こんにちは、アマチュア読者です!
本を読むのが好きで、英語で読書会を開くために英語を勉強しています。
オンライン英会話で語学力をアップさせる取り組みがメインですが、YouTube動画でおもしろいものを見つけたら教材にして楽しく視聴しています。
私の好きな本のジャンルは古典と歴史なのですが、今回はどちらにも関わりがあって英語で学べる”Crash Course”というYouTubeチャンネルから、 ”Crash Course European History #1”という動画をご紹介したいと思います。
このシリーズは#1~#43までの長編動画です。
そのなかで、#1は中世ヨーロッパについての概要が説明されています。
黒死病や百年戦争、ジャンヌ・ダルクの生涯、市民の反乱などトピックが絞られていてわかりやすかったです。
中世ヨーロッパ(medieval Europe)は歴史的にあまり良い評価をもらえていません。
病気や飢饉に多く悩まされたということはよく聞く話です。
若くして亡くなる子供が多かったため、成人になる前に結婚する人々がたくさんいました。
中には6~10歳で結婚した子供もいたといいます。
騎士道という特別な行動様式にしたがって生きる美徳も、徐々に衰退していきます。
さらに、14世紀と15世紀には黒死病(The Black Death)、大分裂(The Great Schism)、百年戦争(The Hundred Years War)など悪い事件が多く発生しています。
また14世紀には寒冷期がはじまり、気温の低下と収穫の減少は成長阻害や飢餓を生み出しました。
黒死病あるいはペスト
中世では「黒死病」と呼ばれる腺ペストのパンデミックがアジアからヨーロッパに広がっていきました。
腺ペストはネズミやノミを介し、人の移動が頻繁になるほど感染が広がったのです。
四肢や顔が黒く変色して患者が亡くなったことから「黒死病」と名付けられました。
現代では腺ペストは抗生物質を使って治療できますが、この治療法が確立するのは当時のパンデミックから数十年後のことです。
14世紀には、黒死病が1347年にコンスタンティノープルに到達するまでに2500万人もの人々がアジアで亡くなっていました。
そこから4年以内に凄まじい数のヨーロッパ人が黒死病で亡くなり、感染してから2日以内に命を落とすケースも多発したといいます。
人々は愛する人を看病するのか、感染を避けて逃げるのかの胸が張り裂けるような決断を迫られました。
いくつかの地域では人口の80パーセントが亡くなり、最近ではヨーロッパ全体の半分の人々が亡くなったという研究もあります。
黒死病の猛威についての描写は、ジョバンニ・ボッカチオ(Giovanni Boccaccio)の『デカメロン』に描かれています。
ボッカチオは14世紀の黒死病の時代に生きた作家で、その当時を知る人物が描いた情景は心を揺さぶります。
現在まで読み継がれる物語集なので、おもしろいことは間違いないのですが、こういった描写も注意して読むとおもしろさが増すのでおすすめです。
教会には膨大な量の遺体を埋葬するのに十分な土地がなく、深い穴を掘って収容せざるを得ませんでした。
百年戦争
このような状況下で、百年戦争も起こっていたのです。
百年戦争はイングランド王国とフランス王国の間で、誰が多くの領土を支配するのかをめぐって争われました。
当初はイングランド王家プランタジネット家とフランス王家ヴァロワ家のフランス王位継承権争いでしたが、しだいにナショナリズムの火が燃え上がっていき、大規模な戦争へと発展しました。
不安定な状況が戦争を生むのか、戦争が不安定な状況を生むのかという興味深い疑問がありますが、この場合は両方正しいのでしょう。
収穫が減って、黒死病の感染が広がると戦争が起こりやすくなり、戦争は収穫減と感染拡大を加速させます。
騎士道は敵に対する高貴なふるまいの総称で、戦場において相手をみだりに殺すのではなく、無傷で捉えて賠償金を請求するという行動をとりました。
このような高貴なふるまいによって、騎士は一般の兵士や傭兵と明確に区別されていたのです。
しかしイングランド王がヨーロッパ中から略奪行為を行う傭兵を雇いはじめ、戦場における倫理観は衰退していきました。
ジャンヌ・ダルク
百年戦争にはジャンヌ・ダルク(Joan of Arc)の活躍も含まれています。
彼女は1412年にフランスの農家で生まれました。
16歳のとき、イングランドはフランス王位継承権を獲得するために十分なほどの勝利を重ね、1420年のトロワ条約で優位に立ちました。
