こんにちは、アマチュア読者です!
今回ご紹介するのは、小説『モッキンポット師の後始末』です。
著者は戯曲、小説、エッセイ、批評など幅広く活躍した作家の井上ひさし。
『ひょっこりひょうたん島』の原作者としてご存じの方も多いと思います。
本書はストーリーはもちろん、メインキャラクターの「モッキンポット師」の印象が強烈に残ったので書かずにはいられなくなりました。
モッキンポット師とは?
髪の毛はもじゃもじゃ生い茂り、
衣服は手垢と摩擦で鏡のように光り輝き、
爪の先は真っ黒で、
流暢な関西弁を話すフランス人の神父。
みなさんはどんなイメージをお持ちでしょうか。
モッキンポット神父はS大学文学部仏文科主任教授です。
教育に厳しく、試験は妥協せず単位を落とす学生が続出します。
カトリック学生寮の管理者でもあり、不良学生たちの後始末をいつもさせられる境遇にあります。
悪知恵のはたらく不良学生3人組が引き起こすトラブルに巻き込まれ、彼らを叱咤しながらも決して見捨てずお金を肩代わりしたり、ときに臨機応変な対応で急場をしのいでいきます。
とにかく愛にあふれたモッキンポット師なのです。
学生寮の小松、土田、日野は悪友で、モッキンポット師を悩ませます。
小松はS大学文学部仏文科、土田は東大の医学部、日野は教育大の理学部です。
バックグラウンドは違いますが、貧乏学生であることは共通しています。
食費が足りずにキャベツを洗面器で茹でて塩をつけてまかなったり、かけそば一杯よりも二食分のパンに価値を見出すさまは、読んでいて健気だと思います。
このあたりは著者の実体験にもとづいているのかもしれません。
が、金策を編み出しては最終的に失敗し、毎回モッキンポット師のお世話になります。
金策のアイディアは天才的ですが、それが失敗してしまう経緯やモッキンポット師が登場するシーンは毎回おもしろく、ページを繰る手が止まらないこと請け合いです。
続編『モッキンポット師ふたたび』
本書には続編があるんです。
題して『モッキンポット師ふたたび』。
小松、土田、日野の悪友トリオが引き起こしたトラブルに巻き込まれて強制帰国させられたモッキンポットが数年ぶりに日本にやってきます。
主要人物の学生3人はまたも数々の悪巧みを思いつきます。
たとえば、小松が書いた脚本のドラマ俳優として撮影現場に臨んだ土田と日野が、大女優の弁当をこっそり食べてしまいます。しかし(やはり)、そのことがバレて現場が騒然とします。
こんなことも思いつきます。小松が好きな女性の関心を得ようとフランスの戯曲を訳す(ほとんどフランス人に訳してもらう)のですが、舞台装置の設定があべこべで舞台俳優たちから冷ややかな視線を受けてしまうのです。
結局こういう事件も、最後にはモッキンポット師に降りかかってくるのはお決まりです。
教えるということ
どんな悪さをしても最後まで見捨てない師のふるまいは、小説であっても我が身を振り返るきっかけになります。
『モッキンポット師の後始末』と『モッキンポット師ふたたび』を読んで気づくのは、人間というのはたいていの場合、ドジで間抜けなところがあるということです。
冷淡な社会ではそれを忌み嫌いますが、温かく受け入れる社会もあります。
モッキンポット師のような教育者が増えれば、その教えを受けた学生たちは精神的に成長し、失敗に寛容な社会を形成していくことにつながるでしょう。
教えを説くことを含めて失敗の後始末をすることは、長い目で見ると失敗した人々が道徳観を身につけるだけではありません。これまでより少しだけよい社会になる重要な役割も担っています。
教えることは学校の先生にかぎらず、先輩や上司の立場になれば必ず考えるときが来ます。
モッキンポット師は、そういう大事なことを考える時間を与えてくれるのです。
遅筆堂文庫
著者である井上ひさしの蔵書が収蔵されている「遅筆堂文庫」が山形にあり、彼が読んできた本に目を通すことができます。
幅広いジャンルの本を読んでいたことがわかるだけでなく、書き込みや付箋でいっぱいの本のページをめくっていくと、彼の読書経験を追体験しているような気分になれます。
特に何百年、何前年と読み継がれてきた古典や太宰治の作品には書き込みが多かった印象を受けました。
井上ひさしの読書への熱意を感じたい方にはおすすめしたい場所です。
おわりに
今回は、井上ひさし『モッキンポット師の後始末』をご紹介しました。
小説として楽しめるのはもちろん、モッキンポット師の懐の深さや生徒への愛にあふれ、信じると決めたら貫く姿勢からは多くのことを学べます。
読んで後悔しない作品なので、ぜひ読んでみてください!
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