【これは読んでほしい!】民藝運動の創始者 柳宗悦のおすすめ名著4選

読書まとめ

こんにちは、アマチュア読者です!

今回は、宗教哲学者民藝運動の創始者としても後世に名を残す柳宗悦(やなぎむねよし)のおすすめ名著をご紹介します。

著者は明治22年(1889)、麻布市兵衛町に5200坪の敷地を持つ元老院議官、柳楢悦の三男として生まれました。

父は藩校に学び数学者となり、25歳(1856)で長崎の海軍伝習所に入ります。

西欧の文化に接して港湾測量や海図作製の技術を習得するなど、身をもって帝国海軍の建設に貢献しました。

著者は2歳のときに父と死別しますが、母の意向で学習院初等科に入学し、やがて学習院高等学科で2年上級の志賀直哉や武者小路実篤らと文芸雑誌白樺を発刊する機会に恵まれます。

当時の学習院初等科は、院長に乃木希典、英語教師に鈴木大拙、ドイツ語教師に西田幾多郎という錚々たる顔ぶれのもと、著者は質の高い教育を受けました。

東京帝国大学で哲学を学んだ後、宗教哲学を専門としながら朝鮮の民芸に心を奪われ、たびたび朝鮮半島を訪れるようになります。

民芸品に宿る美に注目し、著者は37歳(1926)にして民藝(みんげい)という造語を生み出しました。

民藝についての数々の著作をあらわしながら、47歳(1936)で日本民藝館を開館し、蒐集した民芸品を展示するようになります。

日本民藝館は落ち着いた雰囲気のある安らぐ空間で、実際に民芸品を目にすることでしか感じられないものを経験できるので、ぜひ訪れてみてください。

日本民藝館
日本民藝館公式サイト

今回ご紹介する作品は、どれも著者の美意識や宗教観が詰まっており、これからの未来においても読み継がれる名著であると確信しています。

『手仕事の日本』

本書は著者が日本各地の美しい手仕事を紹介しながら、手仕事がいかに大切なものなのかを訴える民芸案内書です。

今日では機械による大量生産でつくられた製品を身のまわりに置く、あるいは身にまとうことが当たり前になっていますが、本書が書かれた戦時中では手仕事によって生まれた品物が残されていました。

しかし当時でさえも、手仕事は時代に取り残されたものだという考えが強まっていました。

著者は、日本に固有の美しさを守るためには手仕事の歴史をさらに育てるべきだと強調し、実際にどのような種類の優れた仕事があるのかを地域ごとに紹介しています。

著者は本書を執筆するにあたり、およそ20年に渡って全国の民芸品を見てまわったといいます。

さまざまな気候や風土を持ち、独自の歴史や伝統が残る日本だからこそ、多様な民芸品が生まれたのだということが言葉の端々から伝わってきます。

読者に優しく語りかける丁寧な文体で、真心のこもった著者の話を独り占めしているような気分に浸れるのも本書の特徴です。

各地に残る民芸品の挿絵も素晴らしく、読者の目を癒してくれます。

本書は、日本のライフスタイルや生活の中で何気なく手にとる道具について、またその作り手について立ち止まって考える貴重な機会を与えてくれます。

手仕事という言葉が死語になった現代だからこそ、その価値は高まっています。

地方に旅をすることがあれば、本書を旅のお供にするのも一興でしょう。

飽きることなく読み通せる、まごうことなき名著です。

『茶と美』

民藝運動の創始者である著者は、宗教哲学を専門としています。

日本の茶は臨済宗と密接に関わりがあるため、茶の湯という世界とは関わりを持ってはいるものの、著者と茶の湯の距離は遠く隔たっていました。

生前は茶の湯と民芸が交わることはなかったといいますが、著者は日本人が美を観る眼を失っていることに警鐘を鳴らし、茶の心や美の本質について説くことをやめませんでした。

本書は茶人である戸田勝久氏が、著者の書き残した数多くの優れたエッセイの中から「茶の湯の側から選んだ『茶と美』」としてふさわしいものを厳選して書籍化されました。

意図された豪華さや美しさではなく、大衆に向け、名もない職人によって手づくりされた工芸品に宿る美を尊び、これこそ真によき器とみなす著者ならではのものを観る目は鋭く、美の深層にまで向けられています。

じかにものを観てくれというのが本書に通底する著者のメッセージです。

無名であった朝鮮の飯茶碗に美を発見し、名器「喜左衛門井戸(きざえもんいど)」として後世に残した初期の茶人たちを称え、観る眼を失った当時の茶人たちに厳しい言葉を投げかけています。

