【人間観察】カフェで何をしているんでしょう?

雑記

みなさんはカフェに行く派ですか?行かない派ですか?

わたしは行く派です。

カフェに行くと、周りの人が何かしらしています。

真剣な顔でスマホを操作しているビジネスマン。

問題集を開いて勉強している大学生。

問題集を開いて勉強するはずが話に夢中になっている高校生。

鉛筆片手に競馬の予想に興じる人生の大先輩たち。

持病の近況報告をしあう手練れたち。

あっ、電話している人もいますね。

口元に手を添えるか、そうではないかで受ける印象って変わりますよね。

という感じで、自宅に閉じこもっていては会うことのない人に確実に会えます。

でも、よっぽど空気を意図的に読まない才能に恵まれた人を除いて、基本的には直接コミュニケーションをとることはありません。

最近ではコロナ対策で透明なアクリル板が隔てられているので、プライベートスペースの意識はより鮮明になっているでしょう。

考えてみると、いま挙げた人たちは1人か2人くらいの少人数ですね。

ちなみに、いまいるカフェには両隣にアクリル板があって、誰も座っていません。

一抹の寂しさを感じるのはわたしだけでしょうか。

カフェは日本の江戸時代くらいにフランスやイタリアではじまったと言われていますが、その前はコーヒーハウスが人気でしたね。

当時は政治談議や文学、芸術で名を馳せた有名人たちのサロンだったので、いまのプライベートスペースという概念はなかったかもしれません。

タバコも吸い放題で、煙がもくもくと立ち上るなかで口角泡を飛ばして、何やら難しい議論が熱く盛り上がっていたに違いありません。

ヴェネツィアのカフェ・フローリアンはご存じの方も多いでしょう。

1720年にオープンして、現在も営業を続けています。

旅行でこのカフェ・フローリアンに入ったことがあるのですが、歴史を感じながらコーヒーでも飲もうと思っていたはずが、飲んだのはホットチョコレートでした。

イタリア弾丸ツアーで朝早くから靄の立ち込めるヴェニスに降り立ち、限られた時間の中でせかせかと歩き回って疲れ果てていたんでしょうね。

糖質不足で優雅な時間を過ごすチャンスを逃してしまいました。

あとでカズオ・イシグロ『夜想曲集』を読んで、カフェ・フローリアンのことを思い出しました。

まぁ、それも思い出として記憶に残るのでいいですよね。

旅をして体験して、本を読んで追体験する、どちらも楽しいものです。

いまはカフェといえば、スタバとかタリーズとかドトールとかのチェーン店を想起してしまいますが、もっと個性のあるカフェが増えるといいなぁと思います。

このお店ではこんなことがあったなぁとか、あのお店のコーヒーは深みがあって他じゃ味わえないんだよなぁとか、いろんな経験ができますから。

チェーン店だと、世界中どこに行っても基本的には同じメニュー、同じ価格、似たようなレイアウトなので、経営上はメリット多数なんでしょうけど特色は薄くなりますね。

グローバル化の行く末を考えると、少数の超優良企業が世界の日常生活を覆いつくしてしまいそうで良い気分ではありませんが、これからの未来をつくっていくのは我々ですからね、希望を持ちましょう(何者?)。

コーヒーについての歴史に興味のある方は、臼井隆一郎『コーヒーが廻り世界史が廻る 近代市民社会の黒い血液』をおすすめします。

東アフリカ原産の豆から生まれたコーヒーが世界中を駆け回り、人間の生活に影響を与えていくという視点はなかなか持てません。

時系列で話が進んでいくので、コーヒーの歴史だけではなく、世界史としてもおもしろく読めます。

ぜひ読んでみてください。

 

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