こんにちは、アマチュア読者です!
今回ご紹介するのは、L.H.モーガン『アメリカ先住民のすまい』です。
著者は19世紀のアメリカの人類学者であったルイス・ヘンリー・モーガン(1818―1881)。
彼は学者であっただけでなく、弁護士、実業家、政治家の顔を持っていたそうです。
本書は彼が手掛けた大著である『古代社会』の続編に位置づけられ、1881年にアメリカで出版されました。
北米から南米に至るまでのアメリカ先住民の住居と住生活がまとめられており、文化人類学の古典になっています。
本書を読むと、彼らの生活ぶりがわかるともに、現代人が失ってしまった大切な慣習について考えさせられます。
アメリカ・インディアンの社会
インディアン(アメリカ大陸の先住民)は氏族という組織を基礎として、社会を構成していました。
氏族は人間にとって、もっとも古くて、もっとも広範囲に普及した制度の1つです。
同じ共通の祖先の血を受けつぎ、一つの氏族名を持ち、血縁によって結びつけられた親族が統合されています。
この氏族から構成される大きなグループを胞族(ほうぞく)といいます。
胞族は共通の目的や利益を持った近縁氏族同士の集合体です。
この胞族同士の集合体が部族と呼ばれています。
部族の構成員は、同一の方言を話します。
部族というと、「ゲームや映画の世界の話で自分たちには関係ないや」と思われるかもしれませんが、グローバルに存在した社会組織であり、歴史的に現代人と深いつながりがあります。
このように、アメリカ先住民の社会組織は大きく分けて氏族、胞族、部族がありますが、最も基礎的な組織は氏族です。
氏族を構成している人々は、彼らのリーダーである族長を選出したり罷免する権利を持っていたり、同一氏族内での結婚は禁止されたり、共通の宗教儀礼や共同墓地をもっていたりと、独自の決まりを守って生活していました。
歓待のしきたり
アメリカ先住民には、お客さんがくれば誰でも歓待する、という風習がありました。
知人であれ、よそ者であれ、だれかが家に入ってきた場合には、食べ物を差し出すのはその住まいの女性の役目でした。
訪問した人は、空腹であろうとなかろうと礼儀としてその食べ物を口にして、それを用意した女性にお礼をいう決まりになっていました。
この歓待のしきたりは、どこの住まいに入ろうとも、どんな時間であろうとも必ず行われたといいます。
16世紀にヨーロッパ人が到来したときも、この習慣は適用されたという文献が多く残っているそうです。
食べ物が生活の主要な関心事であった未開社会で、アメリカ・インディアンが実践していた歓待のしきたりは、食糧の平等化につながりました。
彼らは地上で生きとし生けるもの、川や海のなかで生きるあらゆるものは全員で共有されなければならないという基本原理を持っていたように思います。
病人や貧しい人は、共同の貯蔵庫から食糧を分け与えてもらっていました。
健常者で狩りができるのに物乞いをする人もいたようですが、そういう人は腰抜けで乞食だという烙印を押されてしまい、大きな代償を払うはめに陥ったといいます。
生活共同体
氏族制度が普及しているところはどこでも、血縁関係にある数家族が共同の所帯をきずき、狩猟や漁、作物の栽培をつうじて手にした食糧を共同で貯蔵していました。
村落のような共同体を持つインディアンは、一般的に大きな住居に住み、何十人、場合によっては何百人もの住民がひとつ屋根の下で生活していました。
規模としては、現代のマンションやアパートに近いかもしれませんが、血縁関係が深い人々だけが住んでいるという点では大きな違いがあります。
文明社会の個々の家族は共同の貯えで生活しますが、それは共同体とは呼べないでしょう。
数家族が共同の所帯で暮らし、食糧の貯えを共有し、しかもそれが構成メンバー全員のあいだで一般的なルールとなっている場合は共同体だといえます。
このような違いが生まれた理由の1つとして、17世紀初頭にルネ・デカルトが「我思う、ゆえに我あり」という考えに行き着き、主体と客体がはっきりと分離されて個人が確立されたことが挙げられるでしょう。
個人の意識が芽生えたことで、それまで伝統だった生活環境が変わってしまうというのは特筆すべきことです。
土地についての考え方も、アメリカ先住民と現代人では異なります。
