユニークなものではありませんでした。

試金石は依然として古典の世界とその芸術や著作物でした。

フィレンツェ人は家父長制を権威づけるローマ法の伝統を多分に持っていました。

この考えは北部でも受け入れられていて、社会的あるいは政治的な秩序は、家族単位における父親の権力行使から生じたものであるという思想が根底にありました。

ユマニスムが現状の価値観を再考するためのドアを開いたならば、混乱を防ぐために何らかの核となる思想が必要でした。

南北の人々は、これが父親の法的支配という長く続いてきた伝統であることに同意したのです。

北部でも南部でも、ユマニスムは急進的になりました。

ユマニストはただその原理や主要なテーマ、修辞法を議論することだけではなく、教えることも始めました。

古代ラテン語や古代ギリシャ語も教えられるようになり、それはやがてテキスト(とりわけ聖書)が実際に伝えていることを再考することに貢献しました。

女性も授業を受けている兄弟に交じって、急進的な考えを学ぶこともありました。

女性の教育を正当化することにおいて、学者は個人授業を受けた詩人のサッポーやアスパシア、ローマの将軍スキピオの娘であるコルネリアを引き合いに出しました。

アスパシアは古代ローマの政治家ペリクレスの愛妾で、教養豊かだったことで知られています。

ペリクレスの時代がどのようなものであったかは、こちらの記事を参考にしてください。

デジデリウス・エラスムス

ユマニスムの影響が大きくなるにつれて、大学の数も増えていきました。

ヨーロッパの大学は長きにわたって、初期の教会の教えやアリストテレスの論理学に焦点を当てた「スコラ哲学」として知られる神学理論や哲学の体系を教えていました。

しかしヨーロッパの大学は、ユマニスムを受け入れはじめ、宗教のテキスト研究に時間をかけず、人間の条件についての研究に時間を使いはじめ、法整備を含めてどのように人間社会を構成するべきかを考えるようになりました。

このような時期に、「ユマニスムの君主」とも呼ばれるロッテルダムのデジデリウス・エラスムスは、北部ルネサンスにおいて指導的人物になりました。

エラスムスは人間や活動的な生活についての研究で案出されたアイディアの中からユマニスムを取り上げ、政治への適用に貢献しました。

彼はパリ大学で勉強し、著作”The Responsibilities of a Ruler”を含め、公共問題について彼の意見を出版し始めました。

彼はまた、” The Education of a Christian Prince”という著作の中で、「君主は古典や価値ある古代のリーダーの行動を学ぶ必要があり、偉大なリーダーは苦難に満ちた時期においても公共の利益を達成し、平和を維持する手段を発見したものだ」と説いています。

彼はまた、聖書やキリスト教の指導的な人物の作品を読むことの重要性を強調しました。

彼はやがて、異教徒の古代人と最近のキリスト教思想家のあいだの中道を主張する者として知られるようになりましたが、ときにカトリック教会に対して非常に厳しい態度をとりました。

『平和の訴え』には、カトリックとプロテスタントの間の宗教戦争前夜にヨーロッパ各地で起こった紛争の惨状を目にしたエラスムスが、自身を平和の神に仮託し、争いをやめて平和を取り戻すことを語らせています。

本書の中でのエラスムスの語気はかなり強い印象を受けましたが、それだけ平和を望む意思があったのだと感じました。

第二次世界大戦での戦没学生の手記や手紙を集めた『きけ わだつみのこえ』が編集されるきっかけとなったのも『平和の訴え』だったといいます。

時間の試練に耐えて、世界中の人々に読み継がれてきた作品は、時間や空間を超えて影響を及ぼし続けるのですね。

『きけ わだつみのこえ』については、こちらの記事を参考にしてみてください。

エラスムスは、ヨーロッパにおけるユマニストの国際グループである”Republic of Letters”の中心人物でもありました。

彼はおよそ500人と連携し、その中には『ユートピア』で有名なトーマス・モア、プロテスタントの生みの親であるマルティン・ルター、そしてローマ法王レオ十世も含まれていました。

聖書の翻訳とは別にエラスムスは、キケロのような古代の異教徒のテキストや、聖ヒエロニムスをはじめ、多くの宗教的に重要な役割を演じた作家の作品を編集し、翻訳し、出版しました。

彼は驚くほど多作で、編集者や校正者、ゴーストライターまでも雇って膨大な作品を生み出し、北部ルネサンスの典型的な人物となりました。

エラスムスが69歳のときに赤痢で亡くなりましたが、時代は16世紀に変わっていました。

エラスムスは、プロテスタントの宗教改革の勃興も目にし、マルティン・ルターの教義の多くに反対し、カトリック教会に変わらず忠誠を誓いました。

しかし、儀式よりも内面の精神性を強調したことは、いくつかの点でプロテスタンティズムを前触れでもありました。

「エラスムスが卵を産み、ルターがそれを孵化した」と感じる人々もいたようです。

ニコロ・マキャベリ

エラスムスと同じ時代に、ニコロ・マキャベリも活躍しました。

彼は現在わたしたちが政治学と呼んでいるものを形づくったルネサンスの偉大な思想家です。

マキャベリはエラスムスと真逆のような立場をとっていました。

彼はフィレンツェ共和国の伝統を忠実に支持していました。

1492年にロレンツォ・デ・メディチが亡くなった後、マキャベリは共和国のいくつかの役職を務めましたが、フィレンツェ共和国が1512年にスペインやローマカトリックなどの勢力に負けたのち、マキャベリは投獄され拷問を受けました。