本書には茶と美にかかわる多くのエッセイが収録されていますが、特に陶磁器を中心とする器についての評論が多く見受けられます。

重要な構成要素である素地(きじ)と釉薬(うわぐすり)、焼き方、色、模様、線、触致、全体の味わいに触れ、その奥深さが語られています。

いかに技巧が鮮やかであっても、形や釉薬に美麗を尽くしても、全体的に観たときに味わいがなければ空しいものになってしまいます。

この味わいというのは内に含まれる美のことで、外に向かってあらわになった美のことではありません。

見る者が飽きることなく、いつまでも汲み尽くせない美の極みを著者は渋さと呼び、老子玄之又玄という言葉を引用し、渋さとは玄の美だと述べています。

「玄」は匿された世界、密意の世界のことで、本書では渋さに達するためのヒントが盛り込まれています。

資本主義やグローバル化が当然のこととみなされる社会において、日本が持っていたものを観る眼を再考する機会を与えてくれるのが本書です。

『南無阿弥陀仏』

著者晩年の傑作であり、浄土思想とライフワークである民芸運動を関連づけた著者の仏教観が語られています。

浄土思想の系譜を法然、親鸞、一遍とたどり、当時必ずしも明確でなかった鎌倉時代の一遍上人の思想的意義を高く評価したことで仏教界に衝撃を与えました。

世間的な反響も大きく、出版後数年が経っても多くの手紙が送られてきたといいます。

冒頭には本書に込められた願いとして、以下の3つが挙げられています。

・「南無阿弥陀仏」という六字の名号が何を意味するのかを若い人に聞いてほしい

・一遍上人の歴史的位置をもっとよく知ってほしい

・他力と自力に優劣はなく、登り尽くせば山の頂で互いに会える

何のために念仏をするのかと問うことに値打ちはなく、功徳のためではなく念仏それ自身の念仏であるというのが著者の考えです。

念仏が念仏するという一遍上人の金言は本書を通読することで心に染み入ってきます。

名もなき工人が「我」を捨て去り、自分であって自分でなくなる境地に至るからこそ、つくり出す民芸品には美の極みである渋さが生まれるのだという著者の美意識には心が洗われる思いがします。

学識はないけれど篤い信仰を持つ妙好人(みょうこうにん)についても紙幅を割き、彼らに備わった他力についてのエピソードも織り込まれています。

目的や手段という言葉が氾濫する世の中で、只それをするということの重要性を説く本書は、これからも古典として読み継がれていくはずです。

『蒐集物語』

著者は自ら設立した「日本民藝館」に展示することを目的として、20年以上にわたって物を集めていました。

本書は蒐集家としての著者による「蒐集」についての数々のエピソードや、真の蒐集家とはどのような人を指すのかを著者の視点でまとめた論考が収録されています。

著者がその仏像を見て即座に心を奪われた木喰上人との出会いと、他の仕事をすべて投げ捨てて1年のあいだ心血を注いだ木喰上人の研究ぶりについても書かれており、木喰上人が生み出した作品の魅力や著者の美に対する信念が伝わってきます。

美しいものを求めるということは、誰に心にも本来宿っているはずであり、著者がそういったものを蒐集するのも人間の心の故郷に帰ることに他ならないといいます。

一般的に考えられているコレクターや投機目的で美術品を買い漁る人々とは一線を画す、超一流の「蒐集家」論が随所に展開されており、ものを買い集めるという営みについて改めて考える契機になる考えが満載です。

知識を持ち出したり、評判を大切にしたり、銘を物差しにしたり、ときに金額の多寡で美しさの価値を決めてしまいがちですが、空手で、直観でものを見ることの意義を著者は力説します。

少くとも美しさの自由は、計量を越えるという著者の言葉は、科学偏重の向きがあるデジタル社会に生きている現代人にとっても、打てば響く鐘のような深みを宿しているように思えます。

当初は「下手」や「下手物」と表現されていた民芸品を民藝という言葉に改めた背景がわかる「京都の朝市」というエッセイも収録されており、民藝ファンにはたまらない一冊です!

おわりに

今回は、宗教哲学者で民藝運動の創始者としても後世に名を残す柳宗悦のおすすめ本として、手仕事の日本』『茶と美』『南無阿弥陀仏』『蒐集物語をご紹介しました。

日本の美意識や仏教観の本質を見極め、日本社会の文化的発展に尽くした著者の作品には心を揺さぶる名言や金言が散りばめられています。

ぜひ読んでみてください!

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