インディアンは領地を共同体的に所有しており、無条件に誰にでも売ったり譲ったりできる私有財産制度をまったく知りませんでした。
インディアンの社会では、土地の絶対的な所有権を誰も得ることはできませんでした。
慣習によって、土地は一括して部族という共同体のものとみなされていて、個人の権利という観点がなかったのです。
ただし、誰も利用していない土地を耕作することで、そこを占有することはできました。
現代のように家を構えるためには、誰も住んでいない土地を耕して、自分たちで家を建てる必要がありました。
このような考えを持っていたので、アメリカの政府がのちにインディアンの土地を買い上げて賠償したとき、彼らは取引の場で利益を損なうことなく交渉することができませんでした。
結果として住んでいた土地を追われ、生活環境の悪い土地に住みつき、飢えに苦しむ生活を強いられることになりました。
インディアンの住居
インディアンの住居は部族によって多様な構造をもっています。
穴を掘って居住スペースを確保し、掘った土を積み上げて外壁にした土小屋に住んでいる部族がいます。
土の代わりに草ぶきにした小屋に住んでいる部族もいます。
陶器を製作し、菜園で作物を栽培する部族になると、石やレンガで家を建てます。
常に外敵に脅かされる地域では、階層構造の住居を建設し、1階からは内部に入れないような設計にして、2階からロープで1階に降りられるような家もあったそうです。
本書には図版が多数掲載されていますが、さながら要塞のようです。
北米を生活の拠点としていたイロコイ諸部族のばあい、奥行が15メートルから24メートル、ときには30メートルもある「ロングハウス」に何十もの家族が住んでいたといいます。
30メートルというと、マンション10階ほどの距離になるので、大規模な住居だったことがわかります。
すでに述べたように、所帯のどのメンバーがとってきた狩りの獲物も、耕作による収穫物も、所帯内の共同の貯えにされました。
これらの構造物は、その資材の調達や、長い道のりを運搬した労働量、火と石器を用いて住居を仕上げた技術を考えたとき、インディアンの誇りとして計り知れない価値を持っていたのだと思います。
また、彼らは便利な道具を使わずに資材を加工し、動物の力に頼らずに運搬するという勤勉さを持ち合わせていたのです。
16世紀以降のヨーロッパ人の到来により、先住民は住居を追われ、その数は減少し続けました。
イロコイ諸部族のロングハウスは、20世紀が始まる前に消滅してしまいました。
その形や機能、内部での生活の仕方も、いまはインディアン自身でさえ忘れてしまったといいます。
このように、インディアンの住んでいた住居は、そのまま残っているものがほとんどなく、生活様式の完璧な復元と理解はもはや不可能かもしれません。
おわりに
著者いわく、北米、中米、南米に残っているインディアンの多種多様な住居には、その大きさを問わず、共通しているものがあるといいます。
それは先住民のどの発達段階をとってみても、1つの家族だけでは生活上の困難を乗り切るには弱いため、数家族が寄り集まって大所帯をつくり、自衛するようになったことです。
しかも、インディアンのあいだでは一家族用の家は例外的で、数家族の住める大きな住居が一般的であり、共同体住宅であったことです。
また、食糧は社会の構成メンバーで共有されており、みんなで助け合う精神が根付いていました。
文明が進歩して個人が尊重されるようになると、このような考えは煩わしいものとして敬遠されます。
核家族化や単身世帯の増加も個人主義の影響が反映されているでしょう。
これは人類が求めて掴みとった生活形態で、進歩した結果だとも言えます。
ですが、その進歩を通じて失ってしまった習慣もあります。
共同体を築いてお互いに助け合うことや、歓待のしきたりがその一例です。
アメリカ先住民の生活は、自分たちが弱い存在だということを認識して、生き延びるために社会を形成していました。
現代社会においても、彼らの生活から学ぶべきことは数多くあります。
ご興味があれば、ぜひ本書を手に取ってみてください。
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