彼は肩が脱臼するまで手首を吊るされたといいます。

3週間後に釈放されたあと、彼の代名詞となる傑作『君主論』(“The Prince”)の執筆に取りかかりました。

『君主論』はマキャベリの死後5年経った1532年にようやく出版され、生前にはタイトルが決まっていなかったといいます。

『君主論』は他のユマニストの作品とは非常に異なっており、とりわけエラスムスのエッセイや手紙において見られるキリスト教のユマニスムの理想とはかけ離れていました。

マキャベリは、彼の時代にリーダーを志望する人々が古典を学ぶことを想定していましたが、彼はリーダーにとって必要な態度は、古代の人々が助言していたものとは大きく異なると信じていました。

最も多く引用される彼のアドバイスは、為政者は愛されるべきか恐れられるべきかどうかに焦点が当てられています。

「どちらも望ましいが、一人の人間の中に両立されるのは難しいので、愛されるよりも恐れられる方がずっと安全である」というのがその言葉です。

マキャベリは政治に関して、いわゆる現実主義者の考えを取りました。

彼は、君主というのはどのように権力を守り、秩序を維持できるのかに焦点を当て、何が高貴なものかというよりも、何が効果的であるのかに興味を持ったのです。

マキャベリは、戦争は必要だと信じていました。

彼は、為政者は過去の偉大な軍事リーダーを研究することによって、戦争に備える必要があると主張しました。

効果的な軍事的リーダーシップは、効果的な政治的リーダーシップに極めて重要であると信じていました。

なぜなら、戦争に勝利した者が自分の条件で平和を得るからです。

トマス・モア、クリスティーヌ・ド・ピザン

しかしながら、ルネサンスのユマニストの中には、『ユートピア』で有名なトマス・モアのような理想主義者もいました。

彼はエラスムスの親友で、その親密さは二人の往復書簡を読むとよくわかります。

お互いの近況を気にしあっている様子が伝わってきて、歴史的に重要な役割を演じた二人が身近に感じられます。

エラスムスの代表作である『痴愚神礼賛』は、トマス・モアに捧げられ、短期間で一気に書き上げられたことで知られています。

愚かな人々について語る「痴愚神」をとおして、現実と批判を同時に説く本書は現在でも学ぶところの多い名著です。

トマス・モアは、ヘンリー八世のプロテスタントへの転向を批判したことで死刑になってしまいますが、そのときのエラスムスの悲しみは相当なものだったはずです。

『ユートピア』の約一世紀前に、理想の都市国家を想像した”Book of the City of Ladies”がクリスティーヌ・ド・ピザンによって書かれました。

彼女はヴェネツィアで生まれましたが、幼い頃に父親の仕事の都合でフランスに移りました。

その仕事がフランス王の占星術師というところにまず驚きます。

彼女は結婚して三人の子どもに恵まれましたが、夫がペストでなくなったために執筆業で生計を立てることになりました。

”Book of the City of Ladies”において、ピザンは歴史上すぐれた女性たちを集め、聖母マリアを女王とする都市を描きました。

本書で彼女は、女性は徳の高いリーダーになれるし、合理的な存在にもなれるので、結果として有徳の共同体を生み出すことができると主張しています。

この考え方はマキャベリの世界観とは正反対ですね。

おわりに

今回は、ルネサンスの広がりを追った”Crash Course European History  #3”という動画をご紹介しました。

本動画を観て一番印象的だったのは、ルネサンスにおいてエラスムス、マキャベリ、ピザンをはじめとする多様な世界観が生まれたのだということです。

同時代の作家が手掛けた作品を併読すると、興味のある本を濫読するのに比べて頭のなかが整理されやすいメリットがあることを改めて感じました。

ルネサンスに興味があって、英語を勉強したい方にはおすすめしたい動画です。

ぜひ観て勉強してみてください!

The Northern Renaissance: Crash Course European History #3

気になる英語表現

最後に本動画で勉強するにあたって調べた英語表現をご紹介します。

英語学習の参考にしてください!

leave off  (仕事、話など)をやめる、中止する

bajillion  (俗)非常に多くの

movable type printing  活字印刷

punctuation mark  句読点

credit  (功績に対する)賞賛

goldsmith  金細工職人

tinkerer  金物修理人

printing press  印刷機

now  さて、ところで

eject  (機械などから物)を外に押し出す

like,  たとえば

jurist  法学者

corpus  用例集、全集

whether  であろうとなかろうと

downplay  を軽く見る、軽視する

folly  愚かさ、愚かなこと

lyricism  叙情主義

touchstone  試金石

stem from  から生じる

embrace  を受け入れる

order  秩序

underpinnings  (ものごとの)基礎、土台

radical  急進的な

subject matter  (芸術作品などの)素材、アイディア

attest  (証言や署名で)を裏付ける、保証する

scholasticism  スコラ哲学

public affairs  公共問題

public good  公共の利益

prolific  多作の

proofreader  校正者

quintessential  典型的な

dysentery  赤痢

presage  (名詞)予兆、前兆 (動詞)を予兆する、の前触れとなる

lay an egg  卵を産む

hatch  孵化する

dismiss  (アイディアなど)を退ける、はねつける

political science  政治学

defeat  (敵)を負かす、倒す

dislocate  の関節を外す、を脱臼させる

grounding  基礎訓練、基礎知識

aspiring  ~志願の、熱烈な

counsel  に助言する、忠告する

astrologer  占星術師

virtuous  徳の高い、高潔な

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