【文豪の真の姿に迫る】E.H.カー『ドストエフスキー』

伝記

こんにちは、アマチュア読者です!

今回ご紹介するのは、E.H.カードストエフスキーです。


本書は国際政治学を専門とし、歴史に関する洞察も深いE.H.カー(Edward Hallett Carr)によって書かれたドストエフスキーの伝記であり、著者のデビュー作でもあります。

ドストエフスキーが1821年に生まれてから1881年に亡くなるまで、著作はもちろんのこと、彼が書き残した数々の手紙をひもとき、ドストエフスキーの人生や彼が世の中に与えた影響について、著者ならではの客観的で深い洞察がなされています。

多くの伝記というものは、伝記作家の主観が強く反映され、必ずしも対象人物の姿を正確に記しているわけではありません。

しかし、本書の著者であるE.H.カーは、ケンブリッジ大学を卒業したあと外務省に約20年勤務し、ソ連やロシアについて実務を通じて深く理解していました。

ドストエフスキーに限らず、ツルゲーネフやゴーゴリーといった文豪も渉猟し、広い視野を持ってドストエフスキーを捉えていることが本書の端々から感じられます。

当時の政治情勢や社会情勢、分断の状況を客観的に描写し、できうる限り事実にもとづいた記述を心がけていることも伝わってきます。

ドストエフスキーは医者の父を持っており、財産は相当なものだったと推測されますが、経済的なだらしなさと慢性的な経済的困窮には事欠かない性格を持っていました。

借金を博打で帳消しにしようと画策したり、高利貸から多額のお金を借りた挙句に外国に逃亡するなど、自立生活は品行方正とは言い難い有様でした。

彼は書簡体の短い小説『貧しい人々』を1844年から1845年の間に書き、これが批評家たちによって称賛されました。

これを機に、ドストエフスキーは文壇の世界に足を踏み入れるわけですが、当時の彼は高慢な気質が強く、文壇が自分の足元に平伏したと空想するほど自分に自信を持っていました。

ただその後、他の分団の有名人たちにこき下ろされ、文学の吹出物と言う言葉が友人のあいだでも飛び回るほど彼を打ちのめし、その記憶は生涯消えることがなかったといいます。

そのあと長きにわたって、ドストエフスキーは後世に語り継がれるような名作を生み出すことができず、色恋沙汰や生活における困窮、政治体制を批判するような文章を投稿した廉によるシベリア流刑と、苦悩や絶望に打ちひしがれるような経験を数多くしました。

本書を読むと、そういった経験が後の罪と罰』『白痴』『悪霊』『カラマーゾフの兄弟へとつながっていったことがよく理解できます。

本書によると、十歳になるまでドストエフスキーは都会を離れたことがなかったといいます。

後年、さまざまな体験を重ねたものの、この都会風の小説家には都会育ちの少年の面影が著しいというのが著者の見解です。

ドストエフスキーは子供の頃、モスクワにある三部屋の平屋で六人の兄弟姉妹と育ちましたが、この一家は孤立していたといいます。

社交生活というものがなく、すべて、その活動は家庭内にとどまり、対外的なものではありませんでした。

ドストエフスキーは後年、人との交際をいつも家庭の団欒というごく親しい関係で考えました。友人は兄弟か、それ以上のものでなければならず、それ以下の関わりは彼には我慢できなかったのです。

こういった一風変わった幼年時代のために、普通の社交ができなくなったというのはありそうな話です。

表面より深く入ることはなくとも人生の楽しみを増していく、偶然が生み出す部分的な人との交際ができなくなったのです。

こういった交際を強いられると、ドストエフスキーは嫉妬ぶかく、口やかましく、過度に鋭敏となりました。

ドストエフスキーほどに「付随的な」人物の想像が貧弱な小説の大家はないであろうとは著者の言葉です。

外面的な性格のスケッチはドストエフスキーの得意とするところではありませんでした。

彼は表面を撫でることができなかったのです。

彼の作中人物の数、特に読者の記憶に残る人物の数は、作品の膨大な割に少ないのです。

しかし、そういう人物は、その魂を凝視して孤独な生活を送ったものにある強烈を持って考えられています。

たしかにツルゲーネフやトルストイのような爽やかな風景、田園のシーンは、ドストエフスキーの著作には見られません。

トルストイの小説が読者に合っている主な印象は「拡がりの感じ」だと批評家たちは語ります。

一方で、自然の広々とした開放感に向けられないドストエフスキーの観察力は、とどまることなく渦巻く人間の奥底へと凝縮していきました。

彼の数少ない田園風景も急いで描かれた背景のようなものに過ぎず、人物の言動から読者の目を離すような効果はありません。

ドストエフスキーが自らの小説の中の登場人物に閉じ込められた家では、思想さえも閉じ込められると語らせているように、ドストエフスキーの小説の多くは、ほとんど耐え難いまでの拘束の感じを生み出します。

ドストエフスキーが結婚生活をつうじて精神的に落ち着く晩年まで、彼の精神は不安定なものでした。

極端に陽気になると思えば極端に枕鬱になる、滑稽なほどの笑いに続いて耐え難いまでの内気と自己卑下に陥る、こういう症状はドストエフスキーの外部世界との関係にも現れていました。

彼は愚かな行為を犯している瞬間にも、その愚かさの奥底を見抜いており、後悔しながらもこの行為をやっているといった不幸な人間でした。

ドストエフスキーの性格の悲愴なところは、自分に抑制できなかった現象を十分に記述するだけでなく、明晰にその原因を分析できたと言うところです。

その跡は、本書で引用される様々な手紙の中に散見されます。

上記以外にも、西欧人が行動を称賛する一方でロシア人は感情を重視するという価値観の違いがドストエフスキーの作品にあらわれているという著者の慧眼に思わず唸り、ドストエフスキーの恋愛・結婚経験がどの名著に影響を与えたのかを丁寧に考察する姿勢には襟を正す思いがします。

人物としてのドストエフスキーはもちろん、他の文豪たちとの違い、ロシアと西欧の比較など著者ならではの鋭い洞察が光る作品です。

この機会にぜひ読んでみてください!

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