この頃のフランスには指導者がいないように思われました。
ジャンヌ・ダルクはイングランドを領土から追い出し、シャルル7世をフランス王として擁立することに多大な貢献をしましたが、その過程で彼女は捉えられてイギリスに引き渡され、異端の判決を受け火あぶりの刑でこの世を去りました。
1431年、ジャンヌ・ダルクが19歳頃のことでした。
殺人事件や暴力事件の発生率は、今日に比べて明らかに高いもので、戦争で命を落とすことは日常茶飯事でした。
栄養失調や成長阻害は非常にありふれていて、子どもの死亡率も驚くほど高かったといいます。
約50%の子どもは5歳を迎える前に亡くなったという研究もあります。
大分裂
この時代には宗教においても大きな事件がありました。
ローマ法王と国王のどちらが大きな権力を握るのかをめぐり、ローマとフランスのアヴィニョンでそれぞれ法王が選出されるという驚天動地の事件が起きます。
歴史家はこれを「大分裂」と呼んでいます。
「大分裂」の背景には、黒死病が猛威を振るう中で、聖職者が宗教的に人々を導くことができなかったことも大きく関係していたでしょう。
このような状況で、ヨーロッパのキリスト教世界は衰退し、1453年にイスラム教徒の共同体であるオスマン帝国がビザンツ帝国の首都コンスタンティノープルを陥れます。
これはローマ帝国の陥落とイスラム教の台頭を象徴していて、大聖堂がハギア・ソフィアモスクになったことは有名です。
コンスタンティノープル陥落について詳しく知りたい方は、塩野七生『コンスタンティノープルの陥落』がおすすめです。
著者の文体は歴史を物語のように読ませてくれます。
市民の反乱
黒死病や百年戦争によって人口が減少し、農業に従事する労働力が不足したことで、農奴たちは自分たちの価値が上昇していることに気づき、自由を主張するようになります。
地主がよりよい環境を提供できないことで、小作人はたびたび反乱を起こします。
イングランドで起きた反乱では、彼らは貴族階級の人々を殺し、城や領主の邸宅を占領しました。
都市部でも、職人たちが賃上げと課税負担の軽減を求めて暴動を起こしました。
職人や農民の権利拡大は非常に長いプロセスですが、増大する力と封建制度の衰退はヨーロッパで顕著な変化でした。
戦争自体も変わりました。
人々はもはや倫理的な理由、あるいは神の栄光のためではなく、名声やキャリアのために戦うようになりました。
勝ち負けを繰り返して116年続いた百年戦争を通り抜けて生まれたのは、「それが戦争の現実だ。ときには勝ち、ときには負ける。」という格言でした。
この時代には人生について、「死よりも確かなものはない」という言葉を人々は繰り返し引用しました。
あるいは、人生はゼロサムゲームのようなものだと感じ始めたことを強調して、「大きな魚はより小さい魚を食べる」「人間は自分の身は自分で守るかぎり良い」という言葉もよく使われたといいます。
しかしこのような状況下にあっても、職人や農民だけではなく、芸術家や哲学者、建築家たちはヨーロッパの再生、つまりルネサンスを生み出していました。
フィレンツェの大聖堂が百年戦争の終わる前に完成していたのはその一例です。
最後に本動画を観ながら内容を理解するなかで、よく理解できずにつまずいた英語表現をまとめました。
この動画は歴史を英語で楽しく学べるのでおすすめです。
ぜひ試してみてください!
気になる英語表現
wantonly 気まぐれに
albeit ~にもかかわらず
in decline 下り坂になって、衰退の道をたどって
stunting 成長阻害
bubonic plague 腺ペスト(=plague)
interconnectedness 相関性
gangrene 壊疽(虚血による体組織の死)
extremities 四肢
necrosis 壊死
Yersinia Pestis ペスト菌
a staggering number 驚異的な数
stench 悪臭
ransom 身代金、賠償金
mercenary 傭兵
loot 略奪を行う(暴力行為なし)
plunder 略奪を行う(暴力行為あり)
excommunicate を破門する
under the thumb of ~の言いなりになって(直訳:親指で押さえつけられて)
artisan (熟練した)職人
That’s the way it is. それが現実だ
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