こんにちは、アマチュア読者です!
今回ご紹介するのは、ブレーズ・パスカル『パンセ』です。
「考える葦」という言葉で有名な本書は、パスカルが信仰していたキリスト教の弁証論(啓示された心理や事実を擁護して立証する議論)を完成させるために準備していた資料をまとめたものです。
人間が持っている性質について、探求を続けた著者の思想が詰まった本書は時間をかけて読む価値があります。
ブレーズ・パスカルについて
ブレーズ・パスカル(Blaise Pascal)は1632年にフランス中部の山岳地方にある都市クレルモンで生まれました。
裁判官だった父は1631年に職を去ってパリに上り、ブレーズの教育に専念しました。
ブレーズは学校に一度も行ったことがなく、父だけによって教えを受けたのです。
早熟の天才だったブレーズは、16歳のときに早くも当時の数学の先端を行く円錐曲線論を著し、19歳で計算機を発明、23歳のときから真空に関する実験と研究をおこない、その数年後に物理学で有名なパスカルの原理を提唱しています。
現在でも流体力学の分野では、パスカルの原理を理解することは必須です。
一方で、信仰の篤いキリスト教徒であり、ポール・ロワヤル派の厳格なキリスト教の立場で、強権と国権をにぎっていたイエズス会との論争に身を投じました。
晩年はキリスト教弁証論の執筆に情熱を注ぎましたが、度重なる病に苦しみ、その著述の完成を見ないまま1662年に39歳の若さでこの世を去りました。
『パンセ』という作品は、この未完成に終わったキリスト教弁証論のための下書きや資料を中心とする遺稿集なのです。
気を紛らわすこと
『パンセ』を読んでいてまず印象的だったのは、「人間の不幸は部屋の中に静かに休んでいられないことから起こる」と説いているところです。
不幸という言葉を聞くと、運が悪いとか自由がないことを連想しがちですが、パスカルの視点は鋭く本質に迫ります。
生きるのに十分な財産がある人が静かに自宅で休んで満足していれば、旅行に行ったり、贅沢なものに浪費したりはしないでしょう。
パスカルは王様を例に挙げます。王位はこの世で最もすばらしい地位であり、彼の受けうるあらゆる満足に囲まれているかもしれません。
しかし、「もしも彼が気を紛らわすことをせず、自分とは何かを深く考えて時間を過ごしたならば、そのような活気のない幸福は、彼の支えにはならないだろう」とパスカルは述べます。
王様は起こりうる反乱や、避けることのできない病気や死など、彼を脅かすものに必然的におちいるに違いないというのです。
だからこそ、「人間は騒ぎや動きを好むことになり、反対に牢獄は恐るべき刑罰になり、ここから孤独の楽しさは不可解なものになる」というのがパンセの考えです。
古典的な作品を読むときによく貴族が狩りを楽しむシーンを目にしますが、パスカルの考えに照らせば、彼らが求めているのは実際の獲物ではなく、死や悲惨から目をそらせてくれる対象になります。
自分の内面に目を向けると、どのように生きていくべきかがわかってくると言われますが、実際にそれをおこなう人が少ないのは、人間は幸福を見つけるために外部に目を向けるという性質があるからかもしれません。
現代社会では核家族化が進み、メディアも多様になったことで一人になる時間が増えています。
考えてみると、そういった状況でインターネットに依存する人が多いのは、自分の外に目を向けて気を紛らわせたい衝動に抗えないことも関わっているのでしょう。
人が求めているのは戦争の危険や仕事での苦労ではなく、不幸な状態から思いをそらせ、気を紛らわせてくれる騒ぎであるというパスカルの考えに深くうなずきました。
人間は考える葦である
自分の外部に目を向けて気を紛らわせることが人間の性であると論じることからわかるように、パスカルは人間を弱い存在とみなしています。
彼は人間の存在について、本書のなかで次の有名な言葉を残しています。
人間はひとくきの葦にすぎない。自然の中で最も弱いものである。だが、それは考える葦である。彼をおしつぶすために、宇宙全体が武装するには及ばない。蒸気や一滴の水でも彼を殺すのに十分である。だが、たとい宇宙が彼をおしつぶしても、人間は彼を殺すものより尊いだろう。なぜなら、彼は自分が死ぬことと、宇宙の自分に対する優勢とを知っているからである。宇宙は何も知らない。
だから、われわれの尊厳のすべては、考えることのなかにある。われわれはそこから立ち上がらなければならないのであって、われわれが満たすことのできない空間や時間からではない。だから、よく考えることを努めよう。ここに道徳の原理がある。
自分の頭で考えることの重要性は、古今東西さまざまな人が主張し続けています。
考えずにまわりの言うことに流されるのは楽ですが、パスカルの言葉からは「考えることにこそ人間の尊厳がある」という強いメッセージが伝わってきます。
人間が滅びても、自然は何事もなかったかのように営みを続けていきます。
生命の歴史を1年とすれば、人間が歴史の舞台に登場したのは12月31日になってからです。
それまでは、人間がいなくとも自然は様相を変えながら、連綿と歩みを進めてきました。
しかし人間の文明や歴史は、勉強してみるとなかなか面白いものです。
それは人間が歴史のなかで、自分の頭で考えて行動してきたからだと思います。
考えることによって、人間はそれまでにないスケールで特異な文明や文化を築き上げてきたのです。
パスカルは本書の後半の多くを割いて、自身のキリスト教観を述べています。
神に対する信仰をはじめ、ユダヤ教徒やイスラム教徒との比較や聖書の解釈、預言や奇跡の意味など難解な箇所が多く、理解するのが難しかったです。
ただ、パスカルが拠り所としているこういった宗教観にふれてこそ、彼の代名詞となっている「考える葦」の意味を深く読みとることができるということを実感しました。
おわりに
今回はブレーズ・パスカル『パンセ』をご紹介しました。
本書はパスカルの人間に対する深い洞察が詰まった作品です。
「考える葦」という思想の背景には、キリスト教徒としての篤い信仰が根を張っています。
その宗教観や人間に対する価値観にふれることで、パスカルの言葉を深く理解することができます。
含蓄のある言葉にあふれた本書をぜひ読んでみてください。
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