こんにちは、アマチュア読者です!
今回は19世紀の小説家マーク・トウェインのおすすめ名著をご紹介します。
マーク・トウェイン(Mark Twain,1835-1910, 本名:Samuel Langhorne Clemens)は、その斬新な文体と、物語を通じた痛烈な社会批判でアメリカ文学に大きな影響を与えた作家であり、社会批評家としても功績を残しました。
著者の文体は、地方の方言や話し言葉を作品に取り入れることで親しみのある表現を生み出し、後の多くの作家が彼の文体を参考にしています。
登場人物の視点から、アメリカ南部の風景や人々を生き生きと描き、19世紀のアメリカにおける社会の矛盾を浮き彫りにするとともに、自由や平等を求める普遍的なテーマは現代にも影響を与え、著者は「アメリカ文学の父」と称されています。
この記事では、実際に読んでおもしろかった著者の作品をご紹介しています。
著者の作品に興味はあるものの、どの作品から読んだら良いか悩んでいる方にとっては参考になるかと思います。
ぜひ読んでみてください!
『トム・ソーヤーの冒険』
本書『トム・ソーヤーの冒険』は著者が1876年に刊行した作品で、冒険の魅力に取りつかれた、いたずら好きの主人公トム・ソーヤーの視点を通じて少年期の本質が捉えられています。
賢さも兼ね備えたトムは、親友のハックルベリー・フィンや従兄弟のシッドとともに田舎町の退屈な日常を抜け出し、ワクワクする冒険に身を投じます。
本書では少年期の純粋な気持ちや創造力が描かれ、トムの冒険は退屈な日常のありふれた仕事をエキサイティングな出来事に変える独創的なおもしろさに満ちています。
さまざまな冒険を通じて、トムは責任や勇気といった人生における重要な教訓を学び、道徳的成長を遂げる過程が描かれています。
児童文学としてはもちろん、大人になっても忘れてはならない大切なことを本書は教えてくれます。
トムとハックルベリー・フィンの絆も本書の主要なテーマで、彼らの忠誠心や仲間意識は、困難を乗り越えるのに友情が果たす役割を映し出します。
本書の登場人物であるハックルベリー・フィンは、後に刊行された『ハックルベリー・フィンの冒険』の主人公でもあり、本書を併せて読むとおもしろさが増すこと間違いなしです!
本書の冒険物語と並行して展開する、トムとベッキー・サッチャーの恋愛事情も『トム・ソーヤーの冒険』の内容に彩りを添えています。
『王子と乞食』
本書『王子と乞食』はタイトルのとおり、王子と乞食という社会的地位としては正反対といってもいい関係の2人の主要人物がイギリスを舞台に活躍します。
この2人は瓜二つの顔立ちをしていて、あるとき立場が入れ替わってしまいます。
生活環境がまったく変わってしまった状況で、2人の対照的なふるまい方が本書の読みどころの一つといえます。
貧民街に住んでいるトムは、宮廷の物語を聞いたり読んだりしているうちに、本物の王子に会いたくなります。
ある日、王子が住む宮廷の前に立っていると、王子が近くを警護されながら通るところを目にし、少しでも近くで見たいと門の格子に顔をくっつけていると、番兵に荒々しく放り投げだされてしまいます。
それを見ていた王子エドワードはトムを哀れに思い、宮廷に連れて行きます。
エドワードはトムが送っている生活についていろいろ質問しているうちに、トムが自由に泥遊びを楽しんでいるのを羨ましく思いはじめます。
一方で、トムは物語で語られているような宮廷の生活を夢見ていました。
そこで外見が瓜二つの2人は、お互いの生活を経験するために着ているものを入れ替えてしまうのです。
すると、まわりの人たちの反応もそれぞれの外見に合わせて変わってしまうのです。
王子のエドワードと乞食少年トムの物語が最後にどのような結末を迎えるのかは、ぜひ本書を読んでいただきたいです。
「相手の立場に立って考える」ことの大切さは義務教育をはじめとして、さまざまな場面で耳にします。
本書を読むと、立場の異なる他者が日々営んでいる生活を経験することによって、いかに多くを学ぶことができるのかが伝わってきます。
『ハックルベリー・フィンの冒険』
本書『ハックルベリー・フィンの冒険』は、今日ではアメリカ文学の傑作と称される世界文学の古典であり、19世紀のミシシッピ川を舞台にした冒険物語です。
主人公のハックルベリー・フィン(以下「ハック」)は、虐待的で他責思考の言動をあらためない父親から逃げ出し、家出をしてカヌーで川を下る旅に出ます。
旅の途中で奴隷である黒人のジムと出会い、2人はそれぞれの自由を求めて冒険に乗り出します。
2人は道中で悪党や詐欺師など、さまざまな人々に出会い、数々のトラブルに巻き込まれながらも旅を続けます。
人間関係だけでなく、突如おとずれる自然の猛威との対峙も本書の読みどころの一つです。
著者は当初、本書を『トム・ソーヤーの冒険』の続編として書き始めたようですが、ハックが逃亡奴隷のジムを連れて旅をするという状況の中に、単なる冒険物語では収まりきれない「奴隷制度を是とするか否か」という深刻な問題が頭をもたげます。
ハックはジムを助けることを通じて、人種差別を含む白人社会の常識や価値観、奴隷制度に対して疑問を抱き、川下りの旅が進行するとともに人間的に成長していきます。
この書きぶりが、本書をして世界一級の文学作品と評価せしめる一つの大きな理由になっています。
本書の冒頭には、兵器部長G.Gという人物から次のような警告が発せられています。
刺激の強い言葉ですが、かたくるしい批評や重箱の隅をつつくような詮索はやめて、楽しんでこの作品を読んでほしいという著者の願いが込められているのだと思います。
この物語に主題を見出さんとする者は告訴さるべし。
そこに教訓を見出さんとする者は追放さるべし。
そこに筋書を見出さんとする者は射殺さるべし。
『人間とは何か』
本書は最初に匿名で発表され、哲学的なテーマを扱った対話形式のエッセイです。
のちに著者が直接書き上げていたことが明らかになりました。
老人と青年の対話を通じて、人間の本質や自由意志、道徳についての著者の思想が表現されています。
それは、人間の言動は意思に関係なく、生まれ育った環境や教育、遺伝的な要因によって決まるという機械論的な人間観です。
たとえば、ある人がある道徳的な選択をするのは、幼少期に教えられた価値観や、実際に体験した出来事が根本にあり、純粋に自由な意思によるものではないと老人は語ります。
それに対して、ある程度納得はしながらも自分の意思を持ち続ける青年は、老人の思想とは対照的に描かれています。
小説ではなく対話形式のエッセイであるため、物語性よりも哲学的な議論や論証に重きが置かれています。
著者晩年の深い人間的洞察とペシミズムが特徴的な作品ですが、議論が老人の考察に依っているものの、明確な答えを提示していないところに著者の複雑な感情が垣間見えます。
『不思議な少年』
人間の本性や善悪、宗教といったテーマを扱った物語で、著者の晩年における哲学的思想が色濃く映し出されています。
未完の小説であり、遺稿をもとに編集されて出版された作品が本書『不思議な少年』です。
16世紀オーストリアの小さな村を舞台に、若者たちが超自然的な能力を持つ少年サタンと出会うことで不思議な出来事が次々に起こり、物語が展開していきます。
サタンはその名の通り、悪魔的な存在であるとともに無邪気な顔立ちと魅力を備え、彼の言動には達観した洞察が感じられます。
サタンはさまざまな不思議な力を見せ、人間社会の醜い側面を批判し、嘲笑います。
残酷なまでに率直な物言いで、首尾一貫しない自己中心的な道徳観を否定し、人間は自由意志を持たず、ただ環境や運命に左右される動物にすぎないと語ります。
本書でのサタンとの交流を通じて、読者は人間の本質や幸福について考えざるを得なくなると思います。
「自分の思い描く理想の人生は幻想にすぎないのだろうか」
「人間に本当の意味での自由は存在しないのだろうか」
こういったことを考えて思い悩む方もいらっしゃるかもしれません。
晩年の著者が辿り着いたペシミズムは、『トム・ソーヤーの冒険』や『ハックルベリー・フィンの冒険』といったワクワクする冒険譚とは打って変わって、同じ作家が書いた作品なのか疑ってしまうほどに趣の異なる作品です。
しかしながら、自分の生き方を考える意味でも読む価値のある作品です。
『人間とは何か』を小説の形で書き残した作品が本書といえるかもしれません。
おわりに
今回は19世紀の小説家マーク・トウェインのおすすめ名著をご紹介しました。
トム・ソーヤ―やハックルベリー・フィンのワクワクするような冒険物語や、独創的なプロットの作品は読んでおもしろいことは勿論、読み終わった後も何か心に残る内容で、折にふれて読み返すと、その度に著者の人間に対する深い洞察に驚かされます。
晩年の著者の機械論的な人間観やペシミズムも、人間という存在をあらためて考える上で非常におもしろいです。
ぜひ読んでみてください